目次
  1. 第1章:観光業界におけるM&Aの背景
    1. 1-1. 観光需要の変化
    2. 1-2. 業界再編の必要性
    3. 1-3. 観光以外の事業とのシナジー
  2. 第2章:交通・インフラ系企業の事例
    1. 2-1. 第一交通産業によるタクシー会社・旅行会社の買収
      1. 西日本日中旅行社(2019年12月27日 子会社化)
      2. 苫小牧観光ハイヤー(2022年7月5日 子会社化)
      3. 買収の狙いと効果
    2. 2-2. 名古屋鉄道によるタクシー・バス会社やホテル等の譲渡
    3. 2-3. 東武鉄道<9001>による旅行会社の買収(2013年)
    4. 2-4. 近鉄グループホールディングス<9041>、近鉄エクスプレス<9375>のTOB(2022年)
  3. 第3章:ホテル・旅館業に関わるM&A事例
    1. 3-1. 日本スキー場開発<6040>のスキー場運営会社との統合・買収
    2. 3-2. 藤田観光<9722>のホテル事業における再編
    3. 3-3. 日本駐車場開発<2353>によるテーマパーク・リゾート事業の拡張
    4. 3-4. 南海電気鉄道<9044>による「通天閣観光」の子会社化(2024年予定)
    5. 3-5. ロイヤルホテル<9713>による「芝パークホテル」の子会社化(2024年予定)
  4. 第4章:旅行代理店やランドオペレーター分野の事例
    1. 4-1. エアトリ<6191>の積極的なM&A
    2. 4-2. ヒト・コミュニケーションズ・ホールディングス<4433>のランドオペレーター買収
    3. 4-3. サンフロンティア不動産<8934>による「ホテル大佐渡」の子会社化
  5. 第5章:テーマパーク・レジャー施設分野の事例
    1. 5-1. 日本駐車場開発<2353>によるテーマパーク事業
    2. 5-2. 第一交通産業の旅行会社買収によるツアー企画
    3. 5-3. 五洋インテックス<7519>の医療観光(メディカルツーリズム)関連会社の買収
  6. 第6章:外資ファンドや投資会社による買収・再編
    1. 6-1. 米投資ファンドEVO FUNDによるレッド・プラネット・ジャパン<3350>のTOB
    2. 6-2. 常磐興産<9675>へのフォートレス・インベストメント・グループのTOB
  7. 第7章:飲食・物販など周辺領域における事例
    1. 7-1. ラオックス<8202>の多角化戦略
    2. 7-2. 旅行土産品・菓子製造分野のM&A
    3. 7-3. 飲食チェーンによる観光需要取り込み
  8. 第8章:地域活性化・観光開発を目的とした事例
    1. 8-1. リゾート開発会社による地方ホテルやゴルフ場の再生
    2. 8-2. サンフロンティア不動産や穴吹興産<8928>による地方ホテル買収
    3. 8-3. 昭文社ホールディングス<9475>のコールセンター子会社の譲渡
  9. 第9章:観光M&Aの共通点と今後の展望
    1. 9-1. インバウンド需要を見据えた戦略
    2. 9-2. 選択と集中による事業再編
    3. 9-3. コロナ禍による経営戦略の変化
    4. 9-4. テクノロジーとの融合
  10. 第10章:M&A成功のポイントと今後の課題
    1. 10-1. 地域との連携強化
    2. 10-2. 買収後のPMI(Post Merger Integration)
    3. 10-3. リスクマネジメント
    4. 10-4. グローバル化とDXの推進
  11. 結論

第1章:観光業界におけるM&Aの背景

1-1. 観光需要の変化

日本国内の観光市場は、長引く経済停滞や人口減少により、国内旅行だけでは大きな成長が見込みにくい時期が長らく続きました。しかしながら、2010年代に入ってからは、訪日外国人旅行者の急増により、インバウンド市場が一気に拡大しました。特に中国や東南アジア地域を中心として、世界各国から日本を訪れる旅行者が増え、地方都市にも外国人観光客が足を運ぶようになりました。さらに、新型コロナウイルス感染症による観光需要の落ち込みを経て、「アフターコロナ」の時代には、再び訪日需要が大きく伸びることが期待され、これに合わせてサービス産業も変革を迫られています。

