目次
  1. 1-1. 少子化と学習塾の需要構造
  2. 1-2. ICT活用とEdTechの台頭
  3. 1-3. 大手学習塾と地方塾の提携
  4. 2-1. 子会社化
  5. 2-2. 事業譲渡・会社分割
  6. 2-3. TOB(株式公開買付)とMBO(経営陣による買収)
  7. 3-1. 明光ネットワークジャパンのM&A事例
    1. (1) ユーデックの子会社化と譲渡
    2. (2) 児童発達支援事業への参入
  8. 3-2. 昴のタケジヒューマンマインド子会社化(2020年)
  9. 3-3. 名学館によるフランチャイジー子会社化(2015年)
  10. 3-4. 早稲田アカデミーの子会社化戦略
    1. (1) 集学舎の子会社化(2017年)
    2. (2) SHINKENSHA U.S.A.の子会社化(2019年)
  11. 3-5. 全教研のMBOによる非公開化(2008年)
  12. 3-6. 成学社の積極的なM&A
  13. 3-7. 進学会による「進学塾ヒューマン札幌」の事業取得(2008年)
  14. 3-8. 京進の保育事業強化(ビーフェア子会社化、2014年)
  15. 3-9. 学研ホールディングスの大型M&A戦略
    1. (1) 早稲田スクール・創造学園の子会社化(2009年)
    2. (2) 全教研を子会社化(2013年)
    3. (3) 市進HDから埼玉地区の学習塾事業を取得(2016年)
  16. 3-10. 栄光の英語事業強化
  17. 3-11. 市進HDによる茨進グループの買収(2012年)
  18. 3-12. スプリックスの拡大路線(湘南ゼミナール子会社化など)
  19. 4-1. 規模拡大とブランド力向上
  20. 4-2. コスト削減と経営効率化
  21. 4-3. 新事業領域への参入
  22. 4-4. 課題とリスク管理
  23. 5-1. 少子化のさらなる加速
  24. 5-2. 企業の選択と集中
  25. 5-3. グローバル展開と海外事業
  26. 5-4. EdTech企業との連携
  27. 6-1. 統合プロセスの丁寧な設計
  28. 6-2. 人材定着と講師のモチベーション管理
  29. 6-3. ブランド戦略
  30. 6-4. システム連携とITインフラの整備
  31. 6-5. コンプライアンスとガバナンス

1-1. 少子化と学習塾の需要構造

学習塾業界はかねてより少子化の影響を受け続けております。子どもの絶対数が減少する一方で、保護者の教育への意識は依然として高く、特に首都圏や都市部では受験需要が根強く存在してきました。一方、地方部では人口減に歯止めがかからず、生徒の確保が厳しくなっている教室も少なくありません。

こうした中で、学習塾各社は「地域密着」の強化や「オンライン化」への投資など、それぞれの得意領域を強化する動きを見せてきました。しかし、同業他社との競合は年々激化する傾向にあり、単独の経営努力だけでは抜本的な成長が難しいケースも増えてきています。このような背景のもと、「地域あるいは分野特化の強みを持つ学習塾を買収して即戦力とする」「自社の経営資源を再配分して選択と集中を行う」といったM&Aの動きが活発化しているのです。

1-2. ICT活用とEdTechの台頭

もう一つの大きな潮流として、ICT活用やEdTech(Education×Technology)の台頭が挙げられます。オンライン授業やデジタル教材、eラーニングなどが急速に普及し、企業が最先端の技術やコンテンツをスピーディーに取り込むには、これまで以上に経営体質を柔軟にする必要性が高まってきました。スタートアップ企業などが先行してオンライン学習サービスを展開している例も多く、業歴のある学習塾が自力でイノベーションを興そうとするよりも、技術力やプラットフォームを持つ企業を買収・傘下におさめるほうが成果を出しやすい場合もあります。

加えて、「成長企業の株式を取得して教育サービス全体に取り入れる」「AIやDX(デジタルトランスフォーメーション)のノウハウを獲得して、自社の教務システムや経営を革新する」など、単なる事業規模拡大だけではなく、“新たな教育モデルの追求”を視野に入れたM&Aが増えているのも特徴といえます。

