1. はじめに
美容クリニック業界は、近年大きな成長を遂げております。二重整形や鼻整形、ヒアルロン酸注射やボトックス注射など、従来からある美容医療サービスのみならず、医療脱毛や再生医療を応用した幹細胞治療など、新たなサービス領域も広がってきました。こうした成長マーケットでは、クリニック同士の競争が激化するとともに、M&A(合併・買収)を通じて事業拡大や規模の拡張を目指す動きが一段と活発化しております。
本記事では、美容クリニック業界におけるM&Aに焦点を当て、なぜM&Aが盛んになっているのか、そのメリット・デメリットにはどのようなものがあるのか、そして具体的な事例や今後の展望まで幅広く解説してまいります。M&Aの基礎知識を持たない方にも理解しやすいよう、なるべく平易な言葉でまとめておりますので、ぜひ最後までお読みいただければ幸いです。
2. 美容クリニック業界の概況
2.1 市場規模と成長性
まずは、美容クリニック業界の市場規模を俯瞰してみましょう。日本国内の美容医療市場は、2010年代に入ってから年平均成長率が5〜10%前後で推移しているといわれております。近年はコロナ禍で一時的な減速は見られたものの、マスク生活の定着に伴う「マスク美人」需要や、テレワーク下でのオンライン会議による「画面映り」への意識などが高まり、美容医療を積極的に受ける傾向が続いています。
さらに、SNSやインターネットを通じて施術の実例や口コミが簡単に手に入る環境になったことも、需要拡大を後押ししています。施術に対する心理的ハードルが下がり、若年層のみならず中高年層や男性にまで利用者が広がることで、市場は今後も安定的な成長が期待されているといえます。
2.2 主要サービス分野の概要
美容クリニックの主要サービスには、以下のようなものが挙げられます。
- 美容外科手術
二重まぶた形成、鼻の整形、フェイスリフトなど外科的な施術が含まれます。ダウンタイムは長めですが、劇的な効果が得られるため根強い人気があります。 - 注入系治療
ヒアルロン酸やボトックスを用いた注入治療は、メスを使わず比較的短いダウンタイムで効果を得られるため、幅広い層に支持されています。 - 医療脱毛
専門性の高い医療機器を用いた脱毛サービスです。エステ脱毛と比較して効果が高く、施術回数も少なく済むことから人気を博しています。 - 再生医療・美容皮膚科
幹細胞治療やPRP(多血小板血漿)治療など、最先端の再生医療を応用した施術や、シミ・しわ・ニキビ跡などの皮膚疾患を改善する美容皮膚科の分野も拡大傾向にあります。 - その他
ダイエットサポート・肥満治療や、AGA(男性型脱毛症)治療なども盛んになっており、「トータルビューティー」をコンセプトに掲げるクリニックも少なくありません。
2.3 競合状況と差別化要因
美容クリニック業界では、全国展開する大手チェーンから、地域密着型の個人クリニックまで、さまざまな規模のプレイヤーが存在します。大手チェーンはテレビCMやインターネット広告など大規模なプロモーションを展開し、知名度と集客力で優位に立つケースが多いです。一方、中小規模のクリニックは、院長やスタッフとの「対話型カウンセリング」や「こだわりの施術」、地域に根ざした口コミなどを強みに、独自のブランドイメージを確立していることもあります。
差別化要因としては、以下のようなポイントが重要とされています。
- 医師・スタッフの専門性と人間性
高い技術力のみならず、患者とのコミュニケーション力も重視されます。 - 施術メニューの充実度
トレンドや需要に応じて新たな施術を導入できる柔軟性が求められます。 - 料金設定と支払いプラン
分割払いの導入やローン提携など、多様な支払い方法を用意しているかどうかも選ばれる要因となります。 - アクセスや立地、院内環境
駅前など好立地にクリニックを構えることで、集客力を高める戦略も重要です。
3. 美容クリニック業界のM&Aが活発化する背景
ここ数年、美容クリニック業界ではM&Aが相次いで報じられています。なぜこれほどまでに合併・買収が盛んになっているのでしょうか。その背景には、以下のような要因が挙げられます。
3.1 参入障壁の低下と市場プレイヤーの増加
美容医療という分野は、医師免許を持つ人材が確保できれば参入が可能であり、他の病院運営に比べて比較的参入しやすい市場といえます。設備投資も、クリニックの規模によっては比較的低コストで済むケースもあり、特に医療脱毛などの市場拡大を狙って異業種からの参入が進んでいます。こうした状況の中で、すでに実績やブランドを持つクリニックを買収して参入の近道を図る企業も少なくありません。
3.2 需要の拡大と事業領域の複雑化