1-2. 業界再編の必要性

観光業界はホテル・旅館、運輸、旅行代理店、タクシー、アミューズメント施設など、業種が多岐にわたるうえ、全国に多数の事業者が存在します。とりわけ地域密着型の中小企業も多く、競争環境が激しい反面、それぞれの地域で培ってきたノウハウやブランド力を持つケースも少なくありません。一方で、設備投資への資金不足や人材不足に悩み、施設の老朽化を放置せざるを得ない事例も見受けられます。

こうした状況下で、資金力や開発ノウハウを持つ企業、あるいは全国・海外にネットワークを有する企業がM&Aによって地域の有力企業を傘下に収める動きが進んでいます。このような再編により、サービスの相互補完や集客力強化、オンラインでの販売力アップを狙うケースが典型例といえます。

1-3. 観光以外の事業とのシナジー

観光産業のM&Aでは、当該事業のみならず、親会社がもつ別分野のアセットやノウハウを活かすことでシナジーを生み出す狙いも多くみられます。たとえば鉄道事業者が沿線の観光施設を取得して利用促進を図ったり、通販会社がECサイトと結びつけて訪日旅行者向けの商品販売を行ったりするなど、グループ全体の収益向上を目指す手法が典型です。このようなシナジー追求による「選択と集中」は、数多くのM&A事例の根底に流れるモチベーションといえるでしょう。


第2章:交通・インフラ系企業の事例

2-1. 第一交通産業によるタクシー会社・旅行会社の買収

西日本日中旅行社(2019年12月27日 子会社化)

第一交通産業<9035>は、タクシーや不動産、バス運営などを展開している企業ですが、中国専業旅行会社である西日本日中旅行社を子会社化しました。これにより、外国人観光客向けツアーの企画や募集を強化し、さらには自社が保有する中国子会社(上海と大連)の連携で相乗効果を狙っています。
海外からの旅行客が急増する中で、タクシー事業だけにとどまらず、旅行企画会社を傘下に収めることで訪日観光の送客から移動手段までを一手に担う体制を構築する意図が読み取れます。

苫小牧観光ハイヤー(2022年7月5日 子会社化)

また、第一交通産業は北海道苫小牧市の苫小牧観光ハイヤー(タクシー会社)を傘下に収めました。これにより、同社が北海道内で保有するタクシー台数は500台超に膨れ上がり、全国では8000台を超えるまでに至ります。道内での交通手段確保だけでなく、観光需要が増加傾向の北海道において、訪日客向けの移動インフラを一層強化する狙いが含まれていると考えられます。

買収の狙いと効果

第一交通産業のように、タクシー保有台数を着実に増やしながら海外の送客会社を取り込む事例は、グローバル化の流れに沿ったものでしょう。地方や観光地での移動手段を充実させることは、今後の観光需要拡大に向けた大きなアドバンテージとなり得ます。また、自社グループ内に旅行会社機能をもたせることによって、企画から運送まで「一気通貫のサービス」を実現しやすくなる点が強みといえます。

2-2. 名古屋鉄道によるタクシー・バス会社やホテル等の譲渡

逆に、名古屋鉄道<9048>はグループとしての経営資源を集中させるため、タクシーやバス事業、ホテル運営会社を相次いで譲渡する動きを見せています。たとえば2008年に福井名鉄タクシーを譲渡、2012年には道東観光開発や網走バスを地元企業へ譲渡するなどの事例がありました。
さらに、2021年3月には金沢名鉄丸越百貨店や金沢スカイホテルの株式をディスカウントスーパー運営のヒーローに譲渡し、慢性的赤字の解消や雇用維持の可能性を探る動きを示しました。これはいわゆる「選択と集中」の典型例で、利益率の低いセクションをグループ外に切り出し、本業である交通事業やより高収益が見込める事業にリソースを集中する方針といえます。
名古屋鉄道は「鉄道を軸に沿線を盛り上げる」というよりも、グループ経営の効率化を優先させる方向性がうかがえます。コロナ禍以降は特に鉄道利用客の減少が問題視されてきましたが、既に2010年頃から「不採算事業の整理」を進めており、コロナ禍でその動きを一段と加速させたとも考えられます。

