第1章:投資ファンドとM&Aの全体像
1-1. 投資ファンドの特徴と企業への影響
投資ファンドとは、機関投資家や富裕層などが出資する形で組成されるファンドのことで、企業買収・投融資を通じて投資先企業の価値を高めることを目的とします。とりわけ未上場企業に対するバイアウト投資や、上場企業に対するTOBを行うPEファンド(プライベート・エクイティ・ファンド)が近年目立った動きを見せています。買収後には経営を抜本的に改革し、企業価値を向上させてから再上場、あるいは第三者への売却を行うことでリターンを得るのが代表的な手法です。
投資ファンドが企業に与える影響は多岐にわたります。例えば:
- 財務基盤の強化
投資ファンドが出資することで、追加資金を得て負債圧力を軽減し、財務改善を図る。 - 経営ノウハウの注入
ファンドには多様な業界・企業の再生、成長事例が蓄積されており、その経験が投資先企業にとっての財産となる。 - 意思決定のスピード向上
上場廃止(非公開化)とするMBOなどでは、短期的な株価変動を気にせず、中長期的視点からの戦略をとることが容易になる。 - 企業再編・構造改革の加速
グループ全体で非中核の事業を切り離す場合や、経営環境が悪化している企業を抜本的に建て直す場合などにファンドが大きく関わる。
こうした特徴により、多くの企業が投資ファンドの関与を必要とし、実際にM&Aや事業提携などを通じて新たな企業価値創造につなげるケースが増えています。
1-2. TOB(株式公開買い付け)の活用
TOB(株式公開買い付け)は、一定期間・一定価格で特定企業の株式を買い付ける方法です。投資ファンドは上場企業を買収するときにTOBを用いることが多く、敵対的に行われる場合と友好的に行われる場合があります。特に近年は、企業が望む望まないにかかわらず仕掛けられる“敵対的TOB”も注目を集めています。
一方、企業との協議や資本提携を前提とした“友好的TOB”であれば、株主や経営陣との合意形成を得たうえで買収を進める形が一般的です。MBOの場合には、経営陣がファンドと協力しながら自社株式を買い付けて上場廃止を目指すケースも多く見られます。
第2章:ファンド関与の代表的なM&A事例
ここからは、投資ファンドが大きく関与している具体的なM&Aや事業譲渡の事例をご紹介いたします。いずれのケースでも、企業側の「事業再編」「非中核事業の切り離し」「事業承継」「非公開化による改革」など、明確な狙いが見られました。
2-1. 温度センサーメーカーの大泉製作所とインテグラル・オーエス投資事業組合のTOB
温度センサーを扱う大泉製作所は、ファンドであるインテグラル傘下の投資事業組合などからTOBを実施され、それに賛同を表明しました。投資ファンド側は、大泉製作所のサーミスタや顧客との強固な信頼関係、また高い品質と実績を評価し、M&A後は開発案件などで新規ビジネスを獲得する方針を打ち出しています。
この事例では、買付価格は1株370円、買付予定数約209万4000株、買付期間およそ1か月という条件が設定されました。ファンドが筆頭株主などとの契約を結び、事前に応募を得る形を採用していることも特徴的です。大泉製作所側としては、非公開化ではなく、株式上場は維持する方針となっており、中長期的な成長戦略にファンドの支援を得る形だといえます。
2-2. 豊田合成によるドイツ子会社の譲渡
自動車部品大手の豊田合成は、欧州事業での苦戦を背景にドイツの子会社・豊田合成メテオールをプライベートエクイティファンドの傘下企業に売却しました。これにより豊田合成は欧州事業からの撤退に近い形となり、売却益や事業整理損失の計上によって経営資源をほかの地域・事業へシフトさせる方針を明確に打ち出しました。
ファンドはこの子会社を取得することで欧州の自動車部品事業を強化し、当該企業の経営再建を目指す構造となっています。この種の取引は、「グローバル企業が収益改善のめどが立たない地域から撤退し、投資ファンドに事業を売却する」という典型的なパターンといえるでしょう。
