目次
  1. 1. はじめに
  2. 2. 株式譲渡と事業譲渡の概要
    1. 2-1. 株式譲渡とは
    2. 2-2. 事業譲渡とは
  3. 3. 株式譲渡の特徴
    1. 3-1. 手続面における特徴
    2. 3-2. 法的効果と範囲
    3. 3-3. 税務上のポイント
    4. 3-4. メリット・デメリット
  4. 4. 事業譲渡の特徴
    1. 4-1. 手続面における特徴
    2. 4-2. 法的効果と範囲
    3. 4-3. 税務上のポイント
    4. 4-4. メリット・デメリット
  5. 5. 株式譲渡と事業譲渡の比較
    1. 5-1. 法的観点からの比較
    2. 5-2. 税務観点からの比較
    3. 5-3. 従業員・契約関係への影響比較
    4. 5-4. リスク・メリット比較
  6. 6. 具体的事例
    1. 6-1. M&Aにおける株式譲渡の活用例
    2. 6-2. 事業譲渡を選択すべきケース
    3. 6-3. 株式譲渡から事業譲渡へ切り替えたケース
    4. 6-4. 事業譲渡から株式譲渡へ切り替えたケース
  7. 7. 手続の流れと実務上の留意点
    1. 7-1. 株式譲渡の実務フロー
    2. 7-2. 事業譲渡の実務フロー
    3. 7-3. 契約書の要点
    4. 7-4. 専門家への相談とチーム体制の構築
  8. 8. デューデリジェンス(DD)の重要性
    1. 8-1. DDの目的
    2. 8-2. 株式譲渡におけるDDのポイント
    3. 8-3. 事業譲渡におけるDDのポイント
    4. 8-4. DD結果を踏まえた交渉・価格調整
  9. 9. 買収価格の算定方法
    1. 9-1. 株式譲渡における評価方法
    2. 9-2. 事業譲渡における評価方法
    3. 9-3. 時価純資産法・DCF法・市場比較法など
    4. 9-4. 価格調整条項の活用
  10. 10. 契約後の統合作業(PMI)
    1. 10-1. PMIとは何か
    2. 10-2. PMIが求められる理由
    3. 10-3. 株式譲渡後のPMI
    4. 10-4. 事業譲渡後のPMI
  11. 11. まとめ

1. はじめに

企業の経営戦略や事業拡大の手段として、M&A(Mergers and Acquisitions:合併・買収)が注目されるようになって久しく、昨今ではスタートアップから老舗企業まで、さまざまな企業がM&Aを活用しています。M&Aというと「企業を買収する」「企業を売却する」といったイメージが先行しますが、その具体的なスキームとしては、代表的なものに株式譲渡事業譲渡があります。

一般的に、「企業を丸ごと買収する」イメージは株式譲渡で実現されることが多く、「特定の部門や事業だけを取得したい」という場合には事業譲渡が検討されます。しかし、実際のM&Aの現場では、法的リスクや税務上のメリット・デメリット、従業員の雇用承継や契約関係の引き継ぎなどを総合的に考慮しながら、双方にとって最適なスキームを検討していく必要があります。

本記事では、株式譲渡と事業譲渡の違いにフォーカスし、その概要から実務上の注意点に至るまで、できる限り包括的に解説します。なお、この記事では日本法を前提に解説しており、読者の方が実際にM&Aスキームを検討する際には、必ず弁護士・税理士などの専門家へご相談ください。


2. 株式譲渡と事業譲渡の概要

2-1. 株式譲渡とは

株式譲渡とは、企業(株主)が保有している対象会社の株式を、買い手(譲受人)が取得することによって経営権を移転させるスキームです。株式譲渡契約が締結され、譲渡代金を支払うと同時に株式の名義を移転することにより、買い手は対象会社の株主となります。株式譲渡が成立すれば、対象会社の資産や負債、契約関係、従業員との雇用関係はそのまま対象会社に残り、買い手は結果として“会社そのもの”を手に入れるイメージになります。

2-2. 事業譲渡とは

事業譲渡とは、会社が営んでいる特定の事業(有形・無形資産、契約関係、従業員などを含む、まとまりをもった事業全体)を、別会社に移転させる取引スキームです。会社法上、事業譲渡には特別決議が必要となるなど、法律で定められた手続きが存在します。譲渡会社(売り手)が行っている事業の全部または一部を、買い手が引き継ぎたい場合に用いられます。


