1. はじめに
スタートアップのM&Aは、近年ますます注目されるトピックとなっています。かつては大企業が同業種や関連業種の企業を買収する「大型買収」が主体でしたが、IT技術の急速な進歩や新興ベンチャーの台頭により、スタートアップ買収という概念が大きくクローズアップされています。これによって、スタートアップがどのように買い手企業のシナジーに貢献し、どのように高いバリュエーションを獲得できるのかが、世の中の注目の的となっています。
特に売却金額は、スタートアップ創業者や初期投資家にとっての経済的リターンを象徴する重要な数字です。高額売却により得られる成功体験は、次の起業家や投資家の参入意欲を高め、さらなるエコシステムの成長を促す重要な要素となります。一方で、M&Aに至るプロセスは複雑であり、バリュエーションの算定、買い手・売り手間の交渉、デューデリジェンスなど、多くのステップを経る必要があります。そのうえで、実際にどのような要因が売却金額に影響を与え、最終的な価格が決定されるのかについては、多くのスタートアップ経営者が知りたいポイントでしょう。
本記事では、スタートアップのM&Aにおける売却金額をテーマに、M&A全体の流れからバリュエーションの方法、価格に影響を及ぼす要因、実際の交渉のコツ、そして税務・法務の留意点までを幅広く解説します。スタートアップを経営する方や、将来エグジット(出口戦略)を考えている方にとってはもちろんのこと、スタートアップに投資するベンチャーキャピタル(VC)やエンジェル投資家、あるいは大企業側で将来の買収を検討されている方にとっても、本記事が一つの総合的なガイドとなることを願っています。
2. スタートアップにおけるM&Aの概要
2-1. スタートアップとM&Aの関係
スタートアップのビジネスにおいては、創業から短期間で成長を遂げることが期待されます。多くのスタートアップは、イノベーションや先端技術、あるいは斬新なビジネスモデルを武器に市場を開拓し、短期間で大企業や既存のプレイヤーのシェアを脅かす存在となる可能性を秘めています。一方で、これらのスタートアップが一定の事業規模に成長した後、さらなる成長資金を調達したり、大企業のリソースを活用したりするために選択肢の一つとして**M&A(買収されること)**があります。
スタートアップ創業者にとって、M&Aによるエグジット(投資回収)は非常に一般的な戦略です。上場(IPO)とは異なり、M&Aによるエグジットはスピーディであり、上場準備にともなう厳しい審査や長期的な手続きが不要です。そのため、早期に事業を次の段階へ引き継ぎ、創業者自身は新たなビジネスに挑戦できる利点もあります。
2-2. スタートアップがM&Aを選択する理由
スタートアップがM&Aを選択する理由は大きく分けて下記のように整理できます。
- 資金調達手段
IPOやベンチャーキャピタルからの増資だけではなく、買収先の大企業が持つ潤沢なキャッシュを活用できる場合があります。これによってスタートアップは、大幅な資本増強を図ることができます。 - 大企業のリソース活用
大企業の顧客基盤や営業チャネル、さらにはブランド力など、スタートアップ単独では手に入れにくいリソースが得られ、事業シナジーを期待できます。 - 創業者・投資家のリターン確定
創業者や初期投資家は、M&Aによってキャッシュを手にすることでリターンを確定できます。これにより、新たな事業へ投資したり、個人的な資産形成をしたりすることが可能です。 - 競合排除や防衛
競合するスタートアップや技術を買収することにより、大企業側が自社の事業を守ったり、新規分野を効率的に取り込んだりする意図もあります。
2-3. バイアウトとエグジット
スタートアップがM&Aによって買収される場合、創業者や投資家にとっての**“エグジット”の一形態となります。一般的に「バイアウト(Buyout)」とも呼ばれることがありますが、これは買い手がスタートアップの発行済株式の一部または全部を買い取ることで経営権を取得する動きを指します。買収形態としては株式譲渡や事業譲渡**、あるいは合併など、法的にいくつかの選択肢がありますが、最終的には「売却によって経営権を移転する」点が共通しています。
3. スタートアップの売却金額が注目される背景
3-1. VC(ベンチャーキャピタル)やエンジェル投資家の存在
スタートアップのエコシステムにおいて、VCやエンジェル投資家は欠かせない存在です。彼らはハイリスク・ハイリターンを前提にスタートアップへ投資を行い、そのリターンをIPOやM&Aで回収することを目指します。特にM&Aによる回収は、IPOよりも短期間でのリターンを得られる場合があり、投資家からすると魅力的な出口戦略となります。結果的に、高額売却が実現した事例が広く報道されることで、スタートアップ界隈全体の活性化にもつながります。