1-3. 大手学習塾と地方塾の提携

地域で強いブランド力を誇る中堅・中小塾が、大手学習塾の傘下に入る事例も増えています。これは、大手にとってはローカルのブランド力・営業拠点を取得するメリットがあり、中堅・中小塾にとっては大手の資本力やノウハウを得て教室数を増やし、地域でのシェアをさらに拡大できるメリットがあります。少子化時代でも効率的に生き残っていくためには、こうした地域力と大手資本の融合は有効な手段となります。

また、経営者の高齢化による後継者問題も背景の一つです。特に創業塾のオーナーが、高齢化に伴い後継者不在のまま事業を継続する難しさが表面化しており、企業価値があるうちに売却を選択するケースも見受けられます。こうして、後継者問題の解決を図りながら、地域の学習サービスを守りつつ大手グループ傘下で生き残りを図るという事例は、今後もますます増えるものと思われます。


【第2章:学習塾業界におけるM&Aスキームの多様化】

2-1. 子会社化

M&Aスキームとして最も代表的なのは「子会社化」です。株式を取得することで実質的な経営権を掌握し、ブランド・人材・ノウハウを取り込む形態が多くみられます。業界大手である明光ネットワークジャパンが積極的に他社を子会社化してきた例や、スプリックスがフランチャイジーを取り込む例など、事業規模の拡大や経営資源の補強を目指す動きが顕著です。

2-2. 事業譲渡・会社分割

次に多いのが、特定の事業部門を譲り受ける「事業譲渡」や「会社分割」です。これは、買い手にとっては狙った事業のみを効率的に獲得できるメリットがあり、売り手にとっては不要あるいは重点外となった事業を切り離すことで経営資源を最適化できる点が魅力です。

学習塾の事業譲渡では、地域単位で教室ごと譲渡されるケースや、出版事業・テスト事業・英語教材販売など周辺事業のみを譲渡するケースもあります。例えば、明光ネットワークジャパンがユーデックを譲渡する事例、成学社が個別指導塾の一部教室を取得する事例などが典型的です。

2-3. TOB(株式公開買付)とMBO(経営陣による買収)

上場企業が、非公開化を行う際などに見られるのがTOBやMBOです。経営陣が主体となってTOBを行う場合をMBO(Management Buyout)と呼びますが、業績の不安定化や長期視点での経営改革の必要性が高まった場合などに、上場維持による短期的な株主圧力を回避するために利用されるケースが少なくありません。全教研やワオ・コーポレーションなどがMBOに踏み切った例は、まさに少子化で先行きの見通しが厳しい中、抜本的な改革のために非公開化を選んだ事例といえるでしょう。

また、他企業がTOBによって上場企業を買収する例もあり、たとえばベネッセホールディングスが持分法適用会社のアップを非公開化しようとした動きや、増進会出版社(Z会)が栄光HDを買収しようとした事例などが挙げられます。これらは大手教育関連企業が経営統合によってより大きな市場支配力やシナジーを狙う典型例といえます。


【第3章:学習塾M&Aの主要事例と動向】

ここからは、学習塾業界で実際に行われたM&Aの事例をいくつか取り上げ、その背景や目的、効果などをご紹介いたします。いずれも企業の成長戦略や、業界全体の再編に大きく関わる動きとして注目されました。

3-1. 明光ネットワークジャパンのM&A事例

(1) ユーデックの子会社化と譲渡

  • 子会社化(2012年)
    明光ネットワークジャパンは、個別指導塾「明光義塾」を全国展開する大手塾チェーンです。同社は2010年に受験情報誌発行などを手掛けるユーデックへ出資を行い、2012年に子会社化しました。ユーデックは関西圏の私立中学・公立高校の入試情報誌や模擬試験を扱っており、明光義塾統一テストの品質向上を図るうえでもシナジーが期待されていました。
  • 譲渡(2020年)
    しかし時が経ち、経営資源の再配分を理由として2020年に同社株式を教育LABOへ譲渡する決定を下しました。取得時にはノウハウの獲得や事業拡大を目指したものの、赤字決算が続くユーデックの立て直しが進まず、同社にとっては保有し続けるよりも譲渡により資金や経営資源を他事業へ振り向ける判断が得策だったと考えられます。ここでは、M&Aによる事業ポートフォリオの最適化と、その後の譲渡による再度のポートフォリオ見直しという好例を見ることができます。

