序章:なぜ「M&Aによる売却」に注目が集まっているのか
近年、「M&Aによる事業売却」というキーワードが、多くの経営者や事業オーナーのあいだで注目を集めています。経営環境の変化や市場のグローバル化、人手不足や後継者問題など、企業を取り巻く状況は年々複雑さを増しているためです。そのような背景のなか、「会社を売る」「事業を売却する」という選択肢が、企業存続や事業成長のための有力な手段として認識されるようになってきました。
特に中小企業やスタートアップでも、M&A(Merger and Acquisition:合併・買収)による出口戦略が注目されています。たとえばベンチャー企業が大企業に買収されることでさらなる飛躍を目指すケースや、後継者不在の中小企業オーナーが自社を第三者に譲渡して従業員の雇用を守るケースなど、M&Aを活用した売却の方法は多様です。
しかしながら、M&Aで会社を売却するには、さまざまな準備や注意点があります。闇雲に買い手を探すだけではうまくいきませんし、M&Aアドバイザーや弁護士など、専門家のサポート体制も必要となります。また、売却価格の算定やデューデリジェンス(買い手による詳細調査)への対応は、ときに長期戦となることも珍しくありません。
本記事では、M&Aによる売却を検討するオーナー経営者の方に向けて、「M&A 売却 ポイント」を徹底解説してまいります。以下の内容を順を追って確認することで、企業や事業を売却する際の準備や注意点、成功に導くためのヒントが得られるはずです。
第1章:M&Aによる売却の基礎知識
1-1. M&Aとは何か
M&A(Merger and Acquisition)とは、企業の合併や買収に関わる行為全般を指します。具体的には、株式譲渡や事業譲渡などの形態があり、企業同士が統合するケース(合併)や、一方が他方を買収するケース(買収)など、多岐にわたります。日本では、後継者不足や事業承継問題などの解決策としてもM&Aが活用され、また大企業によるベンチャー・中小企業の買収も盛んになっています。
1-2. 事業売却・会社売却とは
M&Aのなかでも「売却」にフォーカスする場合、一般的には以下のような形態が考えられます。
- 株式譲渡(株式の売買)
株主が保有している株式を、第三者に売却する方法です。会社の経営権をまるごと買い手に渡すため、法人格はそのまま残ります。従業員や契約先との関係も基本的には継続します。 - 事業譲渡(事業の一部・全部の売買)
会社が営む事業そのものや、一部の事業部門を譲渡する方法です。通常は事業に関わる資産や負債、人材、取引先などをまとめて承継する形をとりますが、株式譲渡と比べて手続きは複雑化しやすい傾向があります。
この記事では、特に中小企業やオーナー企業が行うことの多い「株式譲渡」を中心に話を進めますが、「事業譲渡」との違いにも触れながら解説していきます。
1-3. M&Aで会社を売却するメリット
会社を売却するメリットは、大きく分けると以下のような点があります。
- 後継者問題の解決
後継者が見つからない、あるいは子どもに継がせるつもりはないが従業員の雇用を守りたい、といった場合にM&Aは有効な手段となります。買い手が引き継いでくれれば、事業を継続しつつ退任できるため、オーナー経営者の悩みを解消できます。 - 資産の最大化
企業オーナーにとって、会社の株式は大切な資産です。一定の価値をもって売却できれば、その対価を得ることができます。自社株式という流動性の低い資産を、現金や他の形態で保有できるようになり、資産管理上のメリットも生まれます。 - さらなる事業成長
大企業に買収されることで、買い手企業のリソース(資金、顧客基盤、人材など)を活用し、事業をより成長させることができます。特にベンチャー企業やスモールビジネスが大手の資金力を得て新たな市場へ進出するケースも多くみられます。 - リスク分散・戦略的撤退
市場や業界の構造変化が予想される場合、早めに売却してリスクを最小限に抑えることもあります。また、複数の事業を持つ企業がコア事業に集中するため、不要となった事業を売却するケースも戦略的撤退と呼ばれ、珍しくありません。
1-4. M&Aで会社を売却するデメリット・リスク
一方で、M&Aにはデメリットやリスクもあります。代表的なものは以下の通りです。
- 売却価格の期待と現実のギャップ
