日本企業がM&A(合併・買収)を検討する際、株式譲渡に関わる税制は企業価値や取引スキームに大きな影響を与えます。本記事では、法人向けに現在の株式譲渡税制の仕組みを整理し、近年の税制改正動向とそのM&Aへの影響を考察します。また、今後予想される税制改正の方向性を踏まえ、M&Aストラクチャリングにおける税務上の留意点や節税策、さらに企業が取るべき戦略と展望について詳しく解説します。日本の最新の税制情報に基づき、わかりやすくですます調で説明します。
1. 現行の株式譲渡税制の概要
法人が株式譲渡を行う際の課税
現在、日本において法人が株式を譲渡した場合、その譲渡によって生じた利益(譲渡益)は法人所得として扱われ、法人税等の課税対象となります。具体的には、譲渡益はその法人の利益に算入され、他の営業利益などと合算して法人税が計算されます。法人税の実効税率は企業の規模や所得金額によって若干異なりますが、一般的な大企業で約30%前後(国税である法人税23.2%に加え地方法人税・住民税・事業税等を含めた水準)とされています。つまり、法人が保有する株式を売却して得た利益には、おおむね30%程度の税率で法人税等が課される計算になります。
一方、譲渡側が法人ではなく個人株主である場合には、課税方法が異なります。個人が株式を譲渡して利益を得た場合、その譲渡所得は給与所得などとは分離して申告分離課税の対象となり、原則として**20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)**の税率で課税されます。この税率は上場株式であれ非上場株式であれ共通ですが(一定の中小企業株式の優遇措置を除く)、個人の場合は所得額にかかわらず一律の分離課税となる点が法人課税と大きく異なります。つまり、法人が株式を売却した場合は約30%の法人税等、個人株主が売却した場合は20.315%の申告分離課税というのが現行制度の基本的な考え方です。もっとも、後述するように個人株主に関しては超高額の譲渡益について負担が増す新たな仕組みも導入予定です(令和7年より)。
株式譲渡益課税の仕組み
株式を譲渡した際の課税対象となる「譲渡益(譲渡所得)」は、その収入金額から取得費や手数料など必要経費を差し引いて計算されます。譲渡価額から、株式の取得に要した元本(購入代金や設立時出資額)や売却時に支払った仲介手数料、譲渡のために直接要した費用(契約書の印紙代等)を控除した残額が譲渡益です。法人の場合、この譲渡益がその期の課税所得に加算されます。
例えば、ある法人が5年前に取得した株式(帳簿上の取得価額1億円)を当期に3億円で譲渡した場合、経費もほとんどないとすれば約2億円の譲渡益が発生し、それに対して約30%の法人税等が課税されるイメージです。実際の法人税負担額はその企業の他の所得や損失控除の状況により異なりますが、株式譲渡益は基本的に通常の事業所得と同様に扱われる点がポイントです。
個人株主の場合も、譲渡益の計算方法自体は同じく「譲渡価額-取得費等」で算出されます。計算された譲渡益に対し、一律20.315%の税率が適用されます。現行制度では、この税率は株式譲渡益に特有の軽減税率として固定されており、給与所得など他の所得と合算して累進課税はされません。これはキャピタルゲイン課税の一種であり、投資収益に対するインセンティブを維持する観点から、長らく一律の低めの税率が維持されてきました。しかし、この固定税率による課税方式については富裕層優遇との指摘もあり、近年見直しの議論が行われています(詳細は後述)。
株式譲渡益課税と法人税の関係
法人が株式を売却して得た譲渡益は、その法人の課税所得に含まれるため法人税との関係は極めて直接的です。つまり、株式譲渡益も事業利益も区別なく合計され、そこに所定の法人税率が適用されます。法人税法上、株式譲渡益に特別な軽減税率や非課税措置は基本的にありません(注:100%グループ内の譲渡など一定の場合を除く)。そのため、法人にとって株式売却益は通常の営業利益と同様に扱われると考えて差し支えありません。
ただし、法人税との関係で留意すべき点がいくつかあります。第一に、他の損益との通算です。法人の場合、その期に他事業で損失が出ている場合には株式譲渡益と相殺(損益通算)することができます。結果として課税所得が圧縮され、税負担を減らせる可能性があります。個人の場合は株式譲渡益は原則として株式等の譲渡損失としか通算できませんが、法人は全体の所得としてまとめて課税されるため、この違いがあります。
第二に、欠損金(繰越欠損金)の利用です。過去の繰越欠損金(繰越赤字)がある法人が株式売却益を計上した場合、その欠損金と相殺して税負担を軽減できる余地があります。ただし、日本の法人税法では繰越欠損金の控除限度(当期所得の50%まで)や、オーナー変更時の欠損金引継ぎ制限といったルールがあります。特に大幅な株主交代があると、税務上過去の欠損金が使えなくなる場合もあるため、M&Aでは注意が必要です(この点は第4章で触れます)。
最後に、受取配当金との違いも関係します。法人が株式を保有する間に得た配当金については、一定要件のもとで95%を益金不算入(非課税)にできる制度があります(いわゆる受取配当の益金不算入制度)。一方で株式売却益にはそのような益金不算入規定は無いため、配当より売却益の方が税負担が重くなり得ます。このため、企業が子会社株式を処分する際には、配当による資金回収と売却による資金回収の税コストの違いを検討することもあります。一般に、余剰資金を配当で取り出した後に清算する方法(配当+清算所得)と、一括で株式譲渡する方法(譲渡益課税)の比較検討が行われ、税負担や手続面で有利な方法が選択されます。
