- 表面処理業界のM&Aに関する総合的考察
- はじめに
- 表面処理業界の背景と重要性
- M&Aの主な動機
- 主なM&A事例の紹介
- 1. 日鉄物産<9810>、NST日本鉄板を通じて月星商事を子会社化
- 2. 放電精密加工研究所の希望退職募集と経営環境
- 3. 石原ケミカル<4462>、キザイを子会社化
- 4. 日東精工<5957>、松浦屋を子会社化
- 5. 東洋ドライルーブ<4976>、長野ドライルーブの事業を取得
- 6. 日本ペイント<4612>、海外の金属表面処理剤メーカー2社を子会社化
- 7. 新東工業<6339>、フランスElastikosを子会社化
- 8. 新東工業<6339>、フランスの3Dプリンター装置製造会社スリーディーセラム社を取得
- 9. 新東工業<6339>、ピーニング処理受託加工業の米ナショナル ピーニングを子会社化
- 10. 新東工業<6339>、ショットブラストマシン製造のドイツAGTOSを子会社化
- 11. 岡谷鋼機<7485>、非鉄金属専門商社の光洋マテリカを子会社化
- 12. 丸一鋼管<5463>、建築用鋼製下地材を製造する佐藤型鋼製作所を子会社化
- 13. 日本パーカライジング<4095>、韓国大韓パーカライジングを子会社化
- 14. サーラコーポレーション<2734>、子会社の表面処理事業を自動車部品メーカー高木製作所に譲渡
- 15. エヌエフ回路設計ブロック<68640>、阪和興業<8078>から電源制御機器製造の千代田を取得
- 16. アグロ カネショウ<4955>、化学薬品メーカーの三和化学工業を経営陣に譲渡
- 17. IHI<7013>、スイス金属製品会社のイオンボンド社を子会社化
- 18. JCU<4975>、ワイン製造用ぶどう・苗木の育成と販売を手がけるそらぷちファームを譲渡
- これらの事例から見えるトレンド
- 今後の展望と成功のためのポイント
- まとめ
表面処理業界のM&Aに関する総合的考察
近年、製造業界全般においてM&A(企業の合併・買収)の動きが活発化しています。その中でも表面処理業界は、金属部品や各種材料の保護・機能性向上を担う重要なセクターとして注目され、国内外を問わず各社の動きが活発です。本記事では、表面処理業界を取り巻く環境や業界特性、そして実際に行われたM&A事例を踏まえ、今後の展望やポイントについて総合的に考察します。ここで挙げる事例は、日本企業が発表したプレスリリースを基にしたものであり、それぞれの取引背景やシナジー効果などについても解説してまいります。
はじめに
表面処理とは、製品の機能性・美観・耐久性などを向上させるために行われる加工全般を指します。具体的には、金属のめっき、塗装、コーティング、化成処理、ショットブラストなど多岐にわたります。これらの表面処理は、自動車や航空機、電子機器、建材など幅広い産業で採用されており、日本のものづくりを支える非常に重要な領域です。
一方で、世界的に見ると、原材料価格の高騰、環境規制の強化、技術開発競争の激化などにより、表面処理業界を取り巻く経営環境は年々厳しさを増しています。こうした状況を打開するための手段の一つとして注目されるのがM&Aです。表面処理に関わる企業同士の提携や買収によって、技術力の統合やサプライチェーンの強化、海外市場の開拓など、多様なシナジーを獲得しようという動きが盛んになっています。
表面処理業界の背景と重要性
表面処理は、製品の付加価値を高める上で欠かせない工業プロセスであり、耐食性や装飾性、機能性の向上を目的に、さまざまな技術・薬品が用いられてきました。自動車産業では車体やエンジン部品の耐久性向上、航空機産業ではジェットエンジン部品の腐食防止や軽量化といった目的で幅広く用いられています。建築用鋼材や電子部品といった分野でも、性能向上や保護のために表面処理は必要不可欠です。
そのため、表面処理業界は必然的に多様な業種と密接に結びついており、製造業全体の景気動向に左右されやすい一方で、優れた技術やノウハウを持つ企業はグローバル展開を通じて大きく成長する余地があります。また、近年では環境負荷低減への関心が高まっており、よりエコフレンドリーなプロセスの開発や再利用可能な薬品の研究も盛んです。こうした技術革新のスピードが速い分野では、他社との連携や買収による技術取得は大きなアドバンテージにつながります。
表面処理技術の多様化と競争激化