3-2. 海外大手企業との競合・買収
GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)などの海外テック企業は、テクノロジー業界の新興勢力を積極的に買収することで、イノベーションを内製化あるいは買収による取り込みを行っています。スタートアップ側からすると、シリコンバレーなどグローバル企業を相手にした大型バイアウトの可能性が見込めるため、あえて海外市場へ挑戦し、大企業との接点を探るケースも増えています。結果として、海外からの買収オファーが高額化する傾向があり、日本国内のスタートアップが比較的高値で買収される事例も出てきています。
3-3. テクノロジー業界の急速な変化
AI、ブロックチェーン、IoT、バイオテクノロジーなど、新しいテクノロジーが次々と台頭する時代においては、大企業が新規技術を内製するよりも、有望なスタートアップを買収して短期間で自社のアセットに取り込む方が合理的な場合が多くなっています。こうした動きがスタートアップの売却金額を押し上げる要因となっており、特に最先端技術を持つスタートアップは、比較的早期の段階で数十億円から数百億円の評価を得ることもしばしば見られます。
4. 売却金額算定に関する基礎概念
4-1. バリュエーション(企業価値評価)とは
M&Aにおいて売却金額がどのように決まるかを語る際に、まず理解しておきたいのがバリュエーション(Valuation)という概念です。バリュエーションとは、対象企業の価値を数値的に評価する手続き全般を指し、買い手・売り手の交渉において出発点となる基準価値を導き出すために用いられます。
スタートアップのバリュエーションは、伝統的な安定企業の評価とは異なり、将来の成長性やイノベーションの可能性が重視される傾向にあります。スタートアップでは売上や利益がまだ大きくない場合が多いため、将来キャッシュフローの見込みや市場の拡大可能性、チームの実績など、定性的な要素も評価に取り込む必要があります。
4-2. バリュエーションに使われる主な手法
企業価値算定の手法は多数存在しますが、一般的に用いられる代表的なものを紹介します。
4-2-1. DCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)
DCF(Discounted Cash Flow)法は、将来発生するであろうキャッシュフローを割引率で現在価値に置き直して合計することで企業価値を算出する方法です。スタートアップの場合、将来のキャッシュフローが未知数な部分も多いため、事業計画の精緻度とリスク評価がカギを握ります。割引率の設定も重要で、一般的にはリスクの高いスタートアップほど高い割引率を適用します。
4-2-2. マルチプル法(類似企業比較法)
マルチプル法は、類似上場企業や同業他社の買収事例と比較することで、大まかな企業価値を推定する方法です。たとえば、売上の何倍、EBITDA(利払い・税引き・償却前利益)の何倍、といった指標を用います。スタートアップではEBITDAが赤字の場合もあるため、ユーザー数やユニットエコノミクスなど、業種特有のKPIを指標とする場合もあります。
4-2-3. 時価純資産法(NAV)
主に固定資産や有形資産が大きい伝統的企業に用いられる手法ですが、スタートアップにおいても特許やライセンスなどを一定の評価で資産計上する場合に参照されることがあります。ただし、スタートアップに有形資産が少ない場合はNAVがほとんど参考にならないケースも多いです。
4-2-4. その他の手法
特許や知的財産、そのほか事業上のシナジー効果を数値化するためにリアルオプションという手法を用いたり、買い手企業が自社のP/L・B/Sへの取り込み後を想定して事業シナジー分を加味した上乗せバリュエーションを独自算定する場合もあります。
4-3. スタートアップ特有のバリュエーションの難しさ
スタートアップのバリュエーションが難しい大きな理由としては、以下のような点が挙げられます。
- 将来キャッシュフローの不確実性
ビジネスモデルが確立しておらず、将来予測が極めて難しい。 - 市場の急激な変化
新しいテクノロジーや競合企業の出現により、計画を大幅に修正する必要が生じる場合がある。 - 経営チームへの依存度
創業者や主要メンバーの人材価値が高く、彼らの動向によって企業価値が大きく変化することがある。 - 類似事例の少なさ