2-3. 澤田ホールディングスとMETA CapitalによるTOB、並びに社名変更
金融事業を展開する澤田ホールディングスが、投資ファンドのMETA Capital(東京都港区)によるTOBを受け、最終的にTOBは不成立となったものの、経営陣の交代や株式譲渡が行われました。この一連の事例は、企業と投資ファンドの思惑が合致しなかった場合にも長期間のTOBが継続され得ることを示しています。
実際には最終的にMETA CapitalのTOBは成立しなかったものの、澤田会長が株式をファンドに譲渡して筆頭株主が変動し、経営陣が退任する流れとなりました。こうした「最終的にはTOBが不成立でも企業側の株主構成に大きな変化を生む」形は、ファンドによる買収の波及効果が大きい一例だといえます。
2-4. 武田薬品工業によるファンドへの事業譲渡
武田薬品工業はグローバル戦略として、非中核事業の売却を積極的に推進してきました。たとえば、一般医薬品を扱う武田コンシューマーヘルスケアを米投資ファンド・ブラックストーンに売却したケースがあります。譲渡価額は企業価値2420億円に純有利子負債などを加味して最終決定される形で、2021年3月31日に譲渡が完了しました。
ここでのポイントは、医療用医薬品に経営資源を集中し、非中核事業である一般薬(大衆薬)部門をファンドに託すという事業選択と集中の典型例です。武田薬品は海外M&Aによる財務負担を軽減しながら、自社が強みとする新薬開発領域に専念する狙いがありました。
2-5. 積水化学工業とCITIC系投資ファンドとのM&A
積水化学工業が香港の投資ファンドCITIC Capital Partners Japan Limitedを通じて、自動車関連部品メーカーのポリマテック・ジャパンなどを統括するPT Cayman Limitedの株式を約200億円で取得した事例では、ファンドが一度買収・再編した企業を、事業シナジーが期待できる事業会社へ売却する流れが見られます。積水化学は車両・輸送分野での事業拡大や素材配合・加工技術の強化を目指し、ファンドから優良企業をまとめて取得したわけです。
この種のケースは、「企業がファンドから事業・会社を買い取る」「ファンドは企業価値を高めたうえで出口戦略を実行する」という構図がよく表れています。
2-6. 日本コンピュータシステムのMBOで非公開化
日本コンピュータシステムは、MBOによって非公開化を行いました。その背景には、顧客ニーズへの対応に高度なスキルと投資が必要であることや、短期的な業績への悪影響が想定される大規模改革を進めるにあたり、上場による株主への説明責任や株価の変動にさらされにくい経営体制が有効だと判断されたためです。
投資ファンドであるパレス・キャピタル・パートナーズがTOBを行い、最終的には経営陣の保有株式も含めて買収して完全子会社化しました。上場を維持するメリットと非公開化のメリットを天秤にかけ、あえて後者を選択するケースは、IT・サービス系企業などでも広がっています。
2-7. ベインキャピタルの活躍:武田薬品コンシューマーヘルスケア、雪国まいたけ、日清金属など
米投資ファンドとして有名なベインキャピタルは、日本においても多数の投資案件を手がけています。たとえば、
- 武田コンシューマーヘルスケア売却
武田薬品の一般薬事業を切り離すことで、革新的新薬の開発に集中。 - 雪国まいたけの非公開化と再上場
風評被害やエネルギーコスト高などで経営が悪化していたが、ベインキャピタルの下で資本増強と経営再建を進め、その後再上場した例もあります。 - 日清金属への買収提案
国内金属企業の再編にも積極的に取り組む姿勢を示し、特に素材産業など大規模な投資を伴う分野でも多数の事例が存在します。
このようにベインキャピタルは、日本の企業を対象に積極的なM&Aを仕掛け、企業価値向上と再上場による投資回収を図るパターンが多いのが特徴です。
2-8. KKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)による大規模買収