3. 株式譲渡の特徴

3-1. 手続面における特徴

株式譲渡においては、株主総会の特別決議は必ずしも必要ではありません。通常、株主が株式を第三者へ譲渡する場合、会社法上の厳格な手続きは基本的に求められません。ただし、譲渡制限株式が発行されている場合は、会社の承認を得る必要があります。また、譲渡する側の株主が多数存在する場合や、株式譲渡に反対する株主がいる場合などは、契約スキームの組成に工夫が必要になることがあります。

実務的には、**株式譲渡契約書(Share Purchase Agreement:SPA)**を締結し、譲渡代金と株券(もしくは株式の電子記録)との引き渡しを行います。その際、デューデリジェンス(後述)に基づいて算定した企業価値をもとに、譲渡対価が決定されます。

3-2. 法的効果と範囲

株式譲渡の場合、会社はそのまま存続し、株主のみが変わります。つまり、対象会社の資産・負債・契約関係はすべて、株式譲渡の前後で何ら変わりません。従業員との雇用契約や取引先との契約なども、改めて締結し直す必要は通常ありません。この点は事業譲渡と大きく異なる部分です。

ただし、株式譲渡後に経営方針が大きく変わった場合、従業員の働き方や就業規則、取引先との契約条件などが変化する可能性はあります。また、株主が変わることにより、銀行からの融資条件や取締役の構成を見直す必要が出てくるケースも多々あります。

3-3. 税務上のポイント

株式譲渡時、譲渡益が売り手株主に対して課税されます。株主個人が保有していた株式を売却する場合には、譲渡益に対して**譲渡所得税(所得税及び住民税)**が課されます。税率は約20%前後(復興特別所得税を除けば20.315%など)ですが、譲渡価格や株主の状況によっては細かい取扱いがあります。

法人株主が保有する株式を売却する場合には、譲渡益に対して法人税が課されます。譲渡益=(株式売却価格 − 取得価額 − 譲渡費用等)となり、この利益が当該法人の課税所得に加算されます。結果的に法人税率が乗じられますが、会計上は繰越欠損金の有無なども絡み、最終的なキャッシュフローに大きく影響する場合があります。

3-4. メリット・デメリット

メリット

  1. 会社の存続:会社はそのまま存続するため、従業員の雇用契約や取引先との契約などはそのまま引き継がれる。
  2. 手続きの簡易さ:事業譲渡と比較すると、基本的な法的手続きがシンプル。
  3. 対象範囲:会社全体を一括して取得できるため、「この資産は欲しいが、あの負債は要らない」という選り好みが不要(または難しいが、そもそも全体を取得するというシンプルさ)。

デメリット

  1. 不要資産・負債の引き継ぎリスク:会社全体をそのまま引き継ぐため、簿外負債や潜在的なリスクも合わせて引き継ぐことになる。
  2. 必要に応じた再編コスト:株式譲渡後に、不要な事業や資産を切り離すために追加の組織再編が必要になる場合がある。
  3. 少数株主の問題:100%の株式取得をしない場合、少数株主の意向や権利を考慮せざるを得ない。

4. 事業譲渡の特徴

4-1. 手続面における特徴

事業譲渡を行う場合、会社法上の手続きが必要となります。譲渡会社(売り手)では株主総会の特別決議を要する場合が多く、また、買い手側でも株主総会決議が必要になるケースがあります(事業の重要な部分を取得する場合など)。手続きが株式譲渡よりも煩雑になりやすいのは、この会社法上の要件が関係しています。

加えて、事業譲渡においては、個別の資産・負債・契約の移転手続きが発生します。有形固定資産(工場や店舗の不動産など)の移転には不動産登記、知的財産権(商標権や特許権など)の移転には権利移転手続き、取引基本契約の移転には相手方の承諾、従業員の雇用契約承継には労働法上の注意が必要です。これらを一括して実施する必要があり、個別に契約書を巻き直すケースも多々あります。

4-2. 法的効果と範囲

事業譲渡では、原則として譲渡する事業に含まれる資産・負債・契約関係などを選択的に移転できることが特徴です。買い手としては、欲しい事業の資産・契約のみを引き継ぎ、不要な負債や不採算部門は譲り受けないというスキームが取りやすいのがメリットです。