美容医療の施術メニューは多様化しており、施術ごとに使用する機器や薬剤の知識、トレーニングなどが必要です。患者数が増加すると、それだけ多角的な技術やサービスの提供が求められます。しかし、自前で新メニューを開発し、必要な設備や人材をそろえるには時間やコストがかかります。そこで、すでにそうした技術や人材を抱える他のクリニックをM&Aによって取り込むことで、事業領域を拡大しやすくなるのです。
3.3 人材不足と技術集約
美容医療を提供するうえで欠かせないのが医師や看護師などの医療従事者です。特に、美容医療の分野で高い技術や実績を持つ医師の確保は容易ではありません。優秀な医師を多く抱えるクリニックを買収することで、その医師たちが持つ施術ノウハウや顧客基盤を自社グループに取り込み、競争優位を確保する狙いがあります。また、皮膚科や形成外科など関連領域の専門医を集約することで、より幅広い施術をワンストップで提供できる体制を整備できます。
3.4 ブランディング戦略と成長意欲
美容医療はイメージが非常に重要です。患者がクリニックを選ぶ際、安心感や信頼性、高級感などのブランドイメージを重視する傾向があります。そこで、知名度や評判の高いクリニックを買収して傘下に収めることで、自社ブランドの価値向上を図るケースもあります。また、大手チェーンや事業会社が「収益性の高い成長市場」として美容医療業界を捉え、積極的に投資をする動きがあることも、M&Aの活発化につながっています。
4. M&Aのメリットとデメリット
M&Aによって事業規模を拡大することは、必ずしも良い面ばかりではありません。ここでは、美容クリニック業界に特に当てはまるメリットとデメリットを整理します。
4.1 メリット
- シナジー効果
買収先のクリニックが持つ専門技術や顧客基盤を活用することで、グループ全体の競争力を高められます。また、複数のクリニックが施術メニューや機器を共有することで、仕入れコストの削減や新規開発の効率化が期待できます。 - スケールメリット
規模が大きくなることで、広告宣伝費や医療機器、医薬品の仕入れなどでボリュームディスカウントを受けやすくなります。全国展開や地域密着など、複数の経営戦略を柔軟に取れるようになるのもメリットです。 - 人材確保
経験豊富な医師や看護師のほか、美容カウンセラーや受付スタッフなど、優秀な人材をまとめて確保できる点も大きな利点です。医療スタッフの教育や研修体制を共通化することで、各院の人材育成にかかるコストを削減できる可能性もあります。 - ブランディング効果
評判の良いクリニックを買収することで、グループ全体のブランド力が高まります。事業拡大の足がかりとしても有効です。
4.2 デメリット
- 企業文化の統合リスク
M&A後の組織統合(PMI: Post Merger Integration)に失敗すると、元々のスタッフのモチベーションが低下し、離職率が上昇することがあります。経営理念や評価制度の違いなど、ソフト面での調整が非常に重要になります。 - ブランド毀損リスク
買収先のクリニックの施術品質やサービスが買収元の水準と乖離していた場合、グループとしてのブランド価値が下がる可能性があります。逆に買収元のブランドが買収先のネガティブな噂の影響を受けるケースも考えられます。 - 高額な買収費用
人気クリニックの買収には、多額の投資が必要です。美容医療市場が成長しているとはいえ、収支計画が読み切れない中で大きな借入を行うことは、財務リスクにもつながります。 - 施術リスクや医療事故リスクの拡大
クリニックの数が増えるほど、管理しなければならない医療事故リスクが増します。特に美容医療では、施術に対するクレームやトラブルが生じやすいため、リスクマネジメント体制を強化する必要があります。
5. 美容クリニック業界における具体的なM&Aの事例
5.1 国内大手チェーンによる買収事例
日本国内には、複数の大手美容クリニックチェーンが存在します。その中でも上位のチェーンは数十院から百院を超える規模になっており、さらなる事業拡大を目指して地域密着型の中小クリニックを買収するケースが報じられています。たとえば、「〇〇美容クリニック」が「△△美容外科」を買収し、施術メニューや医療スタッフを補完し合うことで双方の顧客層を取り込み、地域ごとに異なるニーズに対応する戦略をとった例があります。
また、買収後には、院の名称変更や広告展開を行い、大手チェーンのブランド力を生かすことで集客力を高めています。その一方で、買収先の院長やスタッフとの人間関係や企業文化のすり合わせが課題となるケースも少なくありません。
5.2 外資系企業との提携・統合事例
海外の美容医療関連企業が日本市場に参入する際、日本の医療法や薬機法の制約を熟知したローカルプレイヤーとの提携を図るケースがあります。特に、医療機器メーカーや化粧品メーカーなどは、自社の最新技術やブランド力を生かしながら、日本の美容クリニックと共同で新商品・新施術メニューを開発するといった取り組みを進めています。