KKRは米国を代表する投資ファンドで、いわゆる「バイアウトファンド」の草分け的存在です。日本企業に対する買収例は非常に多岐にわたります。たとえば:
- 日立工機の買収
KKRは日立製作所から電動工具の製造・販売を担う日立工機(現工機ホールディングス)を買収。既に「Hikoki」ブランドへ転換し、世界トップクラスの電動工具メーカーへと事業成長を図りました。 - パイオニアのDJ機器事業買収
パイオニアが非中核としたDJ機器部門を分離し、KKRが承継。製品ブランド「Pioneer DJ」は独自の進化を遂げ、事業拡大を狙いました。 - 日立金属のTOB
日立製作所が保有する日立金属の株式を買い取り、素材・部品事業の再編を主導しようとしました。最終的にはいくつかの調整を経て、KKRを中心とするコンソーシアムが日立金属を買収する形になっています。
KKRの例では、世界的な投資ファンドらしく、日本企業の事業再編やグローバル展開を視野に入れた投資が特徴的です。
2-9. 旧村上ファンド系投資会社による敵対的TOB
いわゆる「物言う株主」として知られる旧村上ファンド系の投資会社が、上場企業に対してTOBを仕掛ける事例もしばしば報道されています。たとえば、
- 東芝機械(現芝浦機械)へのTOB
旧村上ファンド系が大量保有したうえで、株式の追加取得を目指したものの、同社取締役会が買収防衛策を発動する動議を株主総会に諮り、最終的にTOBが撤回されるに至りました。 - 日本アジアグループとの攻防
日本アジアグループの経営陣がMBOを図るなか、旧村上ファンド系のシティインデックスイレブンスが対抗TOBを実施。両者は一時は激しく対立しましたが、その後シティインデックスがTOBを一度撤回し、再度実施する展開となっています。最終的には同ファンドの子会社化が成立し、筆頭株主がファンドに交代した格好です。
こうした旧村上ファンド系の動きは、大株主としての影響力をもって利益還元策や資本構成の見直しを求める形が多く、経営陣と正面衝突するケースも少なくありません。
第3章:非公開化(上場廃止)のメリットとデメリット
投資ファンドが関与するM&Aでは、企業の非公開化(上場廃止)が選択される場合がよくあります。その背景とメリット・デメリットを見てみましょう。
3-1. 非公開化のメリット
- 短期的な株価変動を意識しなくて済む
上場企業は四半期ごとの決算発表など、株主からの収益改善圧力を受けやすい立場にあります。非公開化すると長期的視点での経営改革を断行しやすくなるメリットがあります。 - 迅速かつ大胆なリストラや投資が可能
ファンドが経営を主導し、不要な事業の切り出しや大規模な投資を短期間で決断できます。企業再建や収益構造の転換もスピーディーに進む傾向があります。 - 株主間調整のシンプル化
上場企業の場合は散在する株主に配慮する必要がありますが、ファンドが株式を大量保有することで利害関係者が限られ、意思決定が容易になります。
3-2. 非公開化のデメリット
- 市場での資金調達機会が失われる
上場していれば株式発行や株主の拡大を通じた資金調達がしやすいですが、非公開化するとこの手段が難しくなります。 - ブランドイメージへの影響
上場企業というステータスは社会的信用力の一因ともいえます。非上場化により企業イメージが変化する場合があります。 - 大株主(ファンド)の意向に左右される
ファンドの投資回収計画が企業経営の最優先事項となり、必ずしも従業員や取引先の意向と合致しない場合があります。
第4章:ファンド関与後の成長・再生のプロセス
投資ファンドによる買収が完了したあと、具体的にはどのように企業は成長・再生を進めていくのでしょうか。大きく分けると、以下のプロセスが考えられます。
- 経営陣との協議・改革方針の策定
ファンド側は投資契約の段階で大まかな経営改革プランを持っていることが多いですが、買収後は改めて現場と対話しながら具体的な改革方針を策定します。 - 財務リストラクチャリング