(2) 児童発達支援事業への参入

  • ランウェルネスの子会社化(2024年)
    明光ネットワークジャパンは学習塾事業に加えて、児童発達支援事業という新領域へ参入するために、ランシステム傘下のランウェルネスを2024年に子会社化すると発表しました。
    児童発達支援事業は学習塾と親和性が高い分野であり、特別な支援を必要とする子どもたちへの学びの場を提供することで「教育事業の総合化」を進めたい狙いがあるとみられます。学習障害や行動面の困難を抱える児童の学習支援は、教育業界の新たなマーケットとして注目されており、既存塾事業との連携も期待されます。

3-2. 昴のタケジヒューマンマインド子会社化(2020年)

九州を中心に学習塾・進学塾を運営する昴は、「即解ゼミ 127°E」を運営するタケジヒューマンマインドを沖縄で子会社化いたしました。昴は主に鹿児島や宮崎で強い地盤を築いてきましたが、今回の取得により沖縄へも事業を展開し、九州全域でのドミナントを強化していく戦略といえます。
近年、地方においても交通や通信インフラの整備が進み、必ずしも都市部だけが激戦区とは限らなくなっております。とりわけ沖縄は観光産業だけではなく教育分野でも潜在需要があり、昴が早期に進出し足場を築くことには意味が大きいと考えられます。

3-3. 名学館によるフランチャイジー子会社化(2015年)

名学館は個別専門学習塾「名学館」をフランチャイズ形式で展開しており、そのフランチャイジーであるエスワイテーセミナーや稲垣学舎を子会社化しました。特定エリアで複数教室を運営するフランチャイジーを直接子会社化することで、フランチャイズ加盟店の経営を確実に掌握し、地域におけるサービス品質と売上を安定させる狙いがうかがえます。
フランチャイズ展開の場合、直営と比べて初期投資を抑え、全国的に教室を増やしやすいメリットがありますが、一方でフランチャイジー経営の独立性が強いため、運営品質やブランドイメージを統一させるのが難しい側面があります。そこで経営成績が期待できる加盟店を買い取り、直接ノウハウを提供して教室運営に関与することで、より安定的なサービス拡充を狙う企業も少なくありません。

3-4. 早稲田アカデミーの子会社化戦略

(1) 集学舎の子会社化(2017年)

早稲田アカデミーは、千葉県内で学習塾「QUARD(クオード)」を運営する集学舎を子会社化いたしました。これにより、千葉県内のドミナント強化を図ることが目的でした。千葉県内の内房エリアではブランド力を確立していた集学舎との連携により、早稲田アカデミーは進学実績や独自の教材開発力などを活かしながら、同エリアでの生徒募集力を強化できるメリットが期待されました。

(2) SHINKENSHA U.S.A.の子会社化(2019年)

もう一つの注目例が、ニューヨークで日本人子女向け学習塾「VERITAS ACADEMY」を運営するSHINKENSHA U.S.A.を子会社化した事例です。帰国生入試への取り組みが評価されており、海外駐在や赴任する保護者・生徒を対象に高い合格実績を持つ塾との連携は、早稲田アカデミーにとって国内外での教育サービス拡大に有効です。グローバル化が進む中、海外進出や帰国子女に対応した学習サービスを提供する重要性が高まり、こうした海外塾の買収も戦略的な意味合いを持ちます。

3-5. 全教研のMBOによる非公開化(2008年)

全教研は九州で大きな存在感を持つ学習塾でしたが、経営コンサルティング会社ケーエヌを通じ、代表取締役社長ら経営陣によるMBOで上場を廃止しました。少子化による業界再編が進む中、株主向けの短期的な利益確保ではなく、中長期的な視点で事業改革に取り組むためには非公開化が最適という判断です。
学習塾に限らず、成熟産業の企業においては、上場廃止による経営の自由度の確保を選択するパターンは珍しくありません。特に、地元で強いブランドを抱える塾の場合、ゆっくりと時間をかけて改革を行う必要があり、四半期ごとの業績開示といった負担が大きい上場企業の形態では対応が難しいと考えられます。

3-6. 成学社の積極的なM&A

成学社は大阪府を拠点に展開している「開成教育グループ(開成ハイスクール・個別指導Axisなど)」の中核的企業の一つです。積極的に中学受験塾や個別指導塾を買収し、全国へのエリア拡大や教材出版とのシナジーを図ってきました。