新規性の高いビジネスモデルでは比較対象が少なく、マルチプル法が使いにくい。
5. 売却金額に影響を与える主な要因
5-1. 成長性(マーケットサイズ、事業モデルの拡張性)
スタートアップのバリュエーションを最も左右するのは、やはり成長性です。たとえば、マーケットサイズが大きく、アドレス可能市場(TAM: Total Addressable Market)が数兆円規模であれば、買い手側は将来の収益ポテンシャルを高く評価します。さらに、事業モデルが他の国や地域へ展開可能、周辺サービスと連携して収益源を多角化できるなどの拡張性があれば、成長余地が大きいと見なされ、売却金額が上がる可能性があります。
5-2. 経営陣とチームの能力
スタートアップにおいては、経営陣や主要メンバーが持つスキルセットや実績、人脈が企業価値に直結します。買い手企業がスタートアップを買収する目的の一つとして、人材確保(タレント・アクハイア)がありますが、その場合は特に経営陣や開発チームの実績や能力が高く評価される傾向があります。たとえば、元Googleのエンジニアやシリアルアントレプレナーが創業者である場合など、個人ブランドがバリュエーションを高める要因となることもあります。
5-3. 財務状況と将来の収益予測
赤字企業であっても成長性が高ければ投資価値があるとみなされるのがスタートアップですが、ある程度のトラクション(実績)や継続的な売上成長が見えてくると、買い手企業は安定性を評価しやすくなります。特にSaaS系スタートアップであれば、**MRR(Monthly Recurring Revenue)やLTV(顧客生涯価値)**などのKPIが注視され、安定的に収益を積み上げられるモデルは高いマルチプルを得られやすいです。
5-4. プロダクトの独自性・特許
買い手企業が自社で開発するのが難しい技術や特許をスタートアップが保持している場合、その独自性は買収価格を押し上げる大きな要因になります。特許や知的財産がコアアセットとなっている場合、評価額はそのライセンス収益の将来価値を大きく反映します。
5-5. プラットフォームのユーザーベース
ユーザーを大量に抱えるSNSやECプラットフォーム系のスタートアップの場合、たとえ現在の収益が小さくとも、ユーザー数やユーザーエンゲージメントが高ければ将来収益化できる可能性が見込まれます。とくに、データが重要視されるAI・アナリティクス企業にとっては、豊富なユーザーデータを持っていること自体が企業価値を高める要因となります。
5-6. 競合状況と競争優位性
同じ領域に類似サービスを提供している競合が多数いる場合、差別化要素が不十分だと買い手側に「後から自社で同じサービスを開発すればいいのでは?」と思われることがあります。一方、他社にはないテクノロジー、プラットフォーム、ネットワーク効果など強固な参入障壁や競争優位性を確立している場合は、買い手側としても時間やコストの節約を目論んで高額買収に踏み切ることがあります。
6. 実際のM&Aプロセスと売却金額確定までの流れ
スタートアップの売却は単に「価格を決めて買収される」だけではありません。実際には多数のステップを経て最終的な売却金額が確定していきます。ここでは、大まかなプロセスを説明します。
6-1. 買い手探し(アプローチ方法と仲介者の役割)
スタートアップ側から買い手候補となる企業にアプローチしたり、M&A仲介業者や投資銀行、経営コンサルティング会社などが間に入る場合もあります。仲介者がいることで、候補のリストアップや初期交渉がスムーズに進む場合が多いです。
6-2. NDA(秘密保持契約)締結
M&A交渉に入る前に、相手企業と**NDA(Non-Disclosure Agreement)**を結び、交渉情報や機密情報が外部に漏れないようにします。スタートアップ側としては、コア技術や顧客リストを開示するわけですから、秘密保持は極めて重要です。
6-3. LOI(基本合意書)とTerm Sheet
相手企業が買収意向を示した段階で、**LOI(Letter of Intent)やTerm Sheet(タームシート)を取り交わします。これは、買収価格や主要条件を大枠でまとめた文書であり、法的拘束力を伴う場合とそうでない場合があります。ここで提示される価格は“インジケティブ・プライス”**と呼ばれ、デューデリジェンスの結果に応じて最終金額が調整されるケースが多いです。
6-4. デューデリジェンス(Due Diligence)