表面処理技術は、金属だけでなく樹脂やセラミック、複合材料にも適用が広がっており、用途や材質に合わせて多様な技術を用いる必要があります。電気化学的なめっき、PVDやCVDなどの真空成膜、ショットブラストなど物理的な表面処理、特殊塗装や機能性コーティングなど、一口に表面処理といってもその手法は膨大です。
さらに、環境規制が強まる中で、六価クロムなどの有害物質を使用しない技術開発、低エネルギーで効率的な工程設計などが求められています。これらへの対応には高度な研究開発投資が必要であり、中小規模の企業にとっては大きな負担になります。こうした背景から、十分な資金力や技術開発力を補うため、または効率的な生産体制を構築するためにM&Aを選択する企業が増えているのです。
業界が直面する課題とM&Aの必要性
表面処理業界が直面する課題としては、労働力不足や人材の高齢化、設備の老朽化などが挙げられます。技術者の確保や教育には時間とコストがかかるため、ノウハウを持つ企業を買収することで即時に自社の競争力を高めたいと考えるケースも少なくありません。
また、市場のグローバル化が急速に進む中で、海外拠点の拡充や新興国市場の開拓も喫緊の課題となっています。そのため、現地企業との合弁や子会社化を通じて海外ネットワークを広げる戦略が有効です。M&Aはこうした事業拡大を加速させる手段としても活用されており、結果的に表面処理技術のグローバル化に寄与しています。
M&Aの主な動機
表面処理業界におけるM&Aの背景には、基本的に以下のような動機が存在します。
- 技術力の補完・強化
- サプライチェーンの統合・効率化
- 顧客基盤・販売チャネルの拡大
- 海外進出とグローバル化
- 経営基盤の安定化とスケールメリット獲得
規模拡大とサプライチェーンの強化
規模の拡大は、調達コストの削減や研究開発投資の効率化などを通じて企業に多大なメリットをもたらします。特に表面処理のように装置投資や人材育成に多くのリソースが必要な業界では、ある程度の規模がなければ安定した利益を確保するのが難しい場合があります。
さらに、原材料や薬品の安定供給を確保するためにサプライチェーンを強化することは、製品・サービスの品質安定につながります。例えば、鉄鋼大手グループの一員となることで、原板供給から表面処理に至るまでをシームレスに行える体制を整えるなどのメリットがあります。
技術の獲得と事業領域の拡大
表面処理技術は、めっきや塗装、熱処理など従来からの方法だけでなく、PVD、CVD、特殊コーティング、プラズマ技術など、高度化・多様化が進んでいます。新たな技術を自社で一から開発するには時間とコストがかかりますが、優れた技術を持つ企業をM&Aで取り込めば、短期的に製品ラインナップを強化できます。
また、M&Aによって顧客基盤や販売ネットワークを獲得することで、表面処理技術を活かした新たな市場開拓が可能になります。特に自動車、航空機、半導体、電子部品など成長の見込まれる産業向けに強みを持つ企業を取り込むことは、将来的な収益源を増やす上でも重要です。
経営リスクの分散と財務面でのメリット
単一の技術や業種に依存している企業は、市場変動や景気変動のリスクをダイレクトに受けやすいという課題があります。そこで、異なる分野へ業容を拡大するためのM&Aはリスク分散の有力な手段となります。さらに、M&A後の統合により管理部門の効率化や調達コストの削減を期待できる場合、財務基盤の強化にも直結します。
主なM&A事例の紹介
以下では、実際に表面処理業界やその周辺で行われた主なM&A事例を取り上げ、その背景や狙い、シナジーについて考察します。ここでは、特に近年注目された案件を中心に取り上げます。
1. 日鉄物産<9810>、NST日本鉄板を通じて月星商事を子会社化
日鉄物産は、日本製鉄グループにおける建材薄板分野のサプライチェーン強化を目的として、傘下のNST日本鉄板を通じ、表面処理鋼板やステンレス鋼板を取り扱う月星商事の株式を追加取得しました。これにより、NST日本鉄板の持ち株比率は27.8%から54.1%に上昇し、月星商事は子会社化されることとなりました。
この取引背景には、大手鉄鋼メーカーと商社の垂直統合をより強固にする狙いがあり、薄板建材においては安定した原板供給と表面処理加工との連携が重要視されています。建設需要の安定した拡大も見込まれる中、安定的なサプライチェーン体制を構築する意義は大きいといえます。
2. 放電精密加工研究所の希望退職募集と経営環境
放電精密加工研究所は、新型コロナウイルスの影響で主力の放電加工・表面処理事業が航空業界の低迷に伴い需要減に苦しみ、約60人の希望退職を募集しました。しかし最終的に応募は30人にとどまりました。この事例はM&Aではありませんが、表面処理業界が世界的な航空・自動車の需要に大きく依存していることを示す例として重要です。