しかし、包括的承継は起こらないという点に注意が必要です。事業譲渡では、譲渡の対象となる個々の権利義務を特定し、それぞれについて移転手続きが必要になります。また、従業員を引き継ぐには個別に同意を得る(実務的には、雇用契約を新規に締結するケースが多い)必要がありますし、取引先との契約も基本的には相手方の承諾が必要となります。

4-3. 税務上のポイント

事業譲渡においては、**譲渡会社(売り手)**側では、譲渡した資産と負債の差額に対して譲渡益が計上され、そこに法人税が課されることになります。株式譲渡と異なり、個人株主への譲渡所得税という形ではなく、法人としての譲渡益が発生するという点に留意が必要です。

買い手側では、取得した資産の取得価額を時価で計上できます。これは、いわゆるステップアップが可能になるため、減価償却費の増加や将来的な売却益の圧縮などのメリットがある場合があります。ただし、のれんの計上や償却の扱いなど、税務上複雑な論点が発生しやすいので、税理士などの専門家に相談しながら慎重に検討する必要があります。

4-4. メリット・デメリット

メリット

  1. 選別的承継:買い手は必要な資産・契約だけを取得することが可能。不要な負債などを引き継がずに済む。
  2. ステップアップ:買い手側では取得資産の時価評価が可能になり、減価償却費やのれんの償却など、税務上のメリットが得られるケースがある。
  3. リスク管理:簿外債務や法的リスクがあまり顕在化しにくい(ただし完全に避けられるわけではなく、契約書上での保証や補償、通知義務なども考慮する必要がある)。

デメリット

  1. 手続きの煩雑さ:会社法上の特別決議や個別資産・契約移転手続きなど、実務的負担が大きい。
  2. 承継できない契約のリスク:相手方が契約移転に同意しない場合、契約を引き継げない可能性がある。
  3. 従業員雇用承継の問題:従業員をまとめて引き継ぐことが株式譲渡のように自動ではなく、個別同意や新規雇用契約が必要になることが多い。

5. 株式譲渡と事業譲渡の比較

5-1. 法的観点からの比較

  • 株式譲渡:会社そのものを“箱”ごと買うイメージ。取締役会や株主総会の承認が不要(譲渡制限がある場合を除く)であるケースが多い。ただし、会社の負債・リスクをすべて承継する。
  • 事業譲渡:会社の一部(または全部)の事業を“切り出して”買うイメージ。会社法上の特別決議が必要であり、資産・負債・契約の個別移転手続きも発生する。

5-2. 税務観点からの比較

  • 株式譲渡
    • 売り手(個人株主)は譲渡所得税、法人株主なら法人税が課される。
    • 買い手は取得資産の簿価を対象会社の会計帳簿にそのまま引き継ぐことになり、資産のステップアップはできない。
  • 事業譲渡
    • 売り手(法人)に譲渡益が発生し、法人税が課される。
    • 買い手は取得資産を時価で計上でき、減価償却費の増加などのメリットを得る可能性がある。

5-3. 従業員・契約関係への影響比較

  • 株式譲渡:従業員との雇用契約も取引先との契約も、基本的に会社に紐づくので、自動的に承継される。ただし、経営方針の変更などで従業員や取引先との摩擦が起こるリスクはある。
  • 事業譲渡:従業員や契約を“選択”して引き継ぐことができるが、その分、相手方(従業員や取引先)の承諾を得る必要がある。また、承継手続きが煩雑になる場合が多い。

5-4. リスク・メリット比較

  • 株式譲渡
    • メリット:手続きが比較的簡易。会社を一括で取得するためスピーディ。
    • リスク:買い手がすべての潜在リスクを負う。後から不要な部門を切り出す場合に組織再編コストがかかる。
  • 事業譲渡
    • メリット:欲しい事業だけ取得可能。不要な負債やリスクをスキーム上排除しやすい。
    • リスク:法的手続きが煩雑。契約相手方の同意が必要。