以上が現行の株式譲渡税制の概要です。まとめると、法人が株式を売却した場合、その利益に約30%の法人税等が課され、個人株主が売却した場合は20.315%の譲渡所得課税が行われるというのが基本です。次章では、この基本枠組みに対して近年どのような税制改正が行われ、M&Aにどのような影響を与えたかを見ていきます。
2. 最近の税制改正とその影響
最近の株式譲渡に関する税制改正の動向
近年、株式譲渡益課税を取り巻く税制にはいくつか重要な改正が行われてきました。その背景には、富裕層とそれ以外の税負担の公平性や、中小企業の事業承継・M&A促進といった政策目的があります。直近で大きな話題となったのは、令和5年度税制改正大綱(2023年末公表)で決定された**「高所得者に対する税負担の強化」措置**です。これは一般に「富裕層課税強化」などとも呼ばれ、年間所得が極めて高い層に対し所得税の負担を追加的に課す新制度です。
具体的には、令和7年(2025年)以後の所得について適用されるもので、ある年の「基準所得金額」(原則としてその年の全所得金額の合計)から3億3,000万円を控除した残額に22.5%の税率を乗じた額を算出し、それがその年の通常の所得税額を超える場合、その超過額を追加で所得税として課す仕組みです。このルールにより、超高額所得者については事実上最低でも22.5%の所得税率を担保することとなります。
この新制度は、従来株式譲渡益に対して一律20.315%で固定されていた税負担に変化をもたらします。特に、巨額の株式譲渡益を得たケースでは税率が引き上がる可能性があります。例えば、ある個人オーナーが自社株式を売却して17億円の譲渡益を得た場合、従来は一律20.315%課税で約3.45億円の税負担でした。しかし新制度適用後は、一部に22.5%の税率が適用され、概算で約3.98億円(+5,300万円)の税負担となる試算が示されています。つまり、譲渡益が極めて大きい場合には実効税率が約27.5%(所得税22.5%+住民税5%)程度まで上昇するケースが出てくるわけです。この改正により、「株式譲渡益は一律20%程度」というこれまでの常識が覆り、特に数十億円規模のM&Aでは税コストの計算が複雑化・増大することになります。
もう一つ近年の重要な改正は、株式を対価とするM&Aに係る課税繰延べ制度の創設です。令和3年度税制改正において、改正会社法で新設された「株式交付制度」を利用するM&Aについて、対象会社株主に対する譲渡益課税の繰延べ(課税を後日に先送り)措置が恒久的制度として導入されました。株式交付制度とは、買収会社(譲受企業)が自社の株式を対価として他社を子会社化する仕組みで、従来の株式交換や三角合併よりも柔軟かつ簡便に株式対価M&Aが可能となる制度です。
この制度を税制面で後押しするため、買収対価として交付された株式に相当する部分の譲渡益については、実際にそれら株式を売却する時まで課税を繰り延べることが認められました。さらに事前認定手続きは不要とされ、対価の一部に現金が含まれる場合でも総額の20%までであれば繰延べ対象とするなど、実務に使いやすい形で制度設計されています。
この株式対価M&Aの課税繰延べの導入は、実務に大きな影響を与えました。従来、日本企業が他社を株式で買収する場合、取得される側の株主に譲渡益課税が生じるため、株式ではなく現金での買収が好まれがちでした。しかし、この繰延べ制度により株式交換・交付を用いたM&Aでも直ちに税負担が発生しないため、企業は現金支出を抑えつつM&Aを実行でき、株主も課税繰延べのメリットを享受できます。特にスタートアップ企業のM&Aや、上場企業同士の資本提携的M&Aで自社株を対価とするケースが増えるなど、M&Aの手法選択に幅が広がったと考えられます。実際、株式交付制度創設以後、この仕組みを活用した案件も徐々に報告されており、税制改正がM&A実務に与えるポジティブな影響の一例と言えるでしょう。
また、中小企業のM&A促進を目的とした税制上の措置も近年拡充されています。その代表例が「中小企業事業再編投資損失準備金制度」です。これは中小企業が他社を買収した際、取得した株式の一部金額を損失準備金として積み立て計上することで、当期の損金(税務上の費用)に算入できる特例措置です。令和3年度税制改正で創設された当初は取得額の70%を上限に積み立て可能でしたが、利用件数が少なかったことを踏まえ、令和6年度(2024年度)税制改正で制度の大幅拡充が決定しました。
具体的には、積立率の引き上げ(2回目のM&Aでは90%、3回目以降は100%まで損金算入可能)および対象となるM&A総額の上限引き上げ(最大100億円まで)が盛り込まれています。この改正により、成長意欲のある中堅・中小企業が複数回にわたりM&Aを行う場合、買収金額の全額を一時的に損金算入して課税を繰り延べることも可能となります。ただし、この準備金は将来的な取崩時に益金算入されるため恒久的な減税ではなく、あくまで課税の先送り(繰延べ)措置である点には留意が必要です。それでも、当初の税負担が軽減される効果は大きく、資金負担を抑えて積極的にM&Aに踏み切るインセンティブとなることが期待されています。
さらに事業承継分野では、事業承継税制(株式の相続・贈与税納税猶予制度)の特例措置期限延長なども実施されています。中小企業オーナーが後継者に株式を贈与・相続する際の税負担を猶予するこの制度は、M&Aではなく親族内承継向けですが、事業売却を検討する企業にとっては選択肢となる制度です。令和6年度改正では特例措置の計画提出期限が2年延長され、2026年3月末までとなりました。この延長により、親族内承継を模索する企業にも引き続き猶予策が提供されることになり、結果的に中小企業オーナーが事業売却(M&A)か親族承継かを検討する時間的猶予が生まれています。