経営者にとって自社の価値は高く見積もりがちですが、市場の客観的な評価とは異なる場合があります。売却価格が期待よりも低いことも少なくありません。 - デューデリジェンスなどの負担
売却プロセスでは、買い手による詳細な調査(デューデリジェンス)が行われます。そこで追加資料の提出や、従業員への説明など、多くの時間と労力が必要になります。 - 情報漏えいのリスク
買い手候補が複数現れると、企業内部の機密情報が外部に広く渡ってしまう可能性があります。競合他社への情報流出を防ぐためにも、秘密保持契約(NDA)の締結などの対策が必須です。 - 従業員や取引先への影響
オーナーの退任や、親会社の意向によっては、従業員の待遇変更や取引先との関係が変わることもあります。売却後の環境変化が従業員のモチベーションに影響を与える可能性も考慮しなくてはなりません。
第2章:M&Aによる売却プロセスと全体の流れ
M&Aで会社を売却する際には、以下のようなプロセスを踏むのが一般的です。各ステップで重要なポイントを押さえておくことで、スムーズなM&Aを実現しやすくなります。
2-1. 事前準備・目的の明確化
M&Aを検討する前に、以下の点を明確にしておくとよいでしょう。
- なぜ売却を検討するのか(目的)
後継者不在のためなのか、資金化して次のビジネスに挑戦したいのか、あるいは企業のさらなる成長のためなのか。まずは売却の目的を明確にし、それに沿ったアクションプランを考えることが重要です。 - 目標とする売却形態(株式譲渡か事業譲渡か)
企業をまるごと売却する株式譲渡と、一部事業のみを譲渡する事業譲渡では手続きが異なります。想定するスキームをある程度絞っておくことで、その後の手続きがスムーズになります。 - 希望する売却価格・条件
漠然と「高く売りたい」だけではなく、「どの程度の価格や条件を想定しているか」を大まかに把握しておきます。ただし、実際の市場価格とはズレがある可能性も高い点は理解が必要です。
2-2. M&Aアドバイザーへの相談・専門家の選定
M&Aを進めるにあたり、M&Aアドバイザーや仲介会社、弁護士、公認会計士などの専門家のサポートを得るのが一般的です。特に以下のポイントに留意しながら、アドバイザーを選ぶとよいでしょう。
- 豊富な実績
過去にどのような業種・規模のM&Aを扱った経験があるかを確認します。中小企業向けが得意なアドバイザーもいれば、ITベンチャーに強いアドバイザーなどもいます。 - 手数料体系の明確さ
着手金やリテイナーフィー(顧問料)、成功報酬の割合など、料金体系を事前に理解しておくことが重要です。手数料は企業規模やM&Aスキームによって異なります。 - コミュニケーション能力・相性
M&Aのプロセスは長期間にわたる場合が多いため、担当アドバイザーとの相性も大切です。疑問点を適宜解消でき、気軽に相談できる関係が望ましいでしょう。
2-3. 売り手企業のバリュエーション(企業価値評価)
M&Aを進めるには、まず自社の大まかな価値を試算する必要があります。これを「バリュエーション」と呼び、一般的には下記の手法を用います。
- DCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)
将来のキャッシュフローを割り引いて現在価値を求める方法です。将来の収益力や投資リスクを考慮するため、ベンチャー企業から大手企業まで広く使われます。 - 類似会社比較法
同業種・類似規模の企業の株価倍率(PER、EV/EBITDA など)を参考に、相対的な価値を算出する方法です。市場での客観的な評価が反映されやすいメリットがあります。 - 純資産価額法
簿価や時価ベースの純資産から企業価値を算定する方法です。主に不動産業など資産性が重視される企業で利用されることが多いです。
実際には複数の手法を組み合わせ、最終的に交渉で落としどころを見つける形が一般的です。
2-4. 買い手候補のリストアップ・打診
売り手企業の魅力を最大限伝えるために、買い手候補に対して企業情報をまとめた「ティーザー(概要資料)」を提示します。ティーザーには企業名を伏せた状態で、事業内容や財務状況、売上規模などが記載されるのが通例です。M&Aアドバイザーは買い手候補をリストアップし、秘密保持契約(NDA)を結んだうえで詳細情報を開示していきます。
