会社売却とは何か
会社売却とは、自社が保有する株式あるいは事業を第三者に譲渡することを指します。一般的には「M&A(Mergers and Acquisitions)」という表現で呼ばれることが多いです。会社売却は、単に自社を丸ごと売却するケースだけでなく、特定の事業部門や事業子会社を売却するケースも含まれます。たとえばオーナー社長が高齢となり後継者がいない場合や、事業の選択と集中のために一部事業を売却して収益源を絞る場合など、さまざまな局面で検討される手法です。
日本では中小企業の事業承継問題が深刻化しています。代表者が高齢になっても後継者が見つからず、黒字であるにもかかわらず会社を畳まざるを得ないケースが増えてきました。そのような状況を回避するために、会社売却が事業承継の一つの方法として注目されています。また、大企業によるスタートアップ買収の活発化など、外部環境の変化によって中小企業オーナーが会社売却を意識する機会も増えてきているのです。
一方で、会社売却は株式譲渡や事業譲渡などの形態があり、それぞれにメリット・デメリットや手続き上の違いがあります。売却を検討する際には、売却形態の違いをよく理解しておくことが重要です。また、売却金額(バリュエーション)をどのように算定するか、デューデリジェンス(買い手側が行う企業調査)への対応をどう進めるかなど、実務面で押さえておくべきポイントも多々存在します。
本記事では、会社売却の基本から具体的な流れ、注意点や成功に導くためのポイントまでを網羅的にご紹介していきます。初めて会社売却を検討されている方や、将来的な選択肢として知っておきたい方にとって、有益な情報を提供できれば幸いです。
会社売却を検討する主な理由
1. 後継者問題
日本の中小企業において最も深刻な課題のひとつが後継者不足です。オーナー社長の高齢化が進む一方、子どもや親族などに引き継ぎたいと思っていても、必ずしもその意欲や能力を備えた人材がいるとは限りません。さらに、親族外の社内人材に承継するにしても、長期的な育成や人材確保の困難さなど、ハードルが高い面があります。
そのような状況下で会社売却は、第三者に事業を譲渡することによって会社を存続させ、従業員の雇用や取引先との関係も維持していく手段となり得ます。後継者を探す時間と手間を大きく削減できるため、迅速かつスムーズに事業承継が可能です。また、オーナー社長にとっては株式売却によるまとまった資金を得られる点も大きなメリットといえます。
2. 事業の選択と集中
企業が複数の事業を展開している場合、収益性の低い事業を売却することで、より収益性の高いコア事業にリソースを集中させる戦略があります。経営資源を効率的に配分することで、自社の強みを伸ばし、競争力を高めることができます。特に経営環境が変化しやすい現代では、スピーディーな意思決定と戦略転換が求められるため、不要・不採算部門の売却は有効な手段となることが多いです。
3. 資金調達
新たな事業投資や大型プロジェクトに対しての資金が必要な場合、事業の一部を売却することで資金を得るケースもあります。会社売却といっても必ずしも100%の株式を譲渡するわけではなく、一部の株式や事業部門のみを売却し、資金調達とリスク分散を図る方法も存在します。これによって、経営の自由度を高めながら新たな分野への投資余力を確保できるのです。
4. 経営者のライフプラン
経営者も一個人としてライフステージが変わることがあります。たとえば定年退職のタイミングで会社売却をしてセミリタイア生活に入ったり、他の事業・投資に専念するために一度会社を手放してキャッシュ化することも考えられます。経営者が次のキャリアや人生のステージを見据えた際、会社売却は有力な選択肢の一つとなるのです。
会社売却の形態
会社売却とひとくちにいっても、実際にはさまざまな形態があります。代表的なものとしては、株式譲渡と事業譲渡の2つが挙げられます。
1. 株式譲渡
オーナーが保有する自社株(株式)を買い手に売却する形態です。買い手は株式を取得することで、その会社の経営権や全ての資産・負債・契約関係などを包括的に承継します。メリットとしては、個別の資産や負債を切り分ける手間がなく、スムーズに会社全体のバトンタッチができる点です。売り手にとっては、株式譲渡益が基本的には譲渡所得として扱われるため、税制面で恩恵がある場合があります。