過去の税制改正がM&Aに与えた影響
上述した各種税制改正は、M&Aの意思決定や手法選択に少なからず影響を与えています。過去を振り返ると、税制改正がM&A市場に与えた影響としていくつかのポイントが挙げられます。
まず、キャピタルゲイン課税の安定化です。日本では1990年代から2000年代にかけて株式譲渡益課税が度々見直され、一時的に税率引下げ(10%への軽減措置)なども行われました。しかし結局20%強に落ち着き、長らく変更がなかったため、経営者が株式売却時の税コストを予測しやすい環境が続いていました。その結果、M&Aにおいてオーナー経営者が「株式を売却すれば利益の約20%が税金で持っていかれる」ことを織り込んで価格交渉を行うのが常識化していました。この安定した税率のおかげで、大きな税制不確実性なくM&A戦略を立てやすかったという面があります。
一方で、この固定税率が富裕層の低負担を招き、「1億円の壁」(所得が1億円を超えるあたりから逆に税負担率が下がる現象)として問題視されたため、先述の高額譲渡益への追加課税が導入されるに至りました。したがって2025年以降は、超大規模ディールでは税コストが以前より増えるため、M&Aのタイミングを2024年中に前倒しする動きや、価格交渉で税負担増加分を織り込む動きが出る可能性があります。
次に、M&Aスキーム多様化への影響です。株式交付制度とその税制支援(課税繰延べ)の創設は、これまで現金中心だった日本のM&A取引に新たな手法を普及させる契機となりました。実際、海外では株式交換によるM&Aが一般的ですが、日本では税負担の問題から現金買収が好まれてきた経緯があります。税制改正によりこのハードルが下がったことで、企業同士の資本提携を伴うM&Aや、ベンチャー企業が株式のまま売却して引き続き事業に参画するようなケースが増えつつあります。税負担の繰延べが可能になったことで、株式対価M&Aを心理的・経済的に受け入れやすくなったと言えるでしょう。これは買収資金に制約のある企業(例えば上場したての成長企業など)が、自社株を使って戦略的買収を行うことを容易にし、日本企業のオプションを拡げた点で意義があります。
また、中小企業M&A税制(事業再編投資損失準備金)の導入と拡充は、中小企業のM&A件数にはまだ大きな波及は出ていないものの、政策的な追い風となっています。当初70%損金算入が可能になった2021年以降も利用件数は伸び悩み、全国で20件程度にとどまったとの報告があります。これは手続きや要件の煩雑さ、あるいはM&Aそのもののハードルが中小企業には高い現状が背景にありました。しかし今回100%まで損金算入可能にするなど大胆な拡充が決まったことで、この制度を使った思い切ったM&A(例えば赤字のうちに将来有望な事業を買収し、税負担を事実上ゼロにするなど)が出てくるかもしれません。制度の実効性が高まれば、中小企業のM&Aマーケット活性化に繋がると期待されます。
一方で、税制改正がM&Aを抑制した例もあります。過去には法人税率引下げに伴う欠損金控除限度の引下げ(80%控除から50%控除へ)や、グループ通算制度への移行などが行われ、大企業が損失企業を買収して節税を図るスキームが制限されました。例えば赤字会社を買収して損失と利益を相殺するという手法は、繰越欠損金控除の制限強化で旨味が減っています。また、クロスボーダーでは平成29年度改正で非居住者・外国法人が日本株を譲渡した場合の課税強化(一定大口株主の株式譲渡益への日本課税)が行われ、海外ファンドによる日本企業株売却にも課税が及ぶケースが増えました。これらは直接的には国内法人のM&Aには影響しませんが、日本企業が外国投資家から株式を買い戻すスキームなどではコスト増となり得ます。
総じて、近年の税制改正は**「富裕層課税強化」と「M&A促進」**という二つの軸で進んでおり、それぞれM&Aにプラスとマイナスの影響を及ぼしています。今後さらにどのような改正が見込まれるのか、次の章で展望します。
3. 今後の税制改正の可能性
キャピタルゲイン課税見直しの可能性
今後の税制改正において注目されるのは、やはりキャピタルゲイン課税(株式譲渡益課税)のさらなる見直しです。2025年から導入される高額所得者への追加課税措置によって、「1億円の壁」問題には一定の対応が図られますが、それでも金融所得課税全体のあり方については引き続き議論が続くと考えられます。
一つの可能性は、株式譲渡益や配当など金融所得課税の一体化・累進化です。現行では20.315%で分離課税となっている金融所得について、総合課税に近づけ累進課税にしようという議論は以前からあります。例えば所得税45%の最高税率層に対しては金融所得も同等の税率まで引き上げる案などが検討されたこともありました。もっとも、金融所得課税の引上げは市場への影響(売却控除が起き市場が冷える可能性)や富裕層の海外流出リスクも指摘され、慎重な姿勢もあります。実際、税率を上げればその分キャピタルゲインの実現自体が減少して税収が想定ほど増えないという分析もあり、政府・与党内でも急進的な増税は避けつつも不公平感の是正を図るというバランスが模索されています。2025年以降しばらくは、高所得者課税の効果を見極める期間となるでしょう。