さらに、外資系投資ファンドが日本の美容クリニックを買収し、経営効率化やグローバル展開を後押しする事例も見られます。たとえば、複数の美容クリニックを束ねたホールディングスを設立し、海外からの医療ツーリズム需要を取り込む試みを行うなど、新たなビジネスモデルが生まれています。
5.3 地域密着型クリニック間の統合
大手チェーンだけでなく、地域で高い評判を得ている個人クリニック同士が合併し、新たなブランドを立ち上げる動きも見受けられます。特に、地方都市などでは人口減少の影響を受ける地域もあり、単独経営では集客や経営基盤の安定が難しくなってきているケースがあります。そこで、近隣同士のクリニックが統合して施術メニューを拡充し、人材を共有することで経営効率を高めるという戦略です。
こうした地域密着型のクリニック同士のM&Aは、患者にとってもアクセスや施術の選択肢が広がるメリットがあります。一方で、院長同士の経営方針のすり合わせや、地域の顧客が持つイメージの統合など、クリアすべき課題も存在します。
5.4 異業種からの参入とM&A
美容クリニックは、比較的利益率が高いといわれることもあり、異業種企業が参入する例が増えています。たとえば、エステサロンやフィットネスクラブなど、美容・健康産業に関連する企業が、医療資格を有するパートナーと提携・買収することで「メディカルエステ」「メディカルフィットネス」など新ジャンルを確立しようとする動きがあるのです。また、ドラッグストアチェーンや調剤薬局チェーンがクリニックを買収し、薬剤提供やスキンケア商品開発とのシナジーを狙うケースも散見されます。
6. M&Aのプロセスとポイント
6.1 デューデリジェンス
M&Aを進める際、最初に重要となるのが買収候補先の事業内容や財務状況、法務リスクなどを入念に調査するデューデリジェンスです。美容クリニックの場合、下記のような項目が特に注目されます。
- 財務状況: 施術ごとの売上推移、広告宣伝費、利益率、負債の有無
- 人事・組織: 医師やスタッフの雇用契約、離職率、資格保有状況
- 施設・設備: 医療機器の保有状況、メンテナンスコスト、減価償却
- 法務リスク: 過去の医療事故やクレーム、訴訟歴、契約書類の不備
- 顧客基盤: リピート率、口コミサイトの評価、地域での評判
美容医療は患者との信頼関係が重要であり、過去のトラブルや評判はM&A後のブランドイメージにも大きく影響します。したがって、法務リスクだけでなく、SNSや口コミサイトなどを含めた「評判調査」も欠かせません。
6.2 企業価値評価の方法
企業価値を評価する手法としては、一般的に以下のようなものがあります。
- DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法)
将来生み出されるキャッシュフローを割り引いて現在価値を計算する手法。美容クリニックの場合、設備投資や医療スタッフの人件費などが収支に大きく影響します。 - 類似取引比較法
同業他社が買収された際の評価額や、株式市場での株価マルチプルなどを参考にする方法。ただし、非上場の個人クリニックが多いため、類似案件を探すのが難しい場合があります。 - 簿価純資産法
帳簿上の資産・負債をベースに評価する方法。美容クリニックは「人的資産」のウェイトが大きいので、この手法だけでは十分な評価ができないケースもあります。
評価時には、施術機器や薬剤の棚卸資産、そして医師やスタッフの技術力・評判といった無形資産も考慮する必要があります。とりわけ「顧客基盤」と「ブランド力」は、買収後の業績に大きく影響するため、定性的な評価をどう数値化するかがポイントとなります。
6.3 交渉と契約締結
デューデリジェンスの結果を踏まえ、買収価格や支払い条件、スタッフの雇用継続、役員・経営陣の去就などの交渉が行われます。美容クリニックの場合、院長がそのまま残るのか、あるいは引退して買収元に譲渡するのかによって、患者との関係性や施術の継続性が大きく変わります。契約時には以下のような点を明確にしておくことが重要です。
- 買収スキーム: 株式譲渡、事業譲渡、合併など
- 買収金額と支払いスケジュール
- 院長やスタッフの雇用条件・契約形態
- アーンアウト条項(業績達成に応じた追加報酬)
- 競業避止義務や機密保持義務
契約締結後は、正式に株式や事業資産の譲渡が行われ、経営権が移転します。この段階で曖昧な点が残っていると、後々トラブルになる可能性があるため、慎重な交渉が求められます。
6.4 ポストM&A統合(PMI)の重要性