表面処理業界の企業は、景気動向に敏感であり、特定分野に依存している場合、大きな経営リスクを抱えることになります。今後はM&Aを通じて事業ポートフォリオを拡充し、多角的な顧客構成を確保することが避けられない課題となるでしょう。
3. 石原ケミカル<4462>、キザイを子会社化
石原ケミカルは、装飾めっき用表面処理薬品を製造するキザイを子会社化しました。キザイは樹脂めっき薬品やアルミ・マグネシウム合金上の前処理薬品などに強みを持っており、石原ケミカルが手掛ける電子部品用表面処理剤との相互補完が期待されます。
本件では特に、装飾用と電子部品用という異なる分野の表面処理薬品技術を融合し、事業ポートフォリオを広げることによるリスク分散と収益機会拡大が目的とされています。表面処理薬品の開発には長い研究期間と実績が必要なため、互いの強みを生かせる企業同士のM&Aは大きな効果があると考えられます。
4. 日東精工<5957>、松浦屋を子会社化
日東精工は、従来から販売代理店としての関係があった松浦屋(締結部品、産業用機械装置、表面処理装置を扱う企業)を子会社化しました。議決権比率を52%に引き上げることで子会社化の要件を満たし、両社の関係強化に乗り出した形です。
日東精工としては、締結部品や機械装置の分野に加えて、表面処理装置をも扱う松浦屋をグループに取り込むことで、周辺事業を強化し、ワンストップでのソリューション提供を実現しやすくなります。特に自動車や建材向けのニーズの高まりに対応するため、販売チャンネルの強化が見込まれます。
5. 東洋ドライルーブ<4976>、長野ドライルーブの事業を取得
東洋ドライルーブは、固体被膜潤滑処理や表面処理加工を手がける長野ドライルーブから事業を取得しました。長野ドライルーブは経営状況に課題を抱えていましたが、東洋ドライルーブが技術指導を行うなど過去から関係を持っており、25%を出資していました。今回の事業取得により、さらなる受託加工の拡大が期待されます。
固体被膜潤滑といった特殊分野は、自動車や精密機器など高機能性を要求される分野で重宝される技術です。東洋ドライルーブにとって、関連企業の事業を取り込むことでリソースを集約・効率化し、国内外でのビジネス拡大を図ることができると見られます。
6. 日本ペイント<4612>、海外の金属表面処理剤メーカー2社を子会社化
日本ペイントは韓国の立時化学とフィリピンのNippon Paint Philippines, Inc.の株式を追加取得し、金属表面処理剤メーカーを子会社化しました。持ち株比率をそれぞれ40%から51%に引き上げ、アジア地域での金属表面処理剤の販売強化を狙います。
もともとWuthelam Holdings Ltd.(香港)との合弁関係にあった企業であり、日本ペイントが経営資源や技術支援を行い、さらに売上拡大を目指すという戦略です。塗料大手の日本ペイントにとって、塗装材料と表面処理剤の両面から顧客をサポートできる体制は競争優位につながると考えられます。
7. 新東工業<6339>、フランスElastikosを子会社化
新東工業は表面処理関連製品・サービスを提供するフランスElastikos(France)S.A.S.を約408億円で買収し、子会社化することを決めました。欧州や北南米での販売チャンネルを活用し、新興国マーケットでも取引先を拡大する狙いがあります。さらに、ショットブラスト機や研磨材など表面処理関連製品をグローバルに提供できる体制を強化するための戦略的M&Aといえるでしょう。
新東工業はショットブラストや研磨材の分野で世界的に有力な企業ですが、欧米市場でのさらなる基盤強化が課題となっていました。Elastikos買収により、ヨーロッパを中心とした広範な販売ネットワークを獲得し、製造拠点やサービス網の一層の拡張が期待されています。
8. 新東工業<6339>、フランスの3Dプリンター装置製造会社スリーディーセラム社を取得
新東工業は、セラミックス用3Dプリンター装置を製造販売するスリーディーセラム社を買収し、子会社化しました。セラミックス事業の拡大を目指す新東工業にとって、3Dプリンタ技術は金属表面処理や粉体加工技術と並ぶ将来の重要領域と考えられています。