しかしその先、たとえば20.315%という固定税率自体を見直す可能性もゼロではありません。過去には税率10%への軽減措置期間もあったことを思えば、経済状況や市場動向次第で税率変更が議題に上ることがあります。ただし現時点で具体的な引上げ幅や時期が示唆されているわけではなく、将来的な検討課題として金融所得課税のあり方が俎上に載っている段階です。法人としてM&A戦略を立てる際には、オーナー経営者個人の株式売却益に対する課税環境が今後厳しくなる方向にある点を念頭に置く必要があります。場合によっては売却のタイミングを調整する(税制改正前に実行する、あるいは逆に優遇策が出るなら待つ)といった戦略も考えられます。
法人向け税制優遇措置の将来
法人に関するM&A税制については、現在講じられている優遇措置の延長・拡充あるいは縮小が注目されます。中小企業事業再編投資損失準備金制度は令和6年度改正で拡充されましたが、その適用期限は延長されつつも3年間の時限措置となっています。つまり、現行では2026年度までの間に行われるM&Aに適用される見通しです。その後については、利用状況や政策効果を検証した上で恒久化するのか、縮小するのかが判断されるでしょう。企業としては、この優遇措置が使える間に計画的にM&Aを実行するのが望ましく、今後制度が変わる前提で長期計画を立てる必要があります。
また、今後考えられるのは大型企業間の統合促進策です。日本では企業再編税制(株式移転や合併等の組織再編における適格要件)により、一定の条件下で株式譲渡益を非課税(繰延べ)にできる枠組みがあります。しかし、純粋な現金対価のM&Aでは繰延べできないことが多く、特に上場企業同士の経営統合では税負担が統合の障壁になることも指摘されています。将来的に、産業再編を後押しするための税制として、一定規模以上の現金対価M&Aでも譲渡益の一部非課税措置などが議論される可能性があります(現時点では具体策はありませんが、政策ニーズとしてはあり得る話です)。
さらに、グループ内再編税制の使い勝手向上も検討課題でしょう。100%グループ内での株式譲渡は、税務上は帳簿価額での譲渡(損益繰延べ)が認められています。今後もこのようなグループ内の柔軟な事業再編を促す方向(例えば部分子会社売却の税負担軽減など)は維持・強化されると考えられます。一方で、グループ内再編を装いつつ実質的に第三者に売却する「濡れ手で粟」的な節税は厳しく監視されており、実態に応じて課税する総合的な見直しもあり得ます。例えば、グループ内で一旦株式を動かして簿価を付け替え、その後外部に売却するスキームなどに対しては、今後も税務当局が目を光らせており、必要に応じて制度改正や通達で対処するでしょう。
事業承継税制については、2026年以降の特例措置の扱いが焦点です。事業承継税制の特例は中小企業の親族内承継を促すもので、M&Aとは逆方向の施策ですが、日本全体で後継者不在問題が深刻化する中、この税制の行方によってM&A市場にも影響が出ます。仮に特例が終了し猶予措置が縮小されれば、親族内承継を断念してM&Aを選ぶ企業が増えるかもしれません。逆にさらに延長・恒久化されれば、身内への承継が選択されM&A件数には抑制的に働くでしょう。このように税制改正は企業オーナーの行動に影響を与えるため、常に複数のシナリオを想定して準備することが重要です。
グローバルな課税動向と日本への影響
日本の税制改正は、グローバルな課税動向とも密接に関係しています。特に近年注目なのが、OECD/G20主導の**「グローバル・ミニマム課税(Global Minimum Tax)」**の導入です。これは多国籍企業を対象に、全世界どこでも最低15%の法人税負担を確保しようという国際的な取り組み(BEPSプロジェクトの柱2)で、日本も積極的に参加しています。日本では令和5年度税制改正でその主要部分が法制化され、2024年4月1日以降開始事業年度からグローバルミニマム課税ルールが適用されることになりました。
具体的には、日本の最終親会社を持つ連結グループについて、各国での実効税率が15%未満の子会社利益に対し「追加課税」を行う仕組み(所得合算ルール=IIR)が導入されます。また他国にも適用されるよう、将来的には軽課税国に所在する企業に対する課税権を分配するルール(UTPR)も実施予定です。日本では約1000社程度の大企業グループがこの新税制の対象になる見込みであり、該当企業では税務対応が本格化しています。
このグローバル課税動向は、M&A戦略にも影響を与えます。まず、大企業が海外M&Aを検討する際、従来であれば法人税の低い国に本社や子会社を置くことでグループ全体の税負担を下げるといったタックスプランニングが行われてきました。しかし最低税率15%が担保されるとなれば、低税率国に所得を移しても本国で差額課税されてしまいます。その結果、純粋な節税目的の投資・M&Aの旨味が減少するでしょう。これからは税制に頼ったシナジーではなく、純粋な事業上の相乗効果や市場戦略にもとづいたM&Aが重視されるようになります。特に、租税回避地に知的財産を移して利益計上するといったスキームは効果が薄れるため、そうした手法に依存していた多国籍企業は戦略の練り直しを迫られています。
グローバル課税のもう一つの潮流として、**デジタル課税(Pillar1)**や各国独自の課税(デジタルサービス税など)の動向もあります。巨大IT企業に対する市場国での課税強化などが議論されていますが、これも将来的に合意されれば日本企業の海外展開や外国企業の日本進出に影響します。M&Aによって海外企業を取り込む際、その企業が新たな課税ルールの下でどの程度税負担を負うかが評価額に影響する可能性があります。したがって、大規模M&Aを行う際には、国際税務の専門家を交えてグローバルな税制リスク・コストを精査することが一段と重要になるでしょう。