2-3. 東武鉄道<9001>による旅行会社の買収(2013年)

東武鉄道は、旅行会社トップツアーの持株会社ティラミスホールディングスを完全子会社化しました。東武鉄道は東京~栃木県の日光や鬼怒川温泉方面などを沿線にもつ大手私鉄で、傘下企業と連携して訪日客の誘致を強化しています。トップツアーは全国に116か所の事業所に加えて海外にも拠点を持ち、訪日旅行・団体旅行の分野で強みを持つ企業です。
東武鉄道はこの買収により、関東地域にとどまらず全国的なネットワークを獲得し、自社沿線への送客を強化するとともに、インバウンド市場でのシェア拡大を目指しました。大都市圏での知名度を活かしながら、全国の顧客を日光や鬼怒川へ誘導できる点で大きなシナジーが期待できます。

2-4. 近鉄グループホールディングス<9041>、近鉄エクスプレス<9375>のTOB(2022年)

一方で、近鉄グループホールディングスは貨物物流大手の近鉄エクスプレスを完全子会社化する目的でTOBを実施しました。近鉄グループは鉄道・バス・タクシー・百貨店・ホテルなど、多角的に事業展開しています。貨物事業は観光業とは直接結びつきにくい部分はあるものの、経営リソースの一元化により、グループ全体の経営基盤を強化したい考えがうかがえます。
これもまた、コロナ禍や地政学リスクへの対応など、外部環境の大きな変化に備える意味合いがあります。さらに、旅行者の荷物を一括して海外から運ぶサービスの可能性など、「旅と物流」の親和性を見出せるケースも考えられ、今後の新サービス展開次第では観光分野へ貢献する可能性もあります。


第3章:ホテル・旅館業に関わるM&A事例

3-1. 日本スキー場開発<6040>のスキー場運営会社との統合・買収

日本スキー場開発は、多くのスキー場が集客低迷に苦しむ中、M&Aを通じて複数のスキー場を再生させています。たとえば2009年には「竜王スキーパーク」を運営する竜王観光を買収、さらに2016年には那須高原のテーマパーク買収を子会社化(日本テーマパーク開発を通じて)するなど、スキー場やレジャー施設を次々と傘下に収めています。
特筆すべきは、2020年10月に同社の子会社である白馬観光開発と八方尾根開発とが経営統合に向けた協議に入ったことです。長野県白馬村で複数のスキー場を共同運営することで集客力を高め、海外のスキーヤーやスノーボーダーにも訴求する施策を打ち出そうとしています。近年ではスノーリゾートとして日本の雪質や景観が世界的に評価されるようになり、欧州やオーストラリア、アジア各国からのインバウンドが期待されています。

3-2. 藤田観光<9722>のホテル事業における再編

藤田観光は「椿山荘」「太閤園」「ワシントンホテル」などを運営する大手ですが、近年は不採算事業所の整理や事業構造改革を進めています。
たとえば、会員制リゾートクラブ事業「ウィスタリアンライフクラブ」を国内投資ファンドのアドミラルキャピタルに譲渡する、別荘地の水道供給事業を自治体へ譲渡するなどして、コア事業へ経営資源を集中しています。コロナ禍で大きな打撃を受けたホテル業界では、資金調達や費用削減を急ぐ動きが顕著でしたが、藤田観光はまさにその先頭に立つような施策を展開しました。
同社は早期退職募集などのリストラも実施し、老舗ブランドを残しながらも負の遺産となりうる施設や分野を切り離すことで、生き残りを図っていると言えます。

3-3. 日本駐車場開発<2353>によるテーマパーク・リゾート事業の拡張

日本駐車場開発はコインパーキングや大型駐車場の運営を行う企業ですが、近年はスキー場やテーマパークの運営に積極的に乗り出している点が興味深い事例です。
2020年2月には「那須りんどう湖レイクビュー」を運営する那須興業を子会社化し、すでに運営している「那須ハイランドパーク」との相乗効果を図っています。さらに過去には、「竜王スキーパーク」「サンアルピナ鹿島槍スキー場」などを傘下に収め、スキーリゾート事業でも実績を積んでいます。
駐車場事業とリゾート事業は一見かけ離れた分野のように思えますが、同社は「多様なビジネスを通じて収益を安定させる」という戦略を掲げており、レジャー・観光向け事業の成長性を高く評価していると考えられます。