買い手候補が興味を示したら、マネジメントインタビューなどを通じてトップ同士が面談を行い、シナジーや売却条件について検討を深めていきます。この段階で買い手側と相性が悪かったり、条件が折り合わない場合は次の候補に移ります。
2-5. LOI(基本合意書)の締結
買い手候補との交渉が進み、ある程度の合意見込みが得られたら、LOI(Letter of Intent:基本合意書)を締結します。LOIには以下のような内容が含まれます。
- 売買価格の目安
確定ではなくあくまで目安ですが、最終的な価格を決めるうえで基準となります。 - 売買スキーム(株式譲渡か事業譲渡か)
どのような形で売却するかを明記します。 - デューデリジェンスの範囲・スケジュール
デューデリジェンスをどの程度行うか、いつまでに終えるかを定めます。 - 独占交渉権
一定期間においては他社との交渉を控える「独占交渉権」を設けることがあります。買い手が他社との交渉を避け、集中して調査・交渉できるようにするためです。
LOIは、最終的な契約ほどの拘束力はありませんが、主要な条件を確かめ合ううえで重要なステップとなります。
2-6. デューデリジェンス(DD)
LOIを締結した後、買い手は売り手企業に対して詳細な調査を行います。これをデューデリジェンス(DD)と呼びます。一般的な調査分野は以下の通りです。
- 財務デューデリジェンス
決算書や帳簿、資金繰り表などから、企業の財務体質や収益構造を調査します。利益が過大計上されていないか、不正会計はないかなど、厳密にチェックされます。 - 税務デューデリジェンス
過去の税務申告に誤りがないか、未払い税金のリスクはないかなどを調べます。 - 法務デューデリジェンス
契約書や許認可、知的財産権、従業員との雇用契約など法的リスクがないかを確認します。コンプライアンスの状況もここで詳しく調査されます。 - ビジネスデューデリジェンス
市場環境や顧客構成、競合状況など、事業そのものの将来性や強み・弱みを確認します。
デューデリジェンスの結果、買い手は企業価値を再評価し、最終的な売買価格やその他条件を調整します。不利な事実や潜在的なリスクが判明した場合は、価格の引き下げや条件変更が生じることもあります。
2-7. 最終契約の締結・クロージング
デューデリジェンスが終了し、最終的な売買価格や諸条件に合意が得られたら、「株式譲渡契約書」や「事業譲渡契約書」といった最終契約を結びます。ここで定められる内容は、売買価格や支払い方法、表明保証、契約違反時のペナルティなど多岐にわたります。
契約締結後、支払いと同時に株式(または事業)を引き渡すクロージングを迎えて、M&Aによる売却は完了となります。必要に応じて関係各所への届け出や許認可手続きなども進める必要があります。
第3章:M&Aによる売却を成功させるためのポイント
ここからは、M&Aの各プロセスにおいて、売り手企業が押さえておくべきポイントを詳しく見ていきます。
3-1. 早めの準備が肝心
M&Aによる売却を思い立ってからすぐに交渉をスタートすると、買い手からのデューデリジェンスに十分対応できない可能性が高まります。企業内部のドキュメント整理や簿外債務の洗い出しなどは時間がかかるため、最低でも1~2年前から準備を始めることが望ましいです。
3-2. 自社の強み・弱みを正しく理解する
買い手にとっては、売り手企業のビジネス上の強み・弱みが、M&A後の経営に大きく影響します。たとえば以下の観点で、自社を客観視することが重要です。
- 他社にはない技術力やブランド力はあるか
- 従業員のスキルや忠誠度はどれほどか
- 主要顧客は一社に偏っていないか
- 業界やマーケットの成長性はあるか
強みをアピールするのはもちろん、弱みを把握したうえで対策案を示せると、買い手との信頼関係が深まりやすくなります。
3-3. 適切な企業価値評価と売却価格の設定
自社のバリュエーションをあまりに高く設定しすぎると、買い手が興味を失う可能性があります。一方で、過小評価してしまうとオーナー側の利益を損なうことになりかねません。アドバイザーの意見を踏まえながら、根拠のある売却価格を設定しておくことが重要です。
3-4. デューデリジェンスへの準備・対応
デューデリジェンスでは、買い手が自社のあらゆるリスクや真の価値を見極めようとします。以下のように準備しておくとスムーズです。