最後に、各国のキャピタルゲイン税制との比較も考慮すべきです。欧州の一部では法人が株式を売却した際、一定要件で譲渡益が非課税となる「参加免税(Participation Exemption)」を採用する国があります(例えばオランダやベルギーなど)。米国ではキャピタルゲインは原則通常所得扱いですが、税率差や特別控除などがあります。このような海外の税制変更が日本に影響を与える場合もあります。例えば米国で大型増税が行われれば、日本も相対的競争力確保のため何らかの税制対応を検討するかもしれません。常にグローバルスタンダードを意識しつつ、日本独自の事情(財政制約や産業構造)に合わせた改正が行われると予想されます。
以上を踏まえると、**今後の税制改正は「富裕層課税の強化継続」「M&A促進税制の効果検証と最適化」「国際課税ルールへの適応」**がキーワードとなりそうです。企業としてはこの動きを注視し、次章で述べるようなM&Aストラクチャリングと税務戦略を準備する必要があります。
4. M&Aストラクチャリングの税務的考察
M&Aを実行する際、**取引ストラクチャー(スキーム)**の違いによって税務上の扱いも大きく異なります。代表的には「株式譲渡による企業買収」と「事業譲渡(資産譲渡)による事業買収」の二つがあり、それぞれメリット・デメリットがあります。また、買収後に潜在的な税務リスクが顕在化しないよう事前に対策を講じること、そして適切な節税策を検討することも重要です。
株式譲渡と事業譲渡の税務比較
株式譲渡とは、売り手企業(または株主)がターゲット企業の株式を買い手に譲渡する形で会社の支配権を移転する方法です。これに対し事業譲渡は、ターゲット企業の事業そのもの(資産・負債の集合)を売買する方法です。両者は法律的な手続きも異なりますが、ここでは税務面の違いに焦点を当てます。
まず、税金がかかる主体と税率が異なります。株式譲渡の場合、課税されるのは株式を売却した売り手(株主)です。売り手が法人であれば前述のとおり約30%の法人税等が譲渡益に課税され、売り手が個人株主であれば20.315%の譲渡所得課税となります。一方で事業譲渡の場合、課税されるのは**事業を売却した法人(譲渡会社)**です。事業譲渡によって得た利益に対し約30%の法人税等が課税される点では法人の株式譲渡と似ていますが、売り手が個人というケースは通常ありません(個人事業の譲渡を除けば、事業譲渡は会社が主体)。したがって、売却益に対する税負担だけを見ると、個人オーナーにとっては株式譲渡(20%)の方が事業譲渡(法人税30%)より税率が低く有利に映ります。実際、オーナー社長が自社を売る場合、株式ごと会社を売却したほうが自分個人としての税負担が軽く済むため、この選択が多くなる傾向があります。
次に、間接税など他の税金にも違いがあります。事業譲渡では資産の売買になるため、譲渡資産のうち課税資産には原則として消費税が課されます。例えば在庫や有形固定資産の譲渡には消費税(現在10%)がかかり、買い手はその分対価を支払う必要があります(もっとも買い手側で仕入税額控除できるので中立ではありますが、一時的な資金負担増になります)。また事業譲渡で不動産を移転すれば買い手に不動産取得税や登録免許税がかかります。これに対し、株式譲渡では株式は消費税の非課税資産であり、一切消費税は発生しません。不動産も会社の所有者が変わるだけで登記名義人(会社)は変わらないため、取得税や登記税も不要です。このように、株式譲渡の方が付随税コストが低い点は重要です。買い手にとっても消費税の立替負担や煩雑な資産移転手続きがないため、シンプルに会社丸ごとを引き継げる株式譲渡は魅力的です。
一方、税務上の引継ぎにも差があります。株式譲渡では会社そのものが存続するため、ターゲット企業の繰越欠損金や未払税金、含み損益などすべての税務ポジションがそのまま引き継がれます。買い手はターゲット企業の過去の税務リスク(申告漏れや否認リスク)も継承することになります。これに対し事業譲渡では、買い手は個別資産・負債を選別取得できますので、望ましくない負債や簿外債務を引き継がずに済みます。税務上の不安要素を切り離せるという意味で、事業譲渡は買い手に安全です。ただし、売り手企業には譲渡益課税が発生し、その後残った会社に現金が残りますから、最終的にオーナーがそれを引き出す際に配当課税や清算所得課税(二重課税)が生じます。個人オーナーの場合、株式譲渡なら一度20%課税で済むところ、事業譲渡では法人税30%+残余財産の配当課税20%と二段階で課税されトータルの税負担が重くなりがちです。そのため、オーナー経営者が会社を売る際は株式譲渡が一般的となっています。
以上をまとめると、株式譲渡は「税率が低い(個人オーナーの場合)」「消費税等のコストがない」「会社の権利義務を丸ごと引き継げる」という利点がある一方、「買い手が過去の税務リスクも背負う」というデメリットがあります。事業譲渡は「不要資産・負債を切り離せる」「買い手のリスク低減」というメリットがある反面、「税負担が二重になりやすい」「手続きが煩雑で取引先承継など実務負荷が高い」といったデメリットがあります。両者の特徴を理解し、税負担とリスクのバランス、そして事業上の事情を踏まえて最適な手法を選択することが重要です。
M&Aにおける税務上のリスクと回避策
M&Aに伴う税務上のリスクとしては、大きく二つの局面があります。一つは買収前から存在するターゲット企業の税務リスク、もう一つは取引スキーム自体に起因するリスクです。それぞれに対して適切な回避策を講じる必要があります。