3-4. 南海電気鉄道<9044>による「通天閣観光」の子会社化(2024年予定)

大阪の観光名所「通天閣」を運営する通天閣観光を南海電気鉄道が子会社化することが決定しました。南海電鉄は大阪・関西国際空港方面へのアクセス鉄道として知られ、インバウンド需要の取り込みに積極的な姿勢を示しています。
新世界のシンボルである通天閣を傘下にすることにより、沿線の国際観光都市化、なにわ筋線の開業(2031年予定)なども踏まえつつ、大阪の魅力を発信する拠点とするねらいがあるでしょう。今後は通天閣となんば・道頓堀エリアなどを結ぶ観光路線や、訪日客向けの企画チケットの販売など、多角的な事業展開が期待されます。

3-5. ロイヤルホテル<9713>による「芝パークホテル」の子会社化(2024年予定)

ロイヤルホテル(リーガロイヤルホテルを西日本中心に展開)は、東京の老舗ホテル「芝パークホテル」を子会社化すると発表しました。東京へのインバウンド需要が再び急増すると見られるなか、首都圏でのプレゼンス強化を図る戦略です。
芝パークホテルは1948年創業の歴史をもち、海外からの集客にも定評があるホテルです。ロイヤルホテルが関東圏での拠点を得ることで、インバウンドに対応しやすい受け皿を拡充し、グループ全体のブランド力強化にもつなげる思惑があると言えます。


第4章:旅行代理店やランドオペレーター分野の事例

4-1. エアトリ<6191>の積極的なM&A

国内外の航空券比較・予約サイト「skyticket」を運営するエアトリ(旧エボラブルアジア)は、旅行関連事業者への出資・買収を盛んに行っています。
たとえば、Wi-Fiレンタル会社グローバルモバイルの子会社化や訪日外国人向けコンシェルジュアプリ「Tabiko」の取得などを通じて、自社サイト利用者の利便性を高める狙いがあります。単なる航空券販売だけでなく、移動通信手段や旅行先でのサポートといった付加価値を提供し、顧客の満足度向上を図っています。

さらに、国内旅行商品をWeb販売するエヌズ・エンタープライズを傘下に持ち、宿泊プラン一括管理ツールを提供するかんざしとの経営統合を発表するなど、幅広いサービスの取り込みを進めています。今後も同社はオンライン・オフラインを問わない旅行手配周辺領域の拡大を目指しているようです。

4-2. ヒト・コミュニケーションズ・ホールディングス<4433>のランドオペレーター買収

ヒト・コミュニケーションズHDは人材サービスを手がける一方で、2011年頃から旅行関連人材の派遣や観光人材サービスに力を注いできました。
具体的には、2019年に訪日外国人向けツアーなどを企画・手配するランドオペレーター大手のトライアングルを買収しており、ASEAN地区を中心とした取引が強みの企業と連携することで、訪日ツアー需要を取り込む狙いがうかがえます。また、国内外への添乗員派遣事業において、関西や東北など地域密着型企業を相次いで子会社化しており、人材と旅行サービスを融合させたビジネスモデルを拡充しています。

4-3. サンフロンティア不動産<8934>による「ホテル大佐渡」の子会社化

不動産再生事業で知られるサンフロンティア不動産は、新潟県佐渡市の「ホテル大佐渡」を運営する企業を取得しました。同社はすでに佐渡島内で複数の宿泊施設・観光関連事業を手がけており、佐渡を総合的に盛り上げる観光再生ビジネスを推進しています。このように不動産事業者が地域のホテルを再生し、観光促進と地域活性化をセットで行う事例が増えています。


第5章:テーマパーク・レジャー施設分野の事例

5-1. 日本駐車場開発<2353>によるテーマパーク事業

前述したように、日本駐車場開発は駐車場以外にもテーマパークやスキー場経営に参入し、那須高原エリアでの統合運営を進めています。観光地の施設運営を担うことにより、訪日客だけでなく国内家族連れ客など幅広い客層を取り込めます。さらに、リゾートエリアにおける駐車場需要の獲得ともリンクし、シナジーが生まれる構造です。