買い手企業がスタートアップの財務・法務・税務・技術などを詳しく調査するプロセスです。ここで想定外のリスクや問題が見つかった場合、買い手側は提示価格の見直しを要求したり、買収を見送る可能性もあります。スタートアップ側としては、常日頃から管理体制を整備しておくことが重要で、ここで大きな問題が発覚すると売却金額にマイナス影響が生じる場合があります。
6-5. 交渉フェーズ(価格交渉・各種条件調整)
デューデリジェンスを経て、買い手と売り手は改めて最終条件を詰める交渉に入ります。売却金額だけでなく、役員や主要従業員の雇用継続、**アーンアウト(業績連動報酬)**などの条件もここで詳細に議論されます。交渉では、顧問弁護士やFA(ファイナンシャルアドバイザー)が大きな役割を果たします。
6-6. 契約締結とクロージング
交渉結果を最終契約書(株式譲渡契約、事業譲渡契約など)に落とし込み、両社が合意に至った時点で契約締結となります。その後、資金決済や株式移転などの必要な手続きを経て「クロージング」が完了し、正式にM&Aが成立します。
6-7. PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)
買収完了後、買い手企業と売り手企業の事業や組織をうまく融合させるための作業をPMI(Post-Merger Integration)と呼びます。スタートアップの創業者や主要メンバーが一定期間は残留し、知見を活かして事業を推進していくケースもあり、その期間はエグジット後の段階的移行と言えます。
7. 売却金額を最大化するためのポイント
7-1. 経営指標の可視化と透明性
デューデリジェンス時に財務データや顧客データを適切に開示できることは、買い手の信頼感を高め、想定外のリスク感を下げる効果があります。特に小規模なスタートアップほど日々の管理が疎かになりがちですが、将来的にM&Aを検討するならば専門家の助言を得ながら会計・法務・税務まわりを整備しておくことが重要です。クリーンな状態であればあるほど、売却金額が下振れする可能性を減らせます。
7-2. チーム・組織体制の強化
スタートアップのコアメンバーが十分に揃っており、買収後も事業が継続・拡大していくと期待できる体制が整っていることは、大きなプラス要素です。逆に言えば、創業者だけが突出していて他のメンバーが育っていない場合などは、買い手企業が不安を感じ、価格交渉で不利に働くことがあります。
7-3. 知的財産権の整備
特許や商標、著作権などの知的財産権が曖昧なままだと、デューデリジェンスで問題視されます。誰が権利を持っているのか、訴訟リスクはないのかなどを事前に整理し、必要であれば弁護士を交えてライセンス契約や譲渡契約を適正化しておくことが望ましいです。
7-4. エグジットストーリーの明確化
買い手企業にとって魅力的なシナリオを示せるかどうかは、売却金額に直結します。たとえば、スタートアップが買い手企業の顧客基盤に参入することで収益がどれだけ拡大するのか、買収後にどのような技術連携が可能になるのか、といったストーリーを明確に描き、買い手企業にプレゼンすることで、高い売却価格を引き出せる可能性が高まります。
7-5. 複数の買い手候補を検討する
高額売却を実現するうえで、複数の買い手候補を並行して交渉するのは一般的な戦略です。複数社からオファーを取り付けることで競争環境を作り出し、買収価格を吊り上げることが可能です。ただし、あまりに多数の企業と交渉すると情報管理が複雑化し、逆にリスクも増えるため、段階的に絞り込みを行う必要があります。
7-6. アドバイザーの活用
M&Aは高度に専門的な分野です。財務や法務、税務など多角的な視点が必要となるため、M&Aアドバイザリー会社や投資銀行、弁護士、税理士など専門家のサポートを受けることは、結果的に売却金額の最大化につながるケースが多いです。とくにクロスボーダーの案件では、現地の法制度や商習慣に通じたアドバイザーの存在が不可欠です。
8. VCやエンジェル投資家との関係と売却金額
8-1. 投資契約時における条項(優先株・清算優先権など)
スタートアップがVCやエンジェル投資家から資金調達を受ける際には、優先株や清算優先権(Liquidation Preference)などの条項が付される場合があります。これらの条項により、売却時に投資家が先に投資額を回収したり、優先的に配当を受け取る権利が与えられます。結果として、売却金額が同じでも、創業者の取り分が大きく変動することがあります。したがって、売却金額を最大化することはもちろん、投資契約時の条項についても注意を払う必要があります。
8-2. 追加出資と希薄化