6. 具体的事例

6-1. M&Aにおける株式譲渡の活用例

たとえば、A社(製造業)がB社(同業)の全株式を取得するケースを考えます。B社は長年続いた老舗で、固定顧客が多く、設備や従業員も充実しているが、現経営陣が高齢化して後継者がおらず、事業承継を考えている状況です。A社としては、B社のブランド力や営業網をそのまま活用したいと考える場合、株式譲渡によってB社をまるごと取得するのがスムーズです。

株式譲渡によりA社はB社を子会社化し、B社の既存の契約や雇用もそのまま承継できます。B社としては、株主が変わるだけで会社組織自体は存続するので、従業員も安心しやすく、取引先との混乱も最小限に抑えられます。ただし、株式譲渡時にはA社はB社の簿外債務や潜在的な法的リスクを抱えることになるため、事前のデューデリジェンスが重要になります。

6-2. 事業譲渡を選択すべきケース

C社(ITベンチャー)がD社(大手IT企業)に対し、自社が開発した特定のサービス事業だけを売却するケースが典型です。C社には複数の事業があり、その中で特に成長が見込まれていた新規サービスの一部だけを売却し、他の事業に経営資源を集中させたい意図があります。D社としては、その新規サービスの技術やユーザー基盤を取得し、自社の既存サービス群と統合してシナジーを得たいという狙いがあります。

事業譲渡を選べば、C社は売却したい事業のみを“切り出し”て譲渡し、不要な資産や負債はそのままC社に残すことができます。D社としても、必要な設備や従業員だけを引き継げるため、効率的です。ただし、一部の顧客との契約は譲渡に反対される可能性があるなど、個別交渉が必要になる点に注意が必要です。

6-3. 株式譲渡から事業譲渡へ切り替えたケース

実務上、当初は「株式譲渡」での買収を想定していたものの、デューデリジェンスの結果、対象会社に多額の潜在債務があることが判明したり、望ましくない契約が含まれているといったリスクが浮上することがあります。そうした場合、「不要なリスクは避けて、欲しい事業だけ切り出そう」という判断から、スキームを株式譲渡から事業譲渡に切り替えるケースがあります。

この切り替えによって、不要な負債やリスクを引き継がないようにできる一方で、事業譲渡の手続き上の煩雑さや、従業員・取引先の同意取得にかかる時間が増えるといったデメリットも発生します。

6-4. 事業譲渡から株式譲渡へ切り替えたケース

逆に、事業譲渡で特定の事業だけを取得したいと考えていた買い手が、売り手から「一部事業だけ切り出すのは手間もコストも大きいし、従業員の同意や契約先との交渉も煩雑。どうせなら株式を全部売却したほうがいい」と提案されることもあります。売り手が複数事業を抱えている場合や、社内で事業再編を進める余力がないといった事情から、最終的に株式譲渡での一括売却を選択する流れになる場合があります。


7. 手続の流れと実務上の留意点

7-1. 株式譲渡の実務フロー

  1. 意向表明(LOI, Letter of Intent):買い手と売り手が基本的な条件を整理し、譲渡価格の概算やスケジュールを確認する。
  2. デューデリジェンス(DD):買い手側で対象会社の財務・税務・法務・労務などを精査し、リスクや追加調整項目を洗い出す。
  3. 最終契約交渉:DD結果を踏まえ、最終的な譲渡価格や表明保証、補償条項などを詰める。
  4. 株式譲渡契約(SPA)の締結:契約書を締結し、クロージング条件(買い手側の融資の確保、関係官庁の許認可など)が整ったのちに株式を譲渡する。
  5. クロージング:買い手から譲渡代金が支払われ、株式の名義変更・発行株式の取得が行われる。
  6. PMI(統合プロセス):株式譲渡後、組織・人事・システム統合などを進める。

7-2. 事業譲渡の実務フロー

  1. 意向表明(MOU, Memorandum of Understanding):買い手と売り手が対象となる事業範囲、譲渡価格の概算、スケジュールなどを合意する。
  2. デューデリジェンス(DD):対象となる事業の財務・税務・法務・労務・ITなどを調査し、買い手が想定している事業価値とリスクを精査。
  3. 株主総会決議:譲渡会社では事業の重要な部分を譲渡する場合、株主総会の特別決議が必要。買い手側でも取得事業が重要であれば特別決議が必要になるケースがある。
  4. 事業譲渡契約(Business Transfer Agreement)の締結:移転対象の資産や負債、契約、従業員などを詳細に特定し、譲渡価格や表明保証、債務引受の有無などを定める。
  5. 個別移転手続き:不動産登記や知的財産権の移転、取引先への承諾依頼、従業員との契約締結など、実務的な作業が複数同時並行で進む。
  6. クロージング:事業譲渡契約に定められた条件が整い、代金の支払いと資産・契約等の移転が実行される。
  7. PMI(統合プロセス):新たに譲り受けた事業を買い手企業の組織やシステムに統合していく。