5-2. 第一交通産業の旅行会社買収によるツアー企画

既述した第一交通産業の中国専業旅行会社子会社化は、テーマパークやホテルなどの施設は扱っていないものの、タクシー事業と旅行企画を接続することでレジャー・観光セクター全体をカバーできる点が特徴的です。
いわゆるハイヤー送迎付きのプレミアムツアーや、地方観光地をめぐる周遊プランなど、旅客移動とセットの企画を自社で開発できるといったメリットがあります。

5-3. 五洋インテックス<7519>の医療観光(メディカルツーリズム)関連会社の買収

五洋インテックスはカーテンなどのインテリア商材を扱う企業でしたが、新規事業としてメディカルツーリズムに着目し、旅行会社であるMNCを子会社化するなどの動きを見せています。また、遺伝子検査や医療観光事業を行うキュアリサーチの株式保有をめぐる問題もありましたが、最終的には別途譲渡の流れとなりました。
このように、医療や健康分野と観光を掛け合わせる新ビジネスへの参入も、M&Aによるノウハウ獲得が手っ取り早い手段とされています。


第6章:外資ファンドや投資会社による買収・再編

6-1. 米投資ファンドEVO FUNDによるレッド・プラネット・ジャパン<3350>のTOB

アジア各地で低価格ホテルを展開するレッド・プラネット・ジャパンは訪日客向けビジネスの柱が大きく、コロナ禍で大きな打撃を受けました。そこで米投資ファンドEVO FUNDがTOBを実施し、子会社化を目指す動きがありました。
TOB価格が市場価格に対してディスカウントされる点が注目されましたが、それは上場を維持する意向であり、一般株主からの応募は想定しないものでした。観光需要の回復をにらんだ投資ファンドの長期目線がうかがえる事例といえます。

6-2. 常磐興産<9675>へのフォートレス・インベストメント・グループのTOB

「スパリゾートハワイアンズ」を運営する常磐興産は、コロナ禍のダメージや施設の老朽化対応などに大規模投資が必要と判断し、フォートレスのTOBを受け入れ非公開化へと進む方針を決定しました。フォートレスは国内外のレジャー・ホテル投資で実績を持ち、資金面および運営ノウハウを活かして再建を図る考えがあるとみられます。
東日本大震災からの復興やコロナでの打撃など、複合的な課題を抱える常磐興産にとって、ファンド傘下で大規模投資とリニューアルを実施し、観光客誘致を強化するのは理にかなった選択といえるでしょう。


第7章:飲食・物販など周辺領域における事例

7-1. ラオックス<8202>の多角化戦略

中国最大手家電量販店グループの蘇寧電器集団から出資を受けたラオックスは、総合免税店として訪日客向けビジネスに注力してきました。さらに、文化イベント運営会社エス・エー・ピーや高級衣料品店バーニーズニューヨークの国内運営会社であるバーニーズジャパンを買収しており、いわゆる「コト消費」への展開や富裕層需要の取り込みを狙っています。
その一方で、コロナ禍でインバウンドが急減すると、希望退職者を募集し、全国展開していた免税店を大幅に閉鎖するなど苦戦を強いられました。今後は富裕層や「ラグジュアリー消費」に焦点を絞り、バーニーズニューヨークのブランド力を軸に事業再生を図る方針とみられます。

7-2. 旅行土産品・菓子製造分野のM&A

観光市場と深く関わるのが土産品事業です。たとえば米久<2290>は和菓子・洋菓子製造の平田屋を買収後、観光地や外食市場の厳しさを理由に子会社の継続的発展が難しいと判断し、平田屋を小久保製氷冷蔵へ譲渡しました。これは大手食品メーカーが観光土産メーカーを取り込んだものの、想定した相乗効果が得られなかったケースといえます。
一方、土産物の卸売最大手である藤二誠をANAホールディングス<9202>傘下の全日空商事が買収する事例もあり、総合免税店や空港売店などとの販路シナジーが期待されるケースもあります。