まず、ターゲット企業自体が抱える税務リスクです。具体的には、過去の申告漏れ・誤りによる追徴課税リスクや、税務調査で否認される可能性のある処理(例えばグレーな経費計上や過大な欠損金計上)がないか、といった点です。買収後にこうした問題が発覚すると、想定外の追加納税や加算税・延滞税が発生し、買収の投下資本回収に悪影響を及ぼします。これを防ぐために、税務デューデリジェンス(税務DD)が欠かせません。税務DDを事前に実施することで、未納税金や不適切な税務処理を発見し、将来の追徴課税リスクを回避できます。専門家チームが過去数期の税務申告書・勘定科目内訳書などを精査し、怪しい取引や潜在的債務を洗い出します。仮にリスクが見つかれば、その影響額を見積もり買収価格に反映したり、売り手に事前是正を求めたり、表明保証保険を検討するなどの対処法があります。税務DDを怠って買収を進めると、後に多額の追徴課税負担が発生し、経営を圧迫する恐れがあります。場合によっては契約上、売り手に補償を求めることも可能ですが、実務上はやはり事前にリスクを発見・織り込むことが重要です。
次に、M&Aのスキーム選択自体に伴う税務リスクです。例えば前節で述べた株式譲渡と事業譲渡の選択もそうですが、それ以外にも組織再編税制を用いるかどうか、クロスボーダーであれば源泉徴収や租税条約の適用漏れ等、多岐にわたります。よくあるのが、組織再編の適格要件を満たさず課税されてしまうリスクです。株式交換や合併で非課税(適格)扱いにするには一定の継続要件等があります。M&Aの一環で子会社同士を合併させたが要件を満たさず、せっかく期待した税繰延べ効果が得られない、といった事態も起こりえます。これも事前に税務専門家のレビューを受け、適格要件の充足や不備の有無をチェックする必要があります。
また、多国籍M&Aでは、買収対価の一部にロイヤルティなどが含まれる場合の源泉徴収や、PE(恒久的施設)の認定リスクなど、複雑な国際税務論点が潜みます。これらはストラクチャー段階での慎重な設計(例えば中間持株会社の所在地選定や契約条項の工夫)によりリスク低減が図れます。別の視点では、ポストM&Aの税務リスクも考えられます。買収後の統合過程(PMI)で、グループ内取引が増えた際の移転価格税制リスクや、税務コンプライアンスの統一が遅れた場合の申告漏れなどです。これらはM&A実行時より中長期的な課題ですが、PMI計画に税務面の統制を組み込んでおくことで回避できます。例えば、グループ全体の税効果会計や税務申告を一元管理する仕組みを構築したり、新たに税務顧問契約を結んでチェック体制を強化する、といった対応が有効です。
まとめれば、M&Aにおける税務リスクの回避策としては、(1)入念な税務DDによる事前把握、(2)適切なスキーム選定と専門家チェックによる構造的リスク排除、(3)買収後の税務管理強化の三段階が重要です。税務は専門性が高いため、内部に知見がなければM&Aファイナンシャルアドバイザーや税理士・会計士チームと連携して対策を講じることをおすすめします。
M&Aにおける節税対策の検討
M&Aに臨むにあたり、合法的な範囲で税負担を軽減する節税策を検討することも企業価値向上につながります。ただし、税務リスクと表裏一体でもあるため、節度ある計画が必要です。いくつか代表的な節税策やテクニックを紹介します。
売り手側(株主側)の節税策として、オーナー経営者が自社を売却する際によく検討されるのが役員退職金の活用です。オーナー社長が会社株式を第三者に譲渡して引退する場合、自社から退任時に役員退職慰労金を受け取ることで所得の振り替えを行う手法があります。退職金には勤続年数に応じた控除があり、さらに1/2課税の優遇(退職所得控除)が適用されます。適切な金額設定で退職金を支給すれば、その分会社の純資産が減少して株式譲渡益が圧縮され、トータルの税負担を抑えることが可能です。実際、株式譲渡の場合は役員退職金の額を調整することで税金を減らすことができるとの指摘もあります。例えば、本来株式の売却対価として受け取るはずだった金額の一部を退職慰労金として受領すれば、その部分は退職所得扱いとなり税負担が大幅に軽減されます。一方で譲渡対価は減るため譲渡益も減少し、その分譲渡所得税も減ります。もちろん、退職金は会社から支払われるため買い手との調整や会社の資金状況も考慮する必要がありますが、売り手個人にとっては有力な節税策です。
買い手側(企業側)の節税策としては、上述の中小企業事業再編投資損失準備金制度の活用が挙げられます。もし買い手企業が中堅・中小企業に該当し、成長計画に沿ってM&Aを行うのであれば、この制度の適用を検討すると良いでしょう。買収額の最大100%を一旦損金算入できるため、買収年度の法人税負担をゼロ近くまで抑えることも可能です。将来的に準備金を戻し入れる際には課税されますが、その頃には買収した事業の利益で相殺できる可能性もあり、実質的な節税効果を得られるケースもあります。ただし要件確認や手続き(事前計画認定など)が必要なので、税務顧問等と早めに準備を進めましょう。
ストラクチャリングによる節税策も検討に値します。例えば、いきなり第三者に株式を売却する代わりに、一度買い手企業と合併または株式交換(適格組織再編)を行って株主に買い手株式を交付し、その後市場で売却することで譲渡益課税を繰り延べる、といった高度なスキームも理論上は可能です。ただ、このような手法は要件充足と実務負担の面でハードルが高く、また租税回避とみなされない範囲を慎重に見極める必要があります。あからさまに税負担軽減だけを目的とした組織再編は否認リスクがありますので、ビジネス上の合理性と税務メリットのバランスが重要です。