- 財務諸表や補足資料の整合性をチェック
特に棚卸資産や貸倒引当金、固定資産の減価償却などに問題がないか再確認します。 - 契約書や許認可関連書類の整理
取引先との基本契約や労働契約、知的財産権などの資料を体系的に管理しておきます。 - リスク情報の開示
訴訟リスクや過去の不祥事、リコールなどがあれば、あらかじめアドバイザーと相談して開示方法を決めておきます。隠すと後々トラブルになる可能性が高いです。
3-5. 従業員・ステークホルダーへの配慮
M&Aによる売却の情報が社内外に伝わると、従業員や取引先、金融機関などが不安を抱き始めることがあります。情報は基本的に秘密保持が前提ですが、クロージング後や直前に公表するとしても、誠実かつ分かりやすい説明を心がけましょう。事業が継続されることや従業員の雇用方針など、安心材料を伝えることが大切です。
3-6. ネゴシエーションのポイント
M&A交渉では、価格だけではなく諸条件の折り合いも重要です。たとえば売り手オーナーの退任時期や、役員・従業員の処遇、売却後の競業避止義務など、さまざまな論点があります。焦らず段階的に交渉を進め、合意可能なラインを探っていきます。
第4章:M&Aアドバイザーの役割と活用方法
4-1. M&Aアドバイザーの主な役割
M&Aアドバイザー(仲介会社やFA会社)は、売り手と買い手のマッチングや交渉支援を行い、契約締結・クロージングまでをサポートします。具体的には以下のような業務を担います。
- 企業価値評価のサポート
売り手企業の財務諸表や事業内容を踏まえ、バリュエーションのたたき台を作成します。 - 買い手候補のリストアップ・アプローチ
既存のネットワークや市場調査を通じて、戦略的に相性の良い買い手を探します。 - 交渉・スケジュール管理
基本合意書や最終契約の策定をサポートし、買い手とのコミュニケーションを円滑に進めます。 - デューデリジェンス対応
買い手から要求される資料やヒアリング事項に関し、整理・取りまとめを行います。
4-2. アドバイザーとの上手な付き合い方
M&Aアドバイザーとの協力関係を築くには、以下のポイントを意識することが大切です。
- 情報を正直に開示する
問題点やリスクを隠さず共有することで、アドバイザーは適切な対策を立てられます。後から発覚すると、交渉が破綻するリスクが高まります。 - 共通の目標を設定する
「いつまでにクロージングを目指すか」など、双方が共有できるゴールを設定し、プロセスを管理します。 - 成功報酬の条件を確認する
成功報酬は売却価格に応じて変動するのが一般的です。売却価格が高まるほどアドバイザーの成功報酬も増える仕組みが多いため、アドバイザーも高値売却にコミットしやすい反面、売り手の希望と乖離しないよう事前にルールを取り決めておきます。 - アドバイザー任せにしすぎない
最終的な意思決定は経営者自身が行うものです。アドバイザーは助言をしてくれますが、すべてを丸投げしてしまうと、売り手側の意図しない条件が取り決められるリスクもあります。
第5章:売却後の流れと注意点
5-1. クロージング後の役員・従業員の扱い
クロージング後は、新オーナーあるいは買い手企業の意向が企業運営の中心となります。多くの場合、売却後も一定期間は旧オーナーが顧問や取締役として残り、円滑な引き継ぎを行うことが一般的です。従業員の待遇や配置転換などが実施される場合もあるため、売却前に買い手とよく打ち合わせをしておきましょう。
5-2. EARN-OUT(アーンアウト)契約
一部のM&Aでは、売り手オーナーのモチベーションを維持するために、EARN-OUT契約が設定されることがあります。これは、売却後一定期間の業績に応じて追加の売却対価を支払う仕組みです。たとえば「3年間の売上成長率に応じて追加報酬を支払う」といった形で設定されます。買い手としては、オーナーが売却後も事業にコミットし、業績を伸ばすインセンティブを作るメリットがあります。
5-3. 売却益の税務処理
M&Aによる売却益には、税金がかかります。個人株主が保有していた株式を売却した場合は、譲渡所得税(所得税と住民税合わせて約20%)が課税されるのが一般的です。ただし、事業承継税制や特例措置が適用できる場合もあるので、税理士と相談して最適なスキームを検討することをおすすめします。