一方でデメリットとしては、買い手にとっては会社の過去の負債やリスクをまとめて引き受けることになるため、デューデリジェンスを慎重に行わなければ思わぬリスクを負う可能性があります。また、株主構成が複雑な場合や、株式の譲渡制限がある場合は手続きが煩雑になることもあります。
2. 事業譲渡
特定の事業や資産、負債を切り出して買い手に譲渡する形態です。株式そのものは動かず、会社が持っている事業のみを売却することから、買い手は必要な資産や人員をピンポイントで獲得できるメリットがあります。たとえば優良顧客リストや工場設備、知的財産権など、買い手が欲しい事業資産だけを取得できるのです。
売り手からすると、必要な部分だけ売却して資金化し、残りの事業は手元に残すという選択も可能です。ただし手続きは株式譲渡に比べて煩雑になりがちです。なぜなら、売却対象の契約を個別に買い手に引き継ぐ必要があり、取引先などからの承諾が必要になるケースもあるからです。また、従業員の雇用契約についても別途手続きが発生するため、時間と手間がかかることが多いです。
会社売却のメリット
1. 事業承継の円滑化
会社売却によって、オーナー社長の高齢化や後継者不在といった課題を解消でき、事業を円滑に引き継ぐことが可能となります。これにより、従業員の雇用や取引先との関係が断絶するリスクを大きく減らせます。従業員にとっては、新たなオーナーのもとで働くことで、キャリアの継続や給与・待遇の維持が期待できる場合もあります。
2. 経営の継続・発展の可能性
買い手が資本力や技術力、人材ネットワークを持っている場合、事業のさらなる発展が期待できます。たとえば、大手企業に買収されることで、自社単独では実現できなかった新規プロジェクトや海外展開、研究開発などに着手できるようになるかもしれません。これは従業員や取引先にとってもプラスの効果をもたらします。
3. 大きな資金を得られる可能性
オーナー社長が株式を売却した場合、その対価としてまとまった現金を得られます。事業の売却価値が高いほど、オーナー個人にとっては大きな経済的リターンとなります。この資金をもとにセミリタイア生活を送ったり、新たな事業へ投資をしたり、あるいは個人的な資産運用に回すことも可能です。
4. リスクの軽減
会社を保有し続ける以上、経営環境の変化や業績不振などのリスクは常に存在します。会社売却によって経営リスクから解放されることで、オーナーは個人資産を守りながら次の人生設計を行う余裕が生まれます。また、家族に経営リスクを残さない点でも、会社売却を選択することには大きな意味があるといえます。
会社売却のデメリット
1. 経営権の喪失
当然ながら、会社を売却することでオーナーは経営権を失います。会社を自分自身でコントロールできなくなるため、思い入れの強い方にとっては心理的な抵抗が大きい場合があります。また、売却後もある程度一定期間は経営に関与し続けるケースもありますが、最終的には買い手の意向を優先しなければならず、従来のような自由な経営判断を行うことは難しくなります。
2. 従業員や取引先の反発リスク
会社売却は、従業員や取引先、顧客などステークホルダーにとっては大きな変化です。とくにオーナー経営が長く続いていた企業では、売却に対する感情的な反発が生じることがあります。また、取引先からは「経営者が変わることで取引条件が変わるのではないか」という懸念を抱かれるケースもあり、売却発表後に取引が縮小してしまう可能性もゼロではありません。こうした事態を防ぐために、売却過程では情報開示のタイミングやコミュニケーション方針などを慎重に検討する必要があります。
3. 秘密保持や競合参入リスク
買い手候補との交渉過程では、会社の財務情報や取引先リスト、技術情報など機密性の高い情報を開示せざるを得ません。通常は秘密保持契約(NDA)を結んで情報漏洩を防ぎますが、交渉相手が業界内の競合企業である場合には、デューデリジェンスや交渉において得た情報を悪用されるリスクもゼロではありません。交渉過程で情報開示する範囲やタイミングは慎重に見極める必要があります。