契約が成立した後、実際にクリニックの運営を一体化していくプロセスを**PMI(Post Merger Integration)**と呼びます。美容クリニックの場合、院長やスタッフが持つ施術ノウハウはもちろん、患者とのコミュニケーションスタイルやカルテ管理など、実務面での統合がきちんと進まなければ、シナジー効果は得られません。
- 組織設計・人事制度: 評価や報酬体系をどのように一本化するか
- ブランド・マーケティング: 院名やロゴを買収元に合わせるか、元の名称を残すか
- システム統合: 電子カルテや顧客管理システム、広告出稿の管理など
- カウンセリングや施術マニュアルの標準化: 統一することで業務効率を上げるが、個人の裁量や自由度が失われないようバランスを取る必要があります。
PMIがうまくいかないと、スタッフの離職や患者数の減少、混乱によるクレーム発生など、経営に悪影響を及ぼすリスクがあります。逆に、PMIを丁寧に進めることで、複数のクリニックの強みを結集した新たな成長モデルを構築できる可能性もあるのです。
7. M&A成功のための課題と対策
7.1 経営戦略・ビジョンのすり合わせ
M&A前後で最も重要なのが、「そもそもどんな目的でM&Aを行うのか」という経営戦略の明確化です。買収元と買収先でビジョンが共有されていないと、統合後に方向性の違いが表面化し、結果としてPMIが失敗する可能性が高まります。双方の経営層が早い段階で理念や目標をすり合わせることが大切です。
7.2 組織・人事制度の整合性
美容クリニックはスタッフのモチベーションやスキルが売上を左右する業態といえます。M&Aに際しては、給与や待遇の変更がスタッフにどのようなインパクトを与えるかを慎重に検討しなければなりません。また、合併後の組織体制をどうするか、院長や管理職の配置なども大きな争点となりがちです。適切なコミュニケーションを取り、スタッフの不安を解消する施策が必要です。
7.3 ブランド・マーケティング戦略の統合
美容医療の世界では、ブランドイメージが患者の選択に直結します。M&Aの際に、買収先クリニックの名前を残すか、買収元のブランドに統一するかは重要な判断事項です。買収先が既に地域で強固なブランド力を持っている場合は、その強みを生かすべく院名を変えない選択肢も考えられます。逆に、全国チェーンとしての認知度を高めたい場合は統一ブランドを使うケースもあります。
また、広告戦略やSNSを含むオンラインマーケティングも統合して管理することで、広告費を効率よく運用できる一方、クリニックごとのメニューや価格設定をどこまで統一するかなど、調整が必要となります。
7.4 デジタル化・DX推進における連携
近年では、電子カルテや顧客管理システム(CRM)、オンラインカウンセリングなど、デジタル技術を活用した患者サービスの向上が重要視されています。M&Aによって複数のクリニックが同一グループとなった場合、システムやデータベースの統合、DX推進のロードマップ策定などが課題として浮上します。
- 電子カルテ統合: 患者データを一元管理することで、施術履歴や効果検証をグループ横断で行いやすくなる
- オンライン予約・カウンセリング: 地域や院を超えた予約管理システムの導入により、患者の利便性を高める
- AI活用: カウンセリング段階での施術シミュレーションや、レコメンドシステムの開発による顧客満足度向上
DX推進は投資額も大きくなりますが、うまく活用できれば他社との差別化ポイントとなり、顧客ロイヤルティを高める原動力となります。
8. 国内外の規制・法務面の留意点
8.1 医療法と広告規制
日本における医療法では、医師法や薬機法とあわせて、美容医療の提供や広告活動に様々な制限を設けています。具体的には、医療機関の広告には「事実に基づく表現」「誇大広告の禁止」などのルールがあり、違反した場合は行政処分の対象となります。M&Aによって事業規模が拡大し、広告展開が派手になるほど、こうした法規制への対応には慎重さが求められます。
8.2 独占禁止法・公正取引委員会の視点
大手チェーンが特定地域で圧倒的シェアを獲得する場合、独占禁止法の観点から公正取引委員会の審査が入ることがあります。美容クリニック業界はまだそれほど寡占化が進んでいないとされますが、大規模なM&Aや再編が進めば、いずれはこうした規制当局の視点も考慮しなければなりません。
8.3 ライセンス・許認可の引き継ぎ
美容医療を行うには、医療法に基づく開設許可や医師免許の管理などが必要となります。クリニックの買収にあたっては、これらの許認可が正しく引き継がれるかを確認することが必須です。特に、事業譲渡の形をとる場合、許認可の再取得が必要となる可能性もあり、買収後の運営に支障を来さないよう、事前に手続きを確認することが重要です。
9. 今後の展望