5-4. 売却後のライフプラン
売却によって得た資金を、今後どのように活用するかは経営者個人のライフプランに大きく影響します。たとえばセカンドキャリアを築くのか、別のベンチャーに投資するのか、あるいはゆったりリタイアするのか。それぞれに必要な資金やリスクマネジメントがありますので、ファイナンシャルプランナーや税理士などの専門家に早めに相談しておくと安心です。
第6章:よくある質問(FAQ)と対策
6-1. 質問1:「後継者がいない場合、M&A以外にどんな選択肢がありますか?」
後継者問題に対しては、M&A以外にも事業承継ファンドに出資してもらい、経営を立て直す方法や、従業員によるMBO(マネジメント・バイアウト)などの選択肢があります。しかし、多くの場合、社外の企業に買収してもらうほうが資金面・経営面でメリットが大きいことが多く、結果的に第三者へのM&Aに落ち着くケースは少なくありません。
6-2. 質問2:「自分の会社の売却価格がどれくらいになるか知りたいのですが?」
正確な売却価格を算定するには、バリュエーションを行い、買い手との交渉を経なければなりません。会社の純資産やキャッシュフロー、将来の成長性など、多面的に評価して初めて価格が固まります。大まかな目安を知りたい場合は、M&A仲介会社の無料相談やオンライン上の査定ツールを活用するとよいでしょう。
6-3. 質問3:「機密情報が漏れるのが怖いです。どうすれば防げますか?」
M&A交渉の初期段階で、買い手候補とは**秘密保持契約(NDA)**を締結します。これにより、目的外での情報利用や第三者への漏えいが起こった場合、損害賠償請求が可能になります。また、企業名を伏せたティーザーを先に提示し、一定の興味を示した買い手候補だけに詳細情報を開示するといった段階的なアプローチも一般的です。
6-4. 質問4:「希望通りの高値で売却するにはどうすればいいですか?」
高値での売却を目指すには、まず企業価値を高める経営施策が大切です。具体的には、財務体質の改善や新規事業の開発、主要顧客の拡大などが挙げられます。加えて、複数の買い手候補を競わせることで、価格を引き上げる交渉が行いやすくなります。しかし、あまりに無理な価格設定をすると買い手が逃げてしまうリスクもあるため、バランスが重要です。
6-5. 質問5:「売却までにどのくらいの期間がかかりますか?」
会社規模や条件にもよりますが、平均的には1年程度をみておくとよいでしょう。小規模案件なら半年ほどで決まることもありますが、買い手との相性やデューデリジェンスの難航、契約交渉の長期化など、要因はいくつも考えられます。余裕を持ったスケジュールで取り組むことが望ましいです。
第7章:M&A売却の具体的ケーススタディ
7-1. 後継者不在の製造業が大手メーカーに買収された例
ある中小規模の製造業A社(従業員50名)は、社長の高齢化と後継者不在に悩んでいました。そこでM&A仲介会社に相談し、複数の国内メーカーに打診したところ、大手メーカーB社が手を挙げました。B社としてはA社の独自技術を取り込むことで自社製品ラインナップを強化したい狙いがありました。交渉の結果、株式譲渡による売却が決まり、A社の社長は一定期間アドバイザーとして残りながら円滑な事業引き継ぎを行いました。
このケースでは、売り手企業の独自技術という強みが大手の買い手候補を引きつけ、高い売却価格を実現する要因となりました。また、従業員も引き続き雇用が維持される形でM&Aが成立したため、社長の安心感にもつながりました。
7-2. スタートアップがベンチャーキャピタルや大企業に買収された例
IT系のスタートアップC社は、シリーズBまでベンチャーキャピタルから出資を受けて急成長していました。しかし、経営者はさらなる資金調達による成長よりも、大手企業とのシナジーで事業拡大を狙う方が得策と判断。複数のIT大手と協議し、最終的にはD社の子会社となる形でM&Aが完了しました。
C社としては買い手の資金力や営業ネットワークを活用して自社のサービスを拡充でき、D社としてはC社の技術や若い人材を取り込み、イノベーション加速を期待できるWin-Winの関係となりました。買収金額の一部は現金、残りはD社の株式で支払われ、C社の経営陣は一定期間経営に残ることでアーンアウトを得る契約となりました。
第8章:M&A売却におけるトラブル事例と回避策