4. 売却条件が期待通りにならない可能性
会社の売却価値や契約条件が、オーナーの期待と合わないまま成立してしまうこともあります。また、途中で買い手側の都合や経営環境の変化によって条件が変わることもあり、最後まで安心できないのが実情です。売却プロセスに時間をかけすぎると、業績が悪化してバリュエーションが下がる可能性もあるため、「最適な売り時」を見定めて動くことが重要です。
会社売却の基本的な流れ
会社売却には一般的に以下のようなステップが存在します。大枠を理解しておくことで、準備や計画をスムーズに進めることができます。
- 方針決定・準備
- 売却理由の明確化
- 事前の社内外調整(後継者、主要ステークホルダーへの説明)
- 経営状況・財務状況の整理
- バリュエーション(企業価値評価)
- 自社のビジネスモデルや収益力、市場環境の分析
- 類似事例との比較や将来の収益予測
- 仲介会社やアドバイザーの選定
- M&A仲介会社、FA(フィナンシャルアドバイザー)、会計事務所、弁護士などの専門家チームを結成
- NDA締結の準備
- 買い手候補の探索・マッチング
- 仲介会社やネットワークを通じて潜在的買い手をリストアップ
- 買い手候補との初期的な打ち合わせ、意向表明の取り付け
- 意向表明書(LOI)・基本合意書の締結
- 大まかな譲渡条件(譲渡価格、支払い条件、スケジュールなど)の取り決め
- 排他交渉期間の設定など
- デューデリジェンス(買い手による詳細調査)
- 財務、税務、法務、人事、技術などの領域で細部を検証
- 会計士や弁護士、コンサルタントが中心となって実施
- 最終契約交渉・契約書締結
- 売買契約の条件(価格、支払いスケジュール、表明保証など)を詰める
- 株式譲渡契約(SPA)あるいは事業譲渡契約(APA)の締結
- クロージング・譲渡実行
- 株式や事業資産の譲渡手続き、資金決済
- 必要な許認可・届け出・社内外の周知
- PMI(Post-Merger Integration)
- 買収後の統合作業(システム統合、人事再編、ブランド統合など)
- 従業員や取引先との関係再構築
実際には企業の規模や事業内容、売り手と買い手の状況によって手順や必要となる作業が変わることもあります。しかし上記のフローを把握しておくことで、全体像をしっかり理解し、各ステップでどのような対応が必要になるかイメージしやすくなります。
バリュエーション(企業価値評価)のポイント
会社売却において最も気になる点の一つが「いくらで売れるのか」ということだと思います。そのためには客観的かつ合理的な根拠に基づいて企業価値を評価することが大切です。バリュエーションの主な手法として以下のような方法があります。
1. DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法)
将来に生み出すキャッシュフロー(営業キャッシュフローなど)を割り引いて現在価値に換算する方法です。将来的な収益性や事業計画をどのように見積もるかが鍵となります。買い手側の期待収益率(割引率)に大きく左右されるため、事業計画の信頼性やマーケット分析が重要です。
2. 類似企業比較法
同業種・類似規模の企業の株価や、類似企業の売買事例をもとに、自社の価値を類推する手法です。上場企業なら株価指標(PER、PBR、EV/EBITDAなど)を比較することもありますが、中小企業ではマッチする上場企業が見つかりにくいケースもあります。また、上場企業と非上場企業では投資家の流動性やリスクの取り方が異なるため、そのまま比較するのは難しい場合があります。
3. 純資産価額法
会社の貸借対照表上の純資産額(資産-負債)をもとに評価する方法です。資産価値を重視した評価方法であり、不動産や設備などの保有資産に大きな価値がある場合に使われます。逆に、知的財産やブランド価値などの無形資産は反映されにくいデメリットがあります。
4. 時価純資産法