スタートアップが追加ラウンドで出資を受ける際には、既存株主に対する希薄化(Dilution)が発生します。創業者や初期投資家が保有する株式比率が下がるため、売却時の取り分が減る可能性が高くなります。しかし、追加出資により企業価値が向上し、最終的な売却金額が大きくなることも考えられます。希薄化とエグジット時のリターン拡大のバランスをどのように取るかが、経営戦略上の重要な検討事項です。
8-3. 投資家との利害調整
複数のVCやエンジェル投資家が株主として存在する場合、売却タイミングや希望売却価格が異なることがあります。投資家のファンド期限などで「早期のエグジットを望む投資家」もいれば、事業の成長を優先して「将来的に大きなバリュエーションを狙う」投資家もいるでしょう。こうした利害の相違を調整するためにも、創業者や経営陣は普段からコミュニケーションを取り、合意形成を図っておくことが重要です。
9. M&A実務における具体例・ケーススタディ
9-1. 国内ITスタートアップA社の売却事例
たとえば、日本国内でSNS関連のスタートアップA社が大手IT企業に買収されたケースを考えます。A社は数年間の急成長によって月間アクティブユーザー(MAU)が数百万人に達し、営業利益こそ小さいものの、若年層のユーザーデータが非常に魅力的だったため、買い手企業はユーザーデータの活用を目的に数十億円規模の買収額を提示しました。これはA社側の過去の収益実績から見ると非常に高い評価でしたが、その背景には買い手企業のデータ戦略が大きく影響したといえます。
9-2. 海外テックスタートアップB社の大型買収事例
海外では、AI特化のスタートアップが巨額の調達を経て、大手テク企業に数百億円〜数千億円規模で買収される事例が珍しくなくなってきています。これらのケースでは、売却時点で赤字であっても、特許技術や優秀な研究者・エンジニアを抱えていることが評価対象となっています。また、AIモデルの学習に使われる大規模データセットや、アルゴリズムの先進性が評価されることにより、売却金額が跳ね上がるのが特徴的です。
9-3. 新興分野(AI、ブロックチェーン等)における売却金額の傾向
AIやブロックチェーン、量子コンピューティングなどの新興分野では、買収による技術取り込みが特に重視される傾向があります。市場がまだ成熟していないがゆえに、将来シェアを握るために大企業が積極的に買いに回るケースが多いです。そのため、売却金額は往々にして技術的なレアリティと人材評価、そして市場のポテンシャルに大きく左右されます。
10. 日本市場と海外市場における売却金額の違い
10-1. 日本国内のM&A市場の特徴
日本国内のM&A市場は、海外に比べると上場企業数が多く、IPOがしやすいという特徴があります。そのため、スタートアップにとってはIPOという選択肢が比較的選びやすく、M&Aによるエグジットが海外ほど活発ではないという構造的な問題が指摘されてきました。しかし近年では、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)や大企業のオープンイノベーションの動きが活発化し、スタートアップ買収が増加傾向にあります。
10-2. 海外のスタートアップエコシステムとの比較
シリコンバレーやイスラエルなど、スタートアップエコシステムが成熟している地域では、VC同士の投資競争が激しく、企業価値の査定がグローバルスタンダードに基づいて行われます。結果として、高いバリュエーションがつく傾向があり、M&Aの際も海外企業による買収オファーの方が高値になりやすいというケースが多いです。日本のスタートアップでも、海外市場を意識して活動している場合は、より高い評価を受ける可能性があります。
10-3. 日本国内でのグローバル企業による買収事例
日本国内に拠点を置くスタートアップでも、プロダクトやサービスがグローバル市場に通用する場合、海外大手企業によって高額で買収される可能性があります。言語や文化の壁を超えて事業展開しているスタートアップが、海外メガテック企業の買収ターゲットになる事例も増えています。
11. スタートアップ経営者が知っておくべき法的・税務的留意点
11-1. 売却ストラクチャーの検討(株式譲渡・事業譲渡等)
M&Aの際の売却スキームとして、株式譲渡と事業譲渡が代表的です。株式譲渡の場合、法人の所有権をまるごと移すイメージで、経営陣の株式を買い手に売ることで決済が行われます。一方、事業譲渡は特定の事業資産や負債を切り出して売却する形となるため、契約のスコープが限定されます。どちらを選択するかにより税務上の取り扱いや引き継ぐ債務の範囲が異なるため、専門家と相談して最適な方法を選ぶことが重要です。