  • 個夢の子会社化(2009年)
    兵庫県明石市や加古川市で個別指導専門塾を運営する個夢を子会社化することで、兵庫県内での教室展開を強化しました。
  • フェリックスから首都圏の3教室を取得(2010年)
    成学社は関西地方の地盤をさらに固めるだけでなく、首都圏への事業進出にも積極的でした。中学受験特化型塾を運営していたフェリックスの自由が丘・成城学園・二子玉川の教室を取得し、首都圏で一定の需要が見込める中学受験市場へ素早く参入しました。
  • ナスピアの子会社化(2019年)
    デジタル教材・eラーニング教材を企画・制作するナスピアを子会社化することで、AIを活用した学習サービスなどを獲得しました。これによって新たな教育サービスの開発にも力を入れていることがうかがえます。

3-7. 進学会による「進学塾ヒューマン札幌」の事業取得(2008年)

進学会は北海道を拠点とする学習塾企業で、「札幌圏を中心に地域密着型の学習塾を多数運営している」点が強みです。ヒューマンエヌディーが運営していた「進学塾ヒューマン札幌」2校舎を無償で譲受し、重複する校舎や講師を統合することで効率化とサービス強化を図りました。地域内での重複拠点を整理統合し、かつ生徒確保に影響を出さずに進められる事業譲受は、ドミナント戦略の一環といえます。

3-8. 京進の保育事業強化(ビーフェア子会社化、2014年)

京都を拠点とする京進は、学習塾事業である「京進スクール・ワン」の個別指導などで全国に進出していましたが、少子化の影響から保育事業へ参入する流れが見られました。保育所運営を手掛けるビーフェアを子会社化し、低年齢層からの教育サービス提供に乗り出したのです。保育事業と学習塾事業を組み合わせることで長期的に子どもと関わるビジネスモデルを構築し、さらに出店ノウハウの共有やブランド相互活用による相乗効果を狙うのがポイントといえます。

3-9. 学研ホールディングスの大型M&A戦略

(1) 早稲田スクール・創造学園の子会社化(2009年)

学研グループは通信教育や出版を主力としてきましたが、2000年代後半以降は学習塾の買収に積極的でした。熊本の早稲田スクール、および兵庫県中心の創造学園を子会社化し、地域で圧倒的なブランド力を持つ塾を取り込んでおります。小学生から高校生まで、さらには大学・専門学校へもつなげられるグループ体制の構築を狙い、子会社化によって地域ごとのリソースを確保してきた事例です。

(2) 全教研を子会社化(2013年)

九州で存在感のある全教研をグループ入りさせたのも学研ホールディングスでした。九州エリアでの学習塾ブランドを取り込むことで、全国的な総合教育企業としての地位強化を図りました。全教研側も、学研の豊富な教育コンテンツを活用できるメリットが大きいと判断し、結果的にM&A成立に至っています。

(3) 市進HDから埼玉地区の学習塾事業を取得(2016年)

さらには、市進ホールディングスから埼玉地区の学習塾事業を吸収分割により取得するなど、首都圏でも勢力を伸ばしました。学研HDが子会社としてエスワンを設立し、そこへ事業を譲受する形態を採り、双方のリソースを生かすことで経営効率化と地域密着を同時に進めようという戦略が見て取れます。

3-10. 栄光の英語事業強化

かつては「栄光ゼミナール」ブランドで知られ、上場企業でもあった栄光は、英会話スクール「シェーン英会話」の統括会社を4社まとめて子会社化しました。学習塾業だけでなく英語需要の高まりに応えるべく、英語教材企業や講師派遣会社も買収しています。こうした総合化戦略は、進学塾の枠を超えて英語教育の専門サービスをも取り込もうという意欲を示すものと考えられます。

3-11. 市進HDによる茨進グループの買収(2012年)

市進HDは首都圏を中心に幼児から高校生まで幅広く生徒を抱える大手学習塾グループとして知られています。同社は茨城県内で強い地盤を築いていた茨進グループを買収し、地域におけるトップクラスのポジションを確立しようとしました。両社の指導理念を融合し、さらに市進側の「学びMAX」方式を適用することで、より強力なブランドを構築すると同時に、売上・利益の安定化を目指しました。

3-12. スプリックスの拡大路線(湘南ゼミナール子会社化など)