貸借対照表上の資産・負債を時価ベースで修正し、その純資産額を計算する方法です。純資産価額法の改良版ともいえ、保有する不動産や株式などの資産を時価で再評価し、実態に近い価値を算出する手法です。
5. マルチプル法
売上高やEBITDA(利払い・税金・償却前利益)などの指標に一定の倍率(マルチプル)を掛けて企業価値を算定する方法です。業界ごとの平均マルチプルをもとに目安を決める場合が多く、市場のトレンドや他社のM&A事例によって倍率が変化します。
会社売却を成功させるためには、バリュエーションに対する理解と、買い手側の評価とのギャップをどのように埋めるかがポイントです。オーナーとしては自社に思い入れがある分、売却希望価格が高くなりがちですが、客観的な指標をもとに合理的な価格設定を行わないと、買い手がなかなか現れない、あるいは交渉が長期化してしまうリスクがあります。
買い手との交渉とデューデリジェンス
1. 買い手との初期交渉
買い手側が会社に興味を持った段階では、まず初期的な情報交換が行われます。このとき、売り手は企業概要や財務の概略などを提示し、買い手側が概算の売買価格や条件を検討します。ただし、機密情報が含まれる場合が多いため、秘密保持契約(NDA)を結ぶのが一般的です。
2. 意向表明書(LOI)と基本合意書
買い手側がある程度の興味を持ち、売り手側も条件に応じる用意がある場合は、意向表明書(Letter of Intent: LOI)や基本合意書を締結します。ここでは、大まかな譲渡価格やスケジュール、排他交渉期間などを定めます。排他交渉期間とは、その期間中は他の買い手候補との交渉を行わないことを意味します。
3. デューデリジェンス(DD)
LOIや基本合意書の締結後に、買い手は詳細なデューデリジェンスを行います。デューデリジェンスには主に以下の領域があります。
- 財務DD: 財務諸表や会計処理の妥当性を検証。債務超過や粉飾決算、未払費用などのリスク発見が目的。
- 税務DD: 法人税や消費税などの納税状況、過去の税務リスクの有無を確認。
- 法務DD: 契約書や許認可、知的財産権、人事・労務などの法的リスクを洗い出す。
- ビジネスDD: ビジネスモデルや市場環境、主要顧客・仕入先との関係性を評価。
- 人事DD: 組織図、給与体系、労働契約、福利厚生制度の実態を把握。
売り手側はこのデューデリジェンスに対応するために大量の資料準備や質問対応が必要となります。ここをスムーズに乗り越えるには、会社の内部情報を整理し、すぐに提示できるようにしておくことが大切です。
4. 交渉と最終契約書締結
デューデリジェンスの結果を踏まえて、買い手と売り手は最終的な譲渡価格や契約条件(表明保証、補償責任、誓約事項など)を交渉します。場合によってはデューデリジェンスで発覚したリスクを織り込んで売買価格が修正されることもあります。最終合意に達したら、売買契約書(株式譲渡契約書や事業譲渡契約書)を締結します。
仲介業者やアドバイザーを活用するメリット
会社売却のプロセスは複雑であり、専門知識や交渉スキルが求められます。そのため、多くのオーナー経営者はM&A仲介会社やアドバイザーを利用します。
1. 適切な買い手候補の探索
仲介業者は幅広いネットワークを持ち、多くの買い手候補との繋がりを有しています。自分で買い手を探すよりも効率的に、また機密を保ちながら買い手候補を見つけることが可能です。
2. 価格や条件交渉のサポート
客観的なバリュエーションの算定だけでなく、オーナーにとって有利な条件を引き出すための交渉ノウハウも提供してくれます。オーナーと買い手双方の間に立って調整役を担ってくれるため、直接の衝突を避けながら交渉を進めやすくなります。
3. 書類作成・デューデリジェンス対応
会社売却では、多数の書類を作成・精査する必要があります。仲介業者やアドバイザーは、必要書類のリストアップや情報整理、デューデリジェンス対応のサポートを行い、オーナーの負担を軽減します。
4. スムーズなスケジュール管理
会社売却は時間がかかりすぎるとリスクが高まります。仲介業者やアドバイザーは全体のスケジュールを管理し、合意に至るまでのプロセスを最適化することで、早期のクロージングを目指します。