グループ通算制度の活用も一案です。買収後、完全子会社化できる場合にはグループ通算(または連結納税制度)を適用することで、買収のための借入利息と被買収会社の利益を相殺したり、被買収会社の欠損金を一定範囲で利用したりできます。買収スキームとして、一旦新設の子会社を作ってその会社に買収させ、後で合併するという形を取ることでのれん償却(会社法上ののれんは5年で償却可能)を実現し、法人税上損金化していく方法もあります。税効果会計上はのれん償却費に対応して将来減算一時差異が計上されるなど、専門的検討が必要ですが、買収後の税負担を徐々に軽減する効果が見込めます。
その他、クロスボーダーM&Aでは**タックスヘイブン対策税制(CFC税制)**の適用除外要件を満たすための持株比率調整や、租税条約による源泉税軽減のための受取スキーム策定も節税に繋がります。例えば、海外の子会社株式を売却する際、日本より税負担の軽い第三国法人に一旦売却してから資金を回収するスキームなどは慎重な検証が必要ですが、状況によっては合法的に税負担を下げることも可能です(ただし、近年の情報交換強化により迂回スキームはリスクも高まっています)。
最後に強調したいのは、節税策は常に税務上のリスクと隣り合わせであることです。行き過ぎた節税(租税回避)は否認や追徴の対象となり、せっかくのM&A効果を台無しにしてしまいます。したがって、節税策は専門家の意見を仰ぎ、法令や通達で認められた範囲内で実施することが肝要です。また、税制は改正され得るので、節税メリットが長期で見込めるか、その制度が将来廃止されるリスクはないか、といった点も踏まえて判断しましょう。
5. 法人が取るべき戦略と今後の展望
最後に、これまでの内容を踏まえて企業(法人)がM&Aを進める上で取るべき税務戦略と、予測される税制改正への備え、さらに企業価値向上のための税務面からのアプローチについて整理します。
M&Aを進める上での税務戦略
企業がM&Aを検討・実行する際には、初期段階から税務戦略を統合的に考えることが重要です。具体的には以下のポイントが戦略上重要となります。
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事前準備と専門家チームの編成
案件の構想段階で、自社の税務部門や税理士・会計士、法務専門家を交えたチームを作りましょう。買収ターゲットのスクリーニング時点から税務上の留意点(例えば欠損金の有無や繰延資産の状況、子会社構成など)を把握しておくと、その後のスキーム立案がスムーズです。特に組織再編やクロスボーダー取引では税法・会社法の絡み合いがありますので、早期に税務デューデリジェンス計画を立てることが肝要です。 -
スキーム選定の比較検討
前章で比較したように、株式譲渡か事業譲渡か、あるいは株式交付や合併など、複数の手法のメリット・デメリットを税負担とリスクの両面から比較検討します。例えば、買収後に不採算部門を切り離す計画があるなら、最初から必要な事業だけを譲り受ける方がよいかもしれませんし、逆に従業員や取引関係をそのまま引き継ぎたいなら株式譲渡が望ましいでしょう。その際、各手法で生じる税負担額を試算し、他のコスト(手続コストや時間、レピュテーション)とも総合的に勘案した上で最適解を選びます。 -
価格交渉と税負担の調整
M&Aの買収価格(企業価値)は当事者間の交渉で決まりますが、税務戦略として、税コストを誰が負担するかも交渉材料になります。例えば、売り手が株式譲渡益課税20%を嫌って価格アップを要求する場合、買い手が何らかの形で税負担分を補填するのか、それとも売り手自身で節税努力するのかといった駆け引きがあります。特に2025年以降、高額譲渡益への追加課税で売り手の負担が増えるケースでは、その増分を価格に織り込むかどうかが実務上問題となるでしょう。買い手としては適正な手法で売り手の税負担を軽減できる提案(前述の退職金活用など)をすることで、結果的に売買価格を抑えることも可能です。税の知識も駆使したクリエイティブな交渉が求められます。 -
タイミングとスケジューリング
税制改正の動向に応じて、M&Aの実行時期を調整することも戦略です。例えば、令和7年から株式譲渡益の高額部分に追加課税がかかると決まったことで、2024年中にエグジット(事業売却)を済ませたいと考えるオーナーが増えるかもしれません。買い手側はそうした売り手の事情を理解しつつ、自社にとって有利なタイミングを図ります。また、税制優遇措置(例えば中小企業M&A準備金)の期限内に複数回のM&Aを集中的に実行するなど、政策インセンティブを最大限活用できるスケジュールを組むことも考えられます。逆に、消費税率引上げなど大きな改正前後では企業価値評価が変わる可能性があるため、タイミングに注意が必要です。
予測される改正への準備と対応
第3章で予測したように、今後も税制は変化し続けます。企業はこれに対し事前に準備し、柔軟に対応できるようにしておく必要があります。
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情報収集と体制整備
税制改正は毎年与党税制調査会等で議論され年末に大綱が公表されます。M&Aに関係する論点(金融所得課税、組織再編税制、国際課税など)が議題に上がった際には早めに察知し、自社への影響を分析しましょう。社内に税務専門部署があればそこでモニタリングし、ない場合でも顧問税理士や会計士から情報提供を受ける仕組みを作っておくと良いでしょう。常に半年先、1年先を見据えてシミュレーションする姿勢が重要です。 -