8-1. トラブル1:デューデリジェンスで不利な情報が後出しされた
売り手企業が債務超過状態や取引先との重大なトラブルを隠していたことがデューデリジェンスで発覚し、買い手が交渉を打ち切るケースがあります。これを回避するには、重要なリスクや不利情報は早めに開示することが不可欠です。隠しても後から必ず発覚するため、かえって買い手の信頼を損ね、破談につながる可能性が高いです。
8-2. トラブル2:従業員の大量離職
M&Aの噂が流れ、従業員が将来を不安視して退職してしまうケースがあります。これを回避するには、情報漏えいを防ぎながら、適切な時期に誠実に説明することが大切です。新しいオーナー体制でも雇用が維持される方針を示したり、待遇面の変更がないことを早めに告知することで、離職リスクを軽減できます。
8-3. トラブル3:価格交渉の決裂
買い手はできるだけ安く買いたい、売り手は高く売りたいという利害対立が生じやすいのがM&A交渉です。デューデリジェンスの結果、買い手が当初提示した価格を下げてくる場合もあります。これに対して売り手が応じられない場合、交渉は決裂してしまいます。回避策としては、あらかじめ価格交渉の幅を想定しておく、あるいは複数の買い手候補を検討することで買い手側の過度な値引き要請を防ぐことが有効です。
8-4. トラブル4:クロージング直前の外部要因
契約締結間近に市場環境が激変したり、規制が強化されたりして、買い手が辞退を検討するケースもあり得ます。たとえば、新型感染症や大きな天災などで業界全体の需要が落ち込むと、買い手企業の投資余力がなくなることがあります。これを完全に防ぐことは難しいですが、長期的な視点で売却スケジュールを立案し、複数の候補にアプローチしておくなどのリスクヘッジが考えられます。
第9章:今後のM&A市場動向と売り手のチャンス
日本国内では、人口減少や後継者不足が深刻化しており、中小企業のM&Aは今後ますます増加する見込みです。また、大企業側も新規事業の創出や海外展開への足がかりとして、成長性のある中小企業やスタートアップの買収を積極的に検討しています。ITやヘルスケア、環境分野など、社会的ニーズが高まる業種では、高い評価額がつく可能性も十分にあります。
さらに、近年はアジアや欧米の海外企業が日本国内の企業を買収するケースも増えており、売り手にとっては選択肢が広がる好機といえます。一方で、海外企業との交渉には言語や文化の違い、法制度の理解などのハードルがあるため、国際的なM&Aアドバイザーの協力がより重要になってきます。
第10章:まとめ – 「M&A 売却 ポイント」を押さえて最良の選択を
長きにわたり解説してきましたが、M&Aによる売却は、オーナー経営者にとって人生を左右する大きな決断となります。以下に本記事の要点をまとめます。
- 事前準備・目的の明確化が大切
なぜ売却するのか、どのような形態や条件を望むのかを明確にすることで、戦略的な交渉が可能になります。 - 専門家を活用する
M&Aアドバイザーや弁護士、税理士などの専門家の力を借りて、正確なバリュエーションやトラブル回避を図りましょう。 - 自社の強み・弱みを正しく理解し、バリュエーションを設定する
相場観を持ち、交渉の余地を残しつつも根拠のある売却価格を提示することが重要です。 - デューデリジェンスへの対応を徹底する
情報開示やリスク管理を適切に行い、買い手の信頼を勝ち取りましょう。 - ステークホルダーへの配慮を忘れない
従業員や取引先などに対して、誠実かつタイミングを見計らった情報共有を心がけることが、売却後のトラブル防止につながります。 - 売却後の人生設計も考慮する
M&Aはゴールではなく、新たな人生のスタートでもあります。税務や資産運用、セカンドキャリアを視野に入れ、計画的に売却の利益を活用しましょう。
M&Aを活用することで、企業オーナーは自らの事業を次のステージへとバトンタッチしつつ、財務的にも大きなリターンを得られる可能性があります。一方で、情報戦や交渉戦略、専門家の活用など、押さえるべきポイントは多岐にわたります。本記事で取り上げた「M&A 売却 ポイント」を参考に、ぜひ最適な売却戦略を立てていただければ幸いです。
株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。