フランス国立科学研究センターと密接な関係を持つスリーディーセラム社は、セラミックス積層造形で強みがあります。高度なセラミックコーティングや成形加工技術は、航空宇宙や医療機器などハイエンド分野での需要が見込まれています。新東工業はこれを取り込むことで、既存の表面処理事業との技術シナジーを得る計画と推察されます。
9. 新東工業<6339>、ピーニング処理受託加工業の米ナショナル ピーニングを子会社化
新東工業は北米での表面処理分野の事業展開を模索していましたが、ジェットエンジンやタービンエンジンなど航空機部品のピーニング事業に強みを持つ米ナショナル ピーニング インコーポレーテッドを買収しました。北米の航空機・自動車業界における知名度向上と基盤強化が狙いとされています。
表面処理の一種であるショットピーニングは、航空機や自動車など高負荷がかかる部品の延命や安全性向上に不可欠です。北米の航空産業は大きな市場であり、今後も一定の需要が見込まれます。この買収により、新東工業は自社の装置販売に加えて受託加工サービスも提供できるようになり、ビジネスモデルの拡張が期待されます。
10. 新東工業<6339>、ショットブラストマシン製造のドイツAGTOSを子会社化
新東工業は2024年11月に、ショットブラストマシンメーカーのドイツAGTOS GmbHを約24億8500万円で買収することを発表しました。2023年にフランスElastikosを買収したのに続き、欧州での事業基盤をさらに強化する動きです。ショットブラスト用投射材の供給から装置販売・アフターサービスまで一貫体制を確立し、顧客に統合的なソリューションを提供する狙いがあります。
AGTOSは2001年設立と比較的新しい企業ながら、欧州でのショットブラスト技術に定評があり、新東工業が狙うグローバルでの表面処理事業拡大に合致します。欧州での装置需要や自動車・建設機械分野での需要を取り込むため、両社の連携強化は大きなシナジーを生むことが見込まれています。
11. 岡谷鋼機<7485>、非鉄金属専門商社の光洋マテリカを子会社化
岡谷鋼機は、非鉄金属素材や表面処理製品を取り扱う光洋マテリカを子会社化し、持ち株比率を51.5%としました。光洋マテリカは銅条スリット加工機能で国内有数の規模を誇り、自動車部品や電子部品向けの表面処理製品を扱っています。
岡谷鋼機にとっては、非鉄金属分野の顧客基盤拡大およびサプライチェーンの強化が期待されます。海外にも複数の子会社を持つ光洋マテリカとの連携により、グローバル調達・販売体制を強化し、新たな事業機会を創出する可能性があります。
12. 丸一鋼管<5463>、建築用鋼製下地材を製造する佐藤型鋼製作所を子会社化
丸一鋼管は、表面処理鋼板を素材とする建築用鋼製下地材を製造する佐藤型鋼製作所を買収し、グループ傘下に取り込みました。物流倉庫や工場建設に用いられる鋼製下地材は安定した需要があることに加え、表面処理鋼板との相乗効果も期待できます。
丸一鋼管は、鋼管や鋼板の加工販売を主力としていますが、最終製品への進出を通じて付加価値を高める方向に舵を切っています。今回のM&Aによって、サプライチェーンの上流から下流までを押さえる体制が強化され、建築・土木分野での市場拡大を狙うとみられます。
13. 日本パーカライジング<4095>、韓国大韓パーカライジングを子会社化
日本パーカライジングは韓国の金属表面処理剤メーカーである大韓パーカライジングを完全子会社化しました。元々1982年の設立時より合弁会社として関係を築いていたところ、意思決定を迅速化し市場シェアを拡大するため子会社化に踏み切ったものとみられます。
韓国市場は自動車や電子部品産業が盛んであり、表面処理剤の需要も高い地域です。日本パーカライジングとしては技術支援のノウハウを活かし、韓国のみならず近隣アジア地域での販売強化を狙う戦略がうかがえます。
14. サーラコーポレーション<2734>、子会社の表面処理事業を自動車部品メーカー高木製作所に譲渡
サーラコーポレーションは、グループ子会社の新協技研が手がけるメッキ加工など表面処理事業を、主要取引先である自動車部品メーカーの高木製作所に譲渡すると発表しました。設備の老朽化や将来投資をめぐる戦略的判断が背景にあり、主要な顧客に事業譲渡することで取引継続と雇用の安定を図る狙いがあります。
このケースは買収や合弁とは逆で、事業譲渡を通じてコア事業へ経営資源を集中する「選択と集中」の一例です。サーラコーポレーションにとっては、経営リソースを他事業に振り向けることでグループ全体の最適化を目指す動きといえます。
15. エヌエフ回路設計ブロック<68640>、阪和興業<8078>から電源制御機器製造の千代田を取得