複数のシナリオプランニング
改正の内容が確定していなくても、「もし〇〇税率が▲%上がったらこの案件はどうなるか」「この優遇が無くなったらROIにどの程度影響か」等、複数シナリオで事前に試算を行っておきます。例えば、富裕層課税が一段と強化され譲渡益課税自体が25%になるような仮定も考えられなくはありません。その場合、売り手オーナーの手取額減少を見越して、あらかじめ価格交渉の余地を見ておくといった工夫です。同様に、グローバルミニマム課税で税負担が増える海外子会社を含むM&Aであれば、その増税分を加味して価値評価モデルを調整する必要があります。シナリオ分析によって対応策も変わるため、状況に応じたプランB、プランCを用意しておくと安心です。 -
社内ルール・制度の見直し
税制改正への対応策として、自社の中長期計画や社内規程をアップデートすることもあります。例えば、グローバルミニマム課税で一定の税負担が必須になるなら、海外子会社からの配当方針を見直す(どうせ課税されるなら積極的に配当回収する)といった戦略変更も考えられます。また、役員退職金制度を整備しておき、将来経営陣がエグジットする際に柔軟に対応できるようにすることも一策です。「備えあれば憂いなし」で、平時からできる準備を進めておきましょう。 -
専門家との継続的連携
税制対応は一度きりではなく継続的な取り組みです。大企業であれば社内に税務専門家を抱えるべきですし、中堅規模でも顧問税理士やコンサルタントとの関係を深め、都度アドバイスを受けられるようにしておくと安心です。特にM&Aは頻度が限られるため、自社内に経験が蓄積しづらい分野です。経験豊富な外部専門家の知見を借りながら、改正に合わせてその都度ベストプラクティスを取り入れる柔軟性を持ちましょう。
税務面から企業価値を向上させるアプローチ
税務はコスト要因であると同時に、企業価値(株主価値)に影響を及ぼす重要なファクターです。M&A戦略においても、税務面の工夫次第で企業価値の向上につなげることができます。
一つは、キャッシュフローの最適化です。法人税等の支出は企業にとって大きなキャッシュアウトフローであり、これを適切にコントロールすることでフリーキャッシュフローを改善できます。M&A後のグループでは、税負担の最小化を図ることで手元現預金を厚くし、その資金をさらなる投資や債務返済に充当できます。例えば、税効果の高い減価償却資産を取得して加速償却する施策や、R&D税制の活用による税額控除など、節税によるキャッシュ創出も企業価値評価(DCF法など)に織り込まれます。M&Aの検討段階から、統合後に利用できる税務上の特典(各種税額控除、地域優遇、繰越欠損金の活用余地など)を洗い出し、ビジネス計画に反映させることが大切です。
二つ目は、リスクプレミアムの低減です。税務上の不確実性が高い企業は、投資家から見てリスクが高く評価額が下がります。逆に税務コンプライアンスがしっかりしており将来の追加税負担リスクが低ければ、安心して高い価値を認めてもらえます。M&Aで取得した企業に関しては、早期に税務リスクを洗い出して対処することで、買収後の企業価値毀損を防ぐことができます。また、グローバルにビジネスを展開する企業では、各国の税務リスク管理体制(TP文書化の整備など)も企業価値評価に影響します。税務ガバナンスの強化は、直接的ではないにせよ企業価値向上策の一環と位置付けられます。
さらに、ステークホルダー価値の向上という視点もあります。昨今ESGの観点から、税の透明性(Tax Transparency)や公正な税負担が企業評価に織り込まれる傾向があります。極端な租税回避行為はブランド価値を毀損しかねません。一方で、適正な税負担を行い社会に貢献している企業はレピュテーションも向上します。M&Aを通じて企業規模が拡大した際には、CSRの一環として税に関する情報開示を充実させるなど、ガバナンス面でのアピールも考えられます。これは直接の企業価値というより株主以外のステークホルダーへの価値提供ですが、長期的には持続的成長に寄与すると考えられます。
最後に、M&Aは一度きりでは終わらないことが多い点に留意しましょう。経営統合後に追加の買収や事業売却が発生することもあります。税務戦略は一回ごとではなく、企業のライフサイクル全体を通じた最適化を念頭に置くべきです。例えば、将来一部事業のスピンオフ(会社分割)を検討しているなら、それを見越して組織再編や持株会社化を進めておくなど、長期の税務プランニングを行います。企業価値を最大化するために、節目ごとに税務のプロと相談し、最良の道筋を描いていくことが求められます。
まとめとして、日本におけるM&Aの税務環境は今、大きな変革期にあります。現行制度の理解はもちろん、最新の税制改正(高所得者課税強化やM&A優遇策拡充)を把握し、その影響を冷静に分析することが必要です。今後もキャピタルゲイン課税の見直しやグローバル課税ルールの適用などが予想され、企業にとってチャレンジとチャンスが混在するでしょう。本記事で述べたポイントを踏まえ、法人の皆様にはぜひ適切な税務戦略をもってM&Aに臨んでいただきたいと思います。税務面を制することは、M&A成功の重要な鍵の一つです。最新の情報と専門家の助言を活用しつつ、税制改正の波を味方につけて、企業価値の向上と持続的な成長を実現していきましょう。

株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。