「森塾」を全国展開するスプリックスは、学習塾フランチャイジーの買収や大学受験指導力の強い学習塾の取得などで、急成長を遂げている企業の一つです。湘南ゼミナールの子会社化(2020年)は特に大きなニュースとなりました。神奈川県を中心とした湘南ゼミナールは教室数が多く、大学受験まで一貫して対応する指導力を持っています。スプリックスは個別指導「森塾」を主力としてきましたが、この買収で高校生部門のノウハウを獲得し、生徒の囲い込みを強化しているとみられます。


【第4章:M&Aによるシナジーと課題】

4-1. 規模拡大とブランド力向上

学習塾同士、あるいは学習塾と教育関連企業が統合することで、教室数の拡大や校舎ネットワークの拡充が容易になります。さらに、地域に根付いたブランド力を相互補完し、多様な学習ニーズに対応しやすくなるという大きな利点があります。
一方で、急激な拡大に伴う内部管理体制の整備や、塾ごとの指導方針や理念のすり合わせが必須となります。特に教育サービスは品質の維持が重要で、生徒や保護者の信頼を損ねるリスクがあるため、ブランド統合の際には細心の注意が求められます。

4-2. コスト削減と経営効率化

一般的にM&Aによって本部機能を統合し、教室管理や人事・経理などバックオフィス領域の効率化が可能となります。また、大規模グループとなることで広告宣伝費や教材制作費などのスケールメリットを享受できる場合も多いです。しかし、企業文化やマネジメント手法がまったく異なる場合は、円滑な統合作業が難航することがあります。

4-3. 新事業領域への参入

一部の事例で見られるように、学習塾が英会話スクールを取得したり、保育事業や児童発達支援事業に参入したりといった「隣接領域への進出」は、高いシナジーを期待しやすいです。学習塾の強みを活かして幼児期から高校生まで一貫して対応し、保護者にとって利便性の高いサービスを提供できます。またオンライン学習システムや教材出版企業を取り込むことで、教室以外でも収益を上げられる体制を構築できる点が魅力です。

4-4. 課題とリスク管理

M&Aは成功すれば非常に効果的な成長手段ですが、失敗リスクも存在します。たとえば、買収後に赤字が拡大し、結局は譲渡や撤退を余儀なくされるケースや、企業文化の相違で社員のモチベーションが下がり、離職につながるケースもあります。
学習塾経営においては、現場の講師陣が教育サービスの質を支えているため、人材の流出はそのまま指導品質低下につながりやすいです。M&Aによる急拡大の際は、本部側による講師の研修制度や評価制度の統一化、組織文化の融合を慎重かつ丁寧に進める必要があるでしょう。


【第5章:今後の学習塾業界M&Aの展望】

5-1. 少子化のさらなる加速

現時点でも少子化は業界全体に影響を与えていますが、今後はさらに加速する見通しです。特に地方部や都市近郊部では生徒数の確保が課題となり、教室統合や撤退を余儀なくされるケースが増えるかもしれません。このような局面では、大手による買収・吸収、あるいはフランチャイズ契約の再構築などを通じて、生き残りを賭けた再編が進む可能性が高いです。

5-2. 企業の選択と集中

大手学習塾をはじめとする上場企業は、すでに複数の教育関連事業を抱えている場合が多いです。今後は、なかでも成長余地の大きい事業に「集中」し、収益性の低い事業からは「撤退」する動きが加速するでしょう。実際、明光ネットワークジャパンが子会社ユーデックを譲渡したように、買収・売却の両面で経営資源の最適化を図る例が増えていくことが考えられます。

5-3. グローバル展開と海外事業

帰国子女向けの学習サービスや、海外駐在者の子女向け塾など、海外事業への期待が高まっています。早稲田アカデミーのように、海外塾を買収して日本国内での指導システムに組み込むケースもあるでしょう。一方で、海外市場では現地の教育制度や生活文化、言語の壁などハードルも存在します。そのため、現地で実績のある塾や企業を傘下に収めるM&Aが、海外展開の有力な手段となる可能性があります。

5-4. EdTech企業との連携

ICTやAIを活用したオンライン学習や自学自習支援の需要は今後ますます拡大すると考えられます。学習塾企業は独自の教育ノウハウを持つものの、IT技術を内製化するのはハードルが高いケースが多く、EdTechスタートアップとの協業や買収を通じて事業競争力を強化する動きが続くでしょう。学習進捗管理システム、動画配信、アプリ開発などはネットリテラシーの高い新興企業が強みを持ち、塾大手がそこを取り込みたいと考えるのは自然の流れです。