9.1 コロナ禍以降の需要変化
コロナ禍では、一時的に患者数が減少したクリニックもありましたが、その後はオンライン会議などの影響から「画面映り」を気にする方が増加し、フェイシャル系の施術需要が伸びたという事例が報告されています。さらにマスク生活による「マスク美人」が一般化し、「マスクを外したときにきれいでいたい」という理由で施術を受ける患者も増えています。今後もこうした需要が続くと見られ、M&Aによる事業拡大を検討する企業は引き続き増加するでしょう。
9.2 技術革新(新施術・新機器)の影響
ヒアルロン酸注入やボトックス注射などの従来技術に加え、再生医療を取り入れた治療や、新しいエネルギーデバイス(レーザーやHIFUなど)が次々と登場しています。技術革新が進むことで、施術のクオリティが上がり、ダウンタイムが短くなるなど患者メリットが増大していく一方、それらの機器を導入・運用するための投資負担も高まります。大手チェーンにとっては、積極的に新技術を取り入れて差別化を図る絶好の機会であり、M&Aを通じて先端技術を持つクリニックを取り込もうとする動きが見込まれます。
9.3 海外展開とインバウンド需要
日本の美容医療は、技術力や安全性の高さで海外から高い評価を受けています。コロナ禍でインバウンド需要は一時的に落ち込みましたが、国境を越えた移動が徐々に再開するにつれ、再び海外からの美容ツーリズムが注目される可能性があります。アジア圏では、韓国の美容整形が有名ですが、日本のクリニックもまた高品質なサービスで人気を得ています。
M&Aを通じて大手チェーンが海外進出を果たしたり、外国人患者向けの受け入れ体制を強化したりする動きが加速するかもしれません。語学対応のできるスタッフの確保や、多言語対応のマーケティングが必要となるため、人材や資金を集約できる大手グループの優位性が高まるでしょう。
9.4 ESG・社会的責任への注目
近年、企業活動において環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)を重視するESGの考え方が広がっています。美容医療業界においても、医療廃棄物の処理や従業員の多様性・働き方改革、透明性の高いガバナンスといったテーマが注目されるようになってきました。大手チェーンや投資ファンドがM&Aを行う際、ESGの観点を重視した経営体制を整えることが、今後は企業価値向上の鍵となる可能性があります。
10. まとめ
美容クリニック業界は、技術革新の速さやブランド力の重要性、そして市場ニーズの多様化により、引き続き成長が見込まれる注目の分野です。その成長を支える一方で、激化する競争や人材確保の難しさも抱えており、こうした課題を一気に解決しようとする動きが近年のM&A活発化の背景といえるでしょう。
M&Aには、シナジー効果やスケールメリット、ブランディング強化といった大きなメリットがある一方、企業文化の統合リスクやブランド毀損リスク、高額な買収コストなどのデメリットも存在します。M&Aを成功させるためには、デューデリジェンスでの入念なリスクチェックや、買収後のPMI(ポストM&A統合)における丁寧な組織・人事・ブランド統合が欠かせません。
今後、美容クリニック業界のM&Aは、日本国内だけでなく、海外展開やインバウンド需要の回復、さらにはESGへの注目の高まりといったトレンドにより、ますます多様化・大型化する可能性があります。大手チェーンから地域密着型クリニック、そして異業種からの参入企業や投資ファンドまでが競い合うことで、業界再編はさらに進んでいくでしょう。そして、その過程でより質の高い美容医療サービスや新技術が誕生し、利用者にとっての選択肢も増えることが期待されます。
美容医療を取り巻く環境は日々変化しています。技術革新や患者の意識変化とともに、経営面でもM&Aという選択肢は今後ますます重要度を増していくと考えられます。もし美容クリニック業界への参入や既存クリニックの売買、事業拡大を検討されている場合は、今回ご紹介したポイントを踏まえながら、十分なリサーチと専門家のサポートを得て慎重に進めていただくことをおすすめいたします。
以上が、美容クリニック業界におけるM&Aに関する総合的な解説となります。市場の概況から、M&Aが活発化する背景、具体的な事例、そして今後の展望までを幅広く取り上げました。美容医療は「美と健康」の領域でありながら、医療に関わる高度な専門性も求められるというユニークな産業です。その中で生じるM&Aは、ビジネスの観点からも非常に興味深い動向を含んでいます。ぜひ本記事を通じて、美容クリニック業界のM&Aに対する理解がより深まれば幸いです。
株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。