7-3. 飲食チェーンによる観光需要取り込み

たとえばサンマルクホールディングス<3395>は、「サンマルクカフェ」や「鎌倉パスタ」を中心に展開する大手外食企業ですが、近年は和食業態や観光需要と親和性の高い業態をM&Aで取り込む動きを進めています。
2024年には、牛カツ定食店「京都勝牛」を運営するゴリップなどを傘下に持つジーホールディングスを子会社化し、さらにB級グルメ研究所ホールディングス(「牛かつ もと村」などを展開)をグループ化すると発表しました。インバウンドが戻るにつれ「和食」需要の拡大は確実視されており、サンマルクグループが持つ国内外への事業基盤と組み合わせることで、積極的に外国人観光客を取り込みたい思惑がうかがえます。


第8章:地域活性化・観光開発を目的とした事例

8-1. リゾート開発会社による地方ホテルやゴルフ場の再生

ゴルフ場運営などで多くの再生案件を手がけるパシフィックゴルフグループインターナショナルHD<2466>やアコーディア・ゴルフ<2131>は、民事再生手続に入ったゴルフ場やレジャー施設を買収・傘下化し、経営再建を実施する手法で成長してきました。ゴルフ場の集客は地域観光とも密接に絡むため、レジャー全般に発展させるケースも多いです。

8-2. サンフロンティア不動産や穴吹興産<8928>による地方ホテル買収

先に述べたサンフロンティア不動産の佐渡での事例や、穴吹興産の徳島県祖谷温泉(祖谷渓温泉観光)買収事例など、地方の温泉や風光明媚な観光地のホテル・旅館を買い取り、改装・運営し直す動きは高まっています。地方公共団体にとっては、域外資本との連携で観光客誘致を強化し、地域経済を活性化できるメリットがあるため、自治体側が誘致に前向きなケースも多いです。

8-3. 昭文社ホールディングス<9475>のコールセンター子会社の譲渡

「マップル」ブランドで地図や旅行ガイドブックを発行してきた昭文社HDもまた、コロナ禍で海外旅行関連のガイドブック需要が激減したため、グループ再編を進めました。たとえば、コールセンター事業子会社のKuquluを経営陣に譲渡しています。これは観光ビジネス環境の変化により、既存の拡大戦略を縮小し、コア事業へ回帰する例といえます。


第9章:観光M&Aの共通点と今後の展望

9-1. インバウンド需要を見据えた戦略

多くの事例で重要視されているのが、インバウンド需要の取り込みです。2010年代半ば以降、日本政府も訪日外国人旅行者数を大きく伸ばす方針を掲げていました。2020年の東京五輪開催が予定されていた頃は、4000万人の訪日客誘致を目標とするなど意欲的でした。結果的にコロナ禍によって一時的に大幅減少したものの、各国の入国規制緩和などに伴い、今後数年かけて急激に回復・拡大すると考えられます。

観光業界M&Aの多くは、こうした海外からの観光客対応力を高めるための企業買収であり、以下のような要素が重視されています。

  • 海外旅行社やランドオペレーターの買収: ダイレクトに送客ルートを確保
  • 交通・移動手段との連携: タクシー・レンタカー・バス・鉄道を抑えることで周遊しやすい環境を構築
  • ホテル・テーマパークなど集客施設の獲得: “日本ならでは”の体験を提供するエリアのコントロール
  • 飲食・土産品の整備: 和食ブームを取り込み、滞在中の消費額を増大させる

9-2. 選択と集中による事業再編

上記インバウンド需要を取り込むべく、積極的に観光事業を拡大する企業がある一方、不採算事業を手放して本業に専念する企業も存在します。名古屋鉄道のようにホテルやバス会社、タクシー会社を次々と譲渡する動きや、藤田観光のように会員制リゾートや分譲別荘の水道事業をファンドや自治体に譲渡する事例は、その典型といえます。
このように、M&Aは常に「買収する側」と「売却する側」の両方がいることで成立し、それぞれの目的が明確であればあるほど円滑に進む傾向があります。

9-3. コロナ禍による経営戦略の変化

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、観光客激減で経営が立ち行かなくなった企業も多く、早期退職募集や店舗閉鎖など大規模リストラに踏み切るケースが相次ぎました。その過程でM&Aによって事業譲渡やファンドへの身売りを進める流れが生まれたとも言えます。
しかし、ワクチン普及や渡航制限緩和に伴う「アフターコロナ」期には、再び観光需要が高まると予測されています。外資ファンドが老舗ホテルやリゾート施設を買収する事例は、まさにこの回復局面を狙った長期投資の一端と言えるでしょう。