11-2. 税務面での最適化(個人・法人)
スタートアップのM&Aによって得られるキャピタルゲインに対する税率は、売却主体が個人か法人かなどのステータスによって大きく変わります。さらに、国際的なストラクチャーを組むことで節税効果が得られる場合もありますが、近年は各国の規制強化により注意が必要です。創業者個人としては、ストックオプションをいつ行使するか、どのタイミングで譲渡益を得るかなど、戦略的な税務計画が欠かせません。
11-3. 従業員持株会やSO(ストックオプション)との関係
スタートアップによっては、従業員向けのストックオプション(SO)や持株会制度を導入して、従業員のモチベーションを高めています。M&Aで会社が売却された際に、これらの権利をどう取り扱うかは大きな論点です。買収先企業がSOの権利を引き継ぐのか、買収時点でのキャッシュアウトがあるのかなど、事前に明確にしておかないと従業員とのトラブルになる可能性があります。
12. 買い手企業におけるシナジー効果と売却金額への影響
12-1. タレント・アクハイア(人材獲得)の視点
スタートアップの買収理由のひとつとして、優秀な人材を一括で獲得する目的があります。スタートアップの開発チームなどが買い手企業の新規事業や研究開発をリードすることで、大きな付加価値が生まれる場合、買い手企業は高い買収金額を提示しやすくなります。
12-2. 技術シナジーと販売チャネルの拡大
スタートアップが持つ技術と買い手企業の既存製品・サービスの融合により、新たな市場を開拓できる可能性があります。既存の販売チャネルに新技術を載せることで、一気に事業を拡大できる見込みがある場合、スタートアップの売却金額は高額化する傾向があります。
12-3. 組織文化の融合とPMIの重要性
買収後の組織文化の統合は、M&Aが成功するか失敗するかを大きく左右します。スタートアップのダイナミックな企業文化と、大企業の官僚的なプロセスが衝突すると、人材流出やモチベーション低下につながるリスクがあります。このPMIが円滑に進むよう、買い手企業がスタートアップ側を十分にリスペクトし、自主性を維持させる仕組みを整えれば、スタートアップの売却金額に対する評価も高まります。
13. まとめと今後の展望
本記事では、スタートアップのM&Aにおける売却金額を中心として、その背景、算定方法、プロセス、具体的な事例、法的・税務的な留意点、さらに売却金額最大化のポイントについて総合的に解説してきました。
- M&Aはスタートアップの一般的なエグジット手段
IPO以外にもM&Aという選択肢が広がることで、スタートアップの資金調達や成長戦略が多様化し、エコシステム全体が活性化している。 - 売却金額を左右する多様な要因
成長性や技術力、チーム力、競争優位性、買い手企業とのシナジーなど、多くの要素が相互に影響し合うため、スタートアップ側は総合的な企業価値向上を目指す必要がある。 - 海外買い手との取引機会の拡大
グローバル化が進むなか、日本のスタートアップも海外大企業から高額買収のオファーを受ける可能性が高まっている。言語や法制度の問題をクリアできれば、より高いバリュエーションが得られる可能性がある。 - 法務・税務・PMIの重要性
デューデリジェンスやクロージング後のPMIまで、M&Aは多層的なプロセスを経るため、専門的な知識と準備が欠かせない。特に創業者としては、M&A後の組織統合や従業員に対する責任も踏まえた慎重な検討が必要となる。
今後も、テクノロジーの進化や世界経済の変動に伴い、新たな巨大スタートアップが登場し、高額バイアウトのニュースが増えていくものと予想されます。一方で、スタートアップが非連続的な成長を遂げるためには、売却以外にもSPAC上場やIPO、あるいは継続的な未上場経営といった複数の選択肢が存在します。経営者は常に最新のM&A動向を把握し、自社にとって最適なタイミングとスキームを選択することが求められるでしょう。
14. 参考文献・関連情報
- 経済産業省「スタートアップ・エコシステム構築のための各種施策」
- 中小企業庁「事業承継・M&Aガイドライン」
- 日本証券業協会「スタートアップの資金調達とエグジット事例集」
- 海外文献
- “Venture Deals” by Brad Feld & Jason Mendelson
- “Mergers and Acquisitions Basics” by Donald DePamphilis
株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。