成功させるためのポイント
1. 事前準備と情報整理
財務諸表や契約書、労務管理など社内の情報を整理し、いつでも開示できるようにしておきましょう。特に中小企業では、帳簿や契約書が整備されていないケースが少なくありません。情報が不透明だと買い手候補に不信感を与え、価格交渉でも不利になる可能性が高まります。
2. 自社の強みを明確化する
買い手側が最も重視するのは「買収後にいかに事業を伸ばせるか」という視点です。自社の強み(技術、ブランド、顧客基盤、ノウハウなど)を整理し、売却後にどのようなシナジーが期待できるかを明確に示せるようにしておくと、買い手候補の関心を高め、良い条件を引き出すことに繋がります。
3. 売り時を見極める
会社の業績がピークに近い時点や、業界が活況であるタイミングに売却を行うと、高いバリュエーションを得やすくなります。また、長期的に見て事業環境が厳しくなると予測される場合は、早めに売却を検討するのも一つの手段です。経営者としては会社を長く持ち続けたいという気持ちもあるかもしれませんが、客観的に今が最適な売り時なのかを判断する勇気も求められます。
4. ステークホルダーとのコミュニケーション
会社売却の情報が社外に漏れると、取引先や従業員の不安を煽り、業績悪化につながる場合があります。そのため、情報の取り扱いには十分注意が必要です。一方で、最終的には従業員や取引先への説明を行い、理解を得ることが不可欠です。コミュニケーションのタイミングや方法を間違えるとトラブルに発展する恐れもあるので、専門家の助言を仰ぎながら慎重に進めましょう。
5. 複数の買い手候補との交渉
価格や条件を適正に保ち、より良い条件を引き出すためには、複数の買い手候補との交渉が望ましいとされています。排他交渉期間に入る前に複数の候補と比較検討し、優位に立った状態で最終交渉に臨むことが理想的です。とはいえ、あまり多くの候補と同時進行すると情報管理が複雑になり、かえって手間やコストがかかってしまうので、バランスを取ることが重要です。
売却後の経営参加とPMI
会社売却はクロージングで終わりではありません。特に中小企業の売却では、売り手であるオーナー社長が一定期間、経営に留まるケースも珍しくありません。
1. オーナーの残留
買い手企業が事業のノウハウをスムーズに移転するために、オーナーや主要幹部が一定期間の経営継続を求めることがあります。これは従業員や取引先への混乱を避ける意味もあります。オーナーとしても、一定期間在籍することで売却後の会社の動向を見守り、従業員のケアができるというメリットがあります。
2. PMI(Post-Merger Integration)
買収後の統合作業をPMIと呼びます。組織構造や人事制度、システムなどを統合し、シナジーを最大限引き出すことが目的です。PMIがスムーズに進めば、買い手にとっての買収効果が大きくなり、結果的に従業員や取引先にもメリットをもたらすことが期待できます。一方で、統合に失敗すると、社内混乱が続いて業績が悪化するリスクもあるため、売り手側としても協力が求められるケースがあります。
税務や法務の留意点
会社売却にはさまざまな税務・法務の論点があります。ここでは主なポイントを簡潔にまとめます。
1. 譲渡所得の課税
オーナー社長が株式を譲渡する場合、譲渡所得には通常20%強(所得税+住民税)の税金がかかります(厳密には復興特別所得税も加わります)。ただし、事業規模や株主構成によっては特例制度が適用されるケースもあるので、早い段階で税理士に相談すると良いでしょう。
2. 事業譲渡と消費税
事業譲渡の場合は、譲渡資産の内容によって消費税がかかる場合があります。会社(法人)の株式譲渡であれば消費税はかかりませんが、事業譲渡では無形固定資産や商品在庫など、対象によって課税の有無が異なります。事前にしっかりと確認しておく必要があります。
3. 特許や商標などの知的財産権
知的財産を含めて売却する場合、譲渡契約の中で権利移転の方法や保証責任を明確に定めておく必要があります。特許・商標の名義変更や権利移転に伴う手続きは、法務局や特許庁への申請が必要なケースもあるため、専門家の助言を得ながら進めることが重要です。