9-4. テクノロジーとの融合

M&Aの狙いには、テクノロジーを導入してサービスを高度化する目的も含まれます。オンライン予約やSNSを駆使したプロモーション、人材マッチング、クラウドソーシング翻訳、ビッグデータ分析など、観光分野におけるテック化は今後も加速することが見込まれます。
たとえば翻訳サービスを行うロゼッタ<6182>がクラウドソーシング翻訳のエニドアを買収したケース、テリロジー<3356>が海外向けインターネットメディア企業を子会社化した例などは、インバウンド向け多言語対応に対してIT企業が積極的に投資する事例と言えるでしょう。


第10章:M&A成功のポイントと今後の課題

10-1. 地域との連携強化

観光はその地域の文化や自然環境、産業と密接に結びついており、事業者単独での成功は難しい分野でもあります。M&Aによって地域の有力企業を取り込むだけでなく、地元自治体やコミュニティとの連携を強化し、持続可能な観光開発を行うことが重要です。過度な観光地化は環境破壊や地元住民との摩擦を招きますが、適切なコミュニケーションと社会貢献があれば好意的に受け入れられます。

10-2. 買収後のPMI(Post Merger Integration)

M&Aは買収がゴールではなく、買収後の事業統合こそが真の勝負所です。社内のシステムや文化の違いを調整し、共同での新サービス開発や顧客基盤の統合をスムーズに行う必要があります。とりわけ観光業界は季節変動やイベント動向に左右されやすいので、タイミングを見誤ると機会損失が大きくなる可能性もあります。

10-3. リスクマネジメント

自然災害やパンデミック、地政学的リスクなど、観光業は外部環境の変化に非常に敏感です。買収先の事業状況を綿密に調査(デューデリジェンス)し、融資や投資回収のシナリオを慎重に策定する必要があります。特にハイリスクなリゾート開発案件や老朽化施設の再生には大きな資金が必要になることもあり、ファンドや投資会社を巻き込んだ大型再生スキームが採られる傾向にあります。

10-4. グローバル化とDXの推進

観光業界では、グローバルな視点とデジタルトランスフォーメーション(DX)が欠かせません。オンライン予約、SNSマーケティング、多言語対応などに対応できる企業が競争優位を築けるため、ITや海外人材ノウハウを持つ企業のM&Aがさらに進むと考えられます。
外資ファンドによる老舗企業の買収だけでなく、国内大手企業同士の提携やベンチャー企業との連携など、多様な形態でM&Aが進むでしょう。


結論

観光業界におけるM&Aは、単に企業規模を拡大するだけでなく、インバウンド需要の獲得や地域経済の活性化、企業価値の向上を目指すうえで極めて重要な戦略的手段となっています。本稿で紹介した事例のように、鉄道・バスなどの交通事業者による旅行会社・タクシー会社の買収、ホテルやゴルフ場・スキー場を傘下に収めるケース、外資ファンドによる旅館・ホテル再生の事例など、その形態は多岐にわたります。

また、M&Aの結果として事業を統合するだけでなく、不採算部門を売却して選択と集中を図る例も増えています。それぞれの企業が置かれた状況や経営方針によって、買収か売却かの方向性が変わるという点が観光業界のM&Aの特徴とも言えます。

これからの時代、世界的な情勢変化や自然災害リスクに備えながら、持続可能な観光ビジネスを構築していくためには、企業の垣根を越えた連携や再編がますます求められるでしょう。特に「アフターコロナ」では、世界中からの旅行者を呼び戻すための質・量ともに充実した受け入れ態勢が鍵になります。旅客の移動手段から宿泊施設、食・エンターテインメント、さらには文化体験プログラムまでを一体的に提供できる企業が市場をリードすると考えられます。

M&Aはその実現を加速させる一つの大きな手段です。現状での動きは、観光産業のさらなる拡大を予感させると同時に、参入プレーヤー同士の競争激化をも示唆しています。利用者としてはサービス品質や利便性が向上するメリットがある一方、企業同士の摩擦や経営リスクも存在しうるため、慎重な施策が必要です。