財務体質の健全化(債務圧縮や不採算事業の切り離し)を行い、キャッシュフロー改善に注力します。ここでは私的整理に準じた手法や追加資金の注入などが実施される場合もあります。 - 収益改善・コスト削減施策
不採算部門の縮小や生産性の低い工程の統廃合などを迅速に実行し、同時に既存の売上アップ手段(販売網拡大や新製品投入など)を検討します。 - 成長戦略・Exit(出口戦略)
ファンドは通常、数年以内に投資の回収を行います。そのため企業価値を高め、再上場や他社への売却、ファンド間での株式譲渡などExitに向けた筋道をつけます。
企業にとっては、この過程で人員整理や大幅な組織改編が断行されることがあり、抵抗感も大きいものの、長期的には業績改善が実現する可能性も高まります。
第5章:ファンドが関与するM&Aの今後の展望
日本企業の事業環境は、少子高齢化や市場成熟化、海外企業との競争激化など、多くの課題が山積しています。その中で、投資ファンドが企業の再編を促進し、事業の活性化や効率向上を進める動きは今後さらに加速するでしょう。
- 事業承継問題への対応
中小企業の経営者の高齢化が進むなか、後継者不在による廃業リスクが課題となっています。ファンドの活用によるMBOや事業継承ファンドは今後も拡大が見込まれます。 - グループ再編ニーズの増大
大手企業・グループが非中核事業を切り離すことで、キャッシュ創出や選択と集中を図る事例が増えています。武田薬品や日立製作所などが続々と資産売却を進めてきたように、この流れはまだ続くと考えられます。 - 海外ファンドからの日本企業買収
海外投資ファンドの視点から見ても、日本企業には十分な投資対象が多く、特に技術力とブランド力のある企業には魅力があるとみられています。円安や産業構造変化に合わせ、今後も海外からの資本流入は続くでしょう。 - 上場廃止後の再上場ブーム
非公開化によって事業を立て直したのち、再上場を実施する例(雪国まいたけなど)も増えており、業績改善とともに資本市場へ復帰を目指す企業も珍しくありません。投資ファンドとしては再上場をExit手段の一つに考えているため、企業経営側にもメリットがあります。
まとめ:ファンドとM&Aは日本企業の変革を後押しする
本稿で取り上げたように、ファンドが関与するM&Aは上場企業・未上場企業を問わず、さまざまな形で行われています。事業構造の改革、非中核事業の売却、新事業への資金集中など、企業が迎える岐路においてファンドが果たす役割は非常に大きいです。
- 短期的な株主還元圧力から解放され、経営改革に集中できる
- ファンド側の豊富な実績や業界知見を活用できる
- 企業価値向上による将来的な売却・再上場が可能となる
一方で、ファンドが短期的なリターンを重視しすぎると、企業の長期的ビジョンと乖離するリスクもあります。また、事業再編にともなう従業員のリストラや取引先との関係見直しなど、企業や地域社会に与えるインパクトも無視できません。従来は「ハゲタカファンド」というネガティブなイメージもありましたが、近年では企業の成長を後押しするパートナーとしての認識も広がっています。
今後の日本経済において、ファンドによる買収はさらに多様化・本格化するとみられます。後継者問題に苦しむ中小企業から、大規模なグローバル企業の事業再編に至るまで、投資ファンドが深く関与し、多様なM&Aが進んでいくでしょう。企業はファンドを“脅威”ではなく、状況によっては経営のリスクを共に負い、イノベーションを起こす“盟友”として活用することが肝要です。
私たちが注視すべきは、ファンドが支援することで企業が持続的な成長や雇用維持を実現し、新たな付加価値を生み出すかどうかです。個別のM&Aの成立過程やディール条項だけにとらわれず、その後の経営改革や事業の成長度合いを見ることで、投資ファンドが本質的に果たす役割を評価していくことが求められるでしょう。

株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。