4. 契約書の表明保証条項
売買契約書には、売り手が「会社に重大な法的瑕疵がないこと」を表明保証する条項が含まれます。もし表明保証と事実が異なる場合、売り手は買い手に対して損害賠償責任を負う可能性があります。そのため、契約書に署名する前にリスクとなり得るポイントはできるだけ洗い出し、契約条項を適切に調整しておくことが望まれます。
トラブル事例と対策
1. デューデリジェンスでのリスク発覚
デューデリジェンスの過程で、粉飾決算や隠れ債務、未払税金などの問題が発覚し、買い手が価格の引き下げや契約破棄を要求するケースがあります。こうしたリスクを避けるためには、事前に問題を洗い出して解決策を検討しておくことが重要です。また、過去の経理処理や税務申告を見直し、適切に修正申告や税務リスクの把握を行っておくと、交渉時に慌てず対応できます。
2. 従業員の反発
会社売却を知った従業員が、大きな不安を抱いて退職してしまうことがあります。キーマンとなる人材が流出すると、会社価値の低下にも繋がりかねません。これを防ぐためには、買い手と協力して従業員の待遇面や雇用継続などを事前に取り決め、会社売却の意図やメリットを丁寧に説明することが必要です。
3. 取引先との信頼関係の崩壊
取引先が会社売却を警戒して取引条件を変更したり、取引自体を停止したりするケースもあります。特に長年の付き合いがある中小企業間では、経営者との個人的な信頼関係が大きなウェイトを占めることも多いため、売却発表のタイミングや説明の仕方には十分注意が必要です。
4. 契約後の支払い遅延や未払い
譲渡対価の支払いを複数回に分割する場合、買い手側の資金調達トラブルや業績悪化などにより、後になって支払いが滞る事例も存在します。契約書で支払いスケジュールと違約時の取り扱い(遅延利息、契約解除、担保設定など)を明確に定めておくことが重要です。
会社売却をスムーズに進めるための心構え
会社売却はオーナーにとって大きなライフイベントです。成功に導くためには、以下のような心構えが必要です。
- 冷静な判断: 会社に対する愛着があるのは当然ですが、売却の際には客観的な視点で価値を判断し、交渉を進める必要があります。
- 専門家の活用: 仲介業者や会計士、弁護士などの専門家を積極的に活用し、複雑な問題を独力で抱え込まないようにしましょう。
- 情報開示のタイミング: 従業員や取引先への情報開示は慎重に行い、必要なタイミングと方法で適切にコミュニケーションを図りましょう。
- 長期的視野: 売却後の会社や従業員、取引先の将来にも目を向け、なるべくウィンウィンになるような条件を目指すと、結果としてトラブルを防ぎやすくなります。
まとめ
会社売却は、後継者問題の解決や資金調達、事業の選択と集中など、さまざまなメリットをもたらす可能性がある一方で、経営権の喪失や従業員の反発リスクなどのデメリットも存在します。成功させるためには、事前準備や情報整理、適切なアドバイザーの活用が欠かせません。
特に日本では少子高齢化の影響から事業承継問題が深刻化しており、会社売却はひとつの有効な事業承継手段として注目されています。とはいえ、売却が必ずしも正解とは限りません。オーナーが事業をどうしたいのか、どのように従業員の将来を考えるのかなど、経営理念やライフプランに照らし合わせて慎重に検討し、最適なタイミングで実行することが重要です。
また、一度売却を決断したならば、売り手・買い手双方が納得できるウィンウィンの関係を築くために、オープンかつ誠実な姿勢で臨むことが大切です。デューデリジェンスや交渉の過程では多くの手間と時間がかかりますが、透明性を高めることで買い手の信頼を得やすくなり、条件面でも有利に進められる可能性が高まります。
最後に、会社売却はあくまで経営戦略や事業承継の手段の一つであり、会社やオーナーの将来を切り開く選択肢となり得ます。正しい知識と準備、そして専門家との連携を通じて、納得のいく形で会社を次のステージに導いていただければ幸いです。
株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。