7-3. 契約書の要点

  • 株式譲渡契約書(SPA):表明保証条項(Representation & Warranty)、買い手や売り手の義務、クロージング前後の行為規制、解除条件、紛争解決条項などが定められる。
  • 事業譲渡契約書(BTA):移転対象の事業範囲(資産・負債・契約)、譲渡代金、同意取得や手続きの方法、表明保証、競業避止義務などが記載される。個別の契約書の巻き直しとセットになることも多い。

7-4. 専門家への相談とチーム体制の構築

株式譲渡や事業譲渡を実行する際には、弁護士(法務面)や税理士・公認会計士(財務・税務面)はもちろんのこと、金融機関やコンサルタントなど、多岐にわたる専門家が関わります。また、譲渡会社・譲受会社それぞれで担当チームを組成し、企業価値の算定やデューデリジェンス、交渉、契約書ドラフトのやり取りなどをスムーズに進める必要があります。特に事業譲渡では、個別の契約移転のための取引先交渉など、多くのステークホルダーが関わるため、社内外のリソースをしっかり確保することが成功のカギとなります。


8. デューデリジェンス(DD)の重要性

8-1. DDの目的

M&A取引における**デューデリジェンス(DD)**は、買い手が対象会社・対象事業の価値やリスクを把握するために行う包括的調査です。財務・税務・法務・労務・ビジネス・IT・環境など、多角的な観点から調査が行われ、取引価格や契約条件を交渉するうえでの重要な情報源となります。

8-2. 株式譲渡におけるDDのポイント

株式譲渡では、対象会社のすべての資産・負債やリスクを引き継ぐことになるため、調査範囲は広範にわたります。過去の訴訟リスク、潜在的な労務問題、環境リスク、税務上の未払問題などを見落とすと、買い手は思わぬ損失を被る可能性があります。そのため、十分な時間とリソースをかけて調査するのが一般的です。

8-3. 事業譲渡におけるDDのポイント

事業譲渡の場合は、原則として取得する事業範囲だけを対象にDDを行います。負債や契約も“選別”して引き継ぐとはいえ、後々のトラブルを避けるために、不要な負債やリスクが譲受されないように契約書でしっかり定義する必要があります。また、従業員の移籍にあたり、社会保険の手続きや雇用条件の調整などがスムーズにできるかどうかも注意を払うべきポイントです。

8-4. DD結果を踏まえた交渉・価格調整

DDの結果、想定していたよりもリスクや課題が多い場合には、買い手は譲渡価格の引き下げを交渉したり、**表明保証条項や補償条項(インデムニティ)**を手厚くするよう求めることがあります。売り手としては、不利な契約条件を避けるため、リスクへの対応策や補償の範囲・期間について粘り強い交渉を行います。場合によっては、前述のように株式譲渡から事業譲渡へ、あるいは事業譲渡から株式譲渡へスキームを変更することもあります。


9. 買収価格の算定方法

9-1. 株式譲渡における評価方法

株式譲渡では、「対象会社の株式価値=企業価値−有利子負債(ネットデット)」といった考え方をベースに、DCF(Discounted Cash Flow)法時価純資産法類似会社比較法などが用いられます。特に中小企業の場合は、「何年分の利益で回収できるか」というP/E倍率や「純資産の調整」によって評価されることが多いです。

9-2. 事業譲渡における評価方法

事業譲渡では、譲渡対象となる事業部分を評価します。DCF法事業の収益力をベースに評価するのが一般的です。また、簿価純資産にのれんを加算した金額で評価するケースもあります。のれんの評価が難しい場合は、将来の収益キャッシュフローをどの程度で見積もるかが価格交渉の争点になることが多いです。