【第6章:M&A成功に向けたポイント】

6-1. 統合プロセスの丁寧な設計

M&A後の統合作業は非常に重要です。とりわけ学習塾においては「教材」「講師指導」「教室運営ルール」など、教育サービスそのものが属人的あるいは現場主導で運営されがちです。買収先とのシステムや文化の違いを把握し、段階的に統合していく計画を綿密に立てる必要があります。

6-2. 人材定着と講師のモチベーション管理

学習塾の価値は講師の質が大きく左右します。そのため、買収後のリストラや組織再編が過度になると、講師の大量離職や教育サービスレベルの低下を招くリスクがあります。M&Aを成功させるには、講師が働きやすい環境づくりや適切な評価制度・キャリアパスを示すことが重要です。

6-3. ブランド戦略

買収先を自社ブランドに統合するのか、それとも買収先のブランドを維持して共存させるのかは重要な戦略上の判断です。地域密着で高い知名度を誇るブランドを維持することで生徒募集に有利に働くケースも多い一方、自社ブランドによるスケールメリットを活かす選択も考えられます。どちらにするかは、両社の強みや地域特性、ターゲット層などに合わせて慎重に検討する必要があります。

6-4. システム連携とITインフラの整備

塾運営には生徒管理、学費請求、講師シフト管理などITシステムが欠かせません。M&Aで異なるシステム同士を統合する際には、データの移行やカスタマイズなどに手間がかかることも多く、円滑に移行できない場合は混乱が生じるリスクがあります。事前に必要な期間やコストをしっかり見積もることが大切です。

6-5. コンプライアンスとガバナンス

学習塾事業は個人情報を多く取り扱うため、セキュリティ面や個人情報保護、教育関連法令の順守などが求められます。M&Aで企業規模が拡大すると、ガバナンス体制の見直しも不可欠です。特に複数のグループ会社やフランチャイズを抱えるようになると、コンプライアンス教育や内部監査の強化が重要になってまいります。


【第7章:まとめ—学習塾業界のM&Aが示す未来】

学習塾業界におけるM&Aは、少子化・地域競争・教育ニーズの多様化・ICT活用など、多くの変化の渦中で行われる再編の動きであるといえます。ここまでご紹介してきた事例から、以下のような傾向が読み取れます。

  1. 経営資源の再配分・選択と集中
    企業は利益率の高い事業や成長が見込める事業に投資を集中し、不要あるいはマッチしなくなった事業は売却や整理を進めています。
  2. 地域ブランドの獲得
    地域に強い塾を買収し、ドミナントを強化することで生徒募集と競争優位を確立しようとする動きが活発化しています。
  3. サービスラインナップの拡張
    幼児教育・保育、英語教育、オンライン学習、児童発達支援など、新たなサービス領域へ参入するケースが目立ちます。少子化対策として早期教育の需要や、特別支援教育、社会人向けリカレント教育など、多様なニーズを掘り起こす狙いです。
  4. 海外市場や帰国子女向けサービスへの進出
    グローバル化の潮流が教育市場にも波及し、海外現地での学習塾運営や、日本国内に戻ってくる帰国子女に対する受験指導など、国内外でシナジーを狙う動きも見られます。
  5. 非公開化による経営の自由度向上
    全教研やワオ・コーポレーションのように、MBOやTOBを通じて上場廃止し、中長期的視点での経営改革に踏み切る事例も増えています。上場維持コストを削減し、経営陣の思い切った施策実行を可能にする判断です。
  6. EdTechとの融合
    従来の集団指導や対面指導だけでなく、AI・オンライン教材・学習アプリなどを取り込むことで、付加価値の高いサービスへシフトする流れが続きます。自社開発だけでなく、外部のスタートアップ企業を買収して技術を獲得する戦略も有効です。

これらの動きは今後も継続していくと考えられ、学習塾市場はさらに大きな再編局面を迎える可能性があります。「ただの塾」ではなく、保育や発達支援、英語教育、オンライン学習などを複合的に組み合わせることで、保護者や生徒の多様なニーズに応える総合教育企業へと形態を変えていくのでしょう。