9-3. 時価純資産法・DCF法・市場比較法など

  • 時価純資産法:対象会社や事業の資産・負債を時価に再評価し、その差額にのれんを加算して価格を算定する方法。
  • DCF法:将来予測されるキャッシュフローを割引率で現在価値に換算して合計し、企業(または事業)の価値を算出する方法。
  • 類似会社比較法:同業種や同規模の上場企業などと比較して、PER(株価収益率)やEBITDA倍率などを参考に価格を導く方法。

9-4. 価格調整条項の活用

M&A契約では、クロージングまでの間に対象会社の財務状況が変動するリスクを分担するために、価格調整条項(Price Adjustment Clause)が設けられることがあります。たとえば、ネットデット調整や運転資本の調整などを設定しておき、クロージング時に実際の財務数値を確認して譲渡価格を修正する仕組みです。これにより、買い手も売り手も極端に損をしないようにバランスを保てます。


10. 契約後の統合作業(PMI)

10-1. PMIとは何か

PMI(Post Merger Integration)は、M&A契約が成立した後に行う統合作業を指します。統合の範囲は、人事制度・給与体系・ITシステム・ブランド・オフィスレイアウトなど多岐にわたり、M&Aの成果を最大化するために欠かせないプロセスです。

10-2. PMIが求められる理由

M&Aを行っただけでは、単にオーナーシップが変わっただけであり、シナジー効果やコスト削減効果、ブランド力向上といったメリットを得るには、統合戦略の立案と実行が必要です。買収後の組織構造や業務プロセス、企業文化の融合をスムーズに進めることで、M&Aの目的を果たすことができます。

10-3. 株式譲渡後のPMI

株式譲渡後は、対象会社がそのまま存続するため、組織再編をどのように進めるかが大きな論点になります。社名を変更するのか、役員・管理職の配置をどうするのか、ITシステムを統合するのか、給与体系・人事制度を新たな親会社に合わせるのかなど、やるべきことは多岐にわたります。一方で、従業員や取引先への影響は最小限に抑えられることが多いです。

10-4. 事業譲渡後のPMI

事業譲渡の場合は、買い手企業の組織の一部として“取り込む”形になるため、PMIでは一体化した組織運営が求められます。従業員の受け入れやITシステムへの取り込み、取引先との契約関係の切り替えなどが実施されます。場合によっては、買い手企業の内部に新しいビジネスユニットとして組織を再編し、スムーズな統合を図ることもあります。


11. まとめ

株式譲渡と事業譲渡は、いずれも企業や事業を売買するうえで代表的なM&Aスキームです。株式譲渡は会社“そのもの”を買うイメージであり、比較的手続きがシンプルでスピーディですが、買い手が潜在リスクも含めてすべてを承継しなければならない点が特徴です。一方、事業譲渡は特定の事業だけを切り出して移転できるため、リスクや負債を選別しやすいメリットがある反面、会社法上の特別決議が必要になるほか、個別資産や契約の移転手続きが煩雑になるという課題があります。

また、税務上も両スキームで異なり、株式譲渡では売り手(株主)に譲渡所得税(または法人税)が課され、買い手は対象会社の簿価をそのまま引き継ぐのが基本です。事業譲渡では売り手(法人)に法人税が課されるほか、買い手は取得資産を時価評価できる場合があるため、のれんの計上や減価償却費の増加など、さまざまな税務メリット・デメリットが絡み合います。

実際のM&Aでは、デューデリジェンスでリスクを洗い出した上で、株式譲渡と事業譲渡のいずれが適切かを検討し、必要に応じてスキーム変更を行うこともあります。さらに、クロージング後の**PMI(統合)**をどう進めるかが、M&Aの成否を左右すると言っても過言ではありません。組織統合から人事制度統合、ブランドマネジメントなど、多岐にわたる統合作業を計画的に実行することで、初めて期待するシナジー効果を得られます。

本記事では、株式譲渡と事業譲渡の基本的な違いや、法的・税務的側面、手続きや実務フロー、PMIの概要などを概観してきました。どちらのスキームが優れているかはケースバイケースであり、対象会社(事業)の状況売り手・買い手双方の目的、リスク許容度などに応じて柔軟に決定されるべきです。具体的な取引にあたっては、必ず弁護士や税理士など専門家のアドバイスを受けながら、慎重かつスピーディに進めていくことを強くおすすめします。