エヌエフ回路設計ブロックは、表面処理用や一般生産設備用の電源制御機器を製造・販売する千代田(埼玉県蕨市)の全株式を阪和興業から取得し、子会社化しました。電源制御技術は表面処理のプロセスコントロールにおいて極めて重要です。
エヌエフ回路設計ブロックは、精密計測機器や電源機器で強みを持つ企業ですが、表面処理工程で使われる電源制御機器へのシェア拡大を通じ、関連分野でのさらなる成長を目指します。こうしたバリューチェーンの川下領域の取り込みにより、顧客ニーズをトータルでサポートする事業展開が期待されます。
16. アグロ カネショウ<4955>、化学薬品メーカーの三和化学工業を経営陣に譲渡
アグロ カネショウは染料や農薬を製造販売していた三和化学工業を保有していましたが、相乗効果が十分に見込めないとして経営陣に譲渡しました。三和化学工業は表面処理剤や防錆剤も扱っていたものの、アグロ カネショウの主力である農薬分野とは事業特性が異なる面が強かったと推察されます。
この事例は、買収後に期待したシナジーが得られないまま、事業再編を行うケースの一例です。M&Aには成功例だけでなくこうした見直しも含まれることから、事業選択の難しさを象徴しています。
17. IHI<7013>、スイス金属製品会社のイオンボンド社を子会社化
IHIは、薄膜コーティングで世界的に高い技術力を持つスイスのイオンボンド社を買収し、表面処理分野での受託加工事業に本格参入しました。IHIは既にオランダのハウザー社をグループ会社化しており、DLC(ダイヤモンドライクカーボン)などのコーティング装置を手がけていますが、今後は製造装置の販売だけでなく受託加工サービスも一括提供し、顧客ニーズにより柔軟に対応する狙いがあります。
イオンボンド社は多岐にわたる表面処理コーティング技術を持ち、自動車、航空機、医療、装飾など幅広い市場で実績があります。IHIが保有するタービン技術やロケットエンジン開発のノウハウとのシナジーも期待され、最先端コーティング技術の共同開発など、長期的な技術革新につながる可能性があります。
18. JCU<4975>、ワイン製造用ぶどう・苗木の育成と販売を手がけるそらぷちファームを譲渡
表面処理用薬品・装置の製造販売で知られるJCUは、事業の選択と集中を理由に、ワイン製造用のぶどう・苗木育成・販売を手がけるそらぷちファームを譲渡することを決定しました。表面処理事業とのシナジーが薄い分野を切り離し、本業への経営資源を集約する動きの一環とされています。
多角化が進む一方で、経営効率を高めるためにコア領域に再び特化する企業も少なくありません。M&Aは買収だけでなく、事業売却や譲渡を含む複合的な企業戦略として活用されることを改めて示す事例といえます。
これらの事例から見えるトレンド
これまでの事例から、表面処理業界のM&Aにおいてはいくつかの明確なトレンドが見て取れます。
- 大型化とグローバル戦略の加速:新東工業や日本ペイントのように、海外企業を積極的に買収してグローバル体制を強化する動きが代表例です。特に欧米やアジアの有力企業を取り込み、市場シェア拡大と国際競争力を高める手法が顕著です。
- サプライチェーン統合:日鉄物産や丸一鋼管のように、原材料から最終製品までを一貫してカバーすることで安定供給とコスト削減を狙う垂直統合のM&Aが増加傾向にあります。
- 事業再編と選択・集中:サーラコーポレーションの事業譲渡やJCUの非コア事業の売却など、自社の強みをさらに磨くために不要部分を切り離す動きも活発化しています。M&Aは買収だけでなく、事業売却により経営効率を高める側面も持ちます。
- 技術獲得とポートフォリオ拡大:石原ケミカルやエヌエフ回路設計ブロックなど、独自技術を持つ企業を取り込みながら自社の技術ポートフォリオを拡充する例が目立ちます。表面処理薬品や装置の領域は技術革新のスピードが速く、先行企業の取り込みが競争力アップに直結します。
- 多角化リスクの見直し:アグロ カネショウと三和化学工業の事例のように、買収後に相乗効果が得られない場合、事業の整理や再譲渡が行われるケースも存在し、M&Aが常に成功するわけではないことを示しています。
今後の展望と成功のためのポイント
表面処理業界のM&Aは、企業の存続や成長に大きく関わる戦略的な選択肢です。ただし、買収側・被買収側ともに成功を収めるためには、以下のようなポイントに留意する必要があります。
1. ポストM&A統合(PMI)の徹底
M&Aで最も重要なのは、買収後の統合プロセス(PMI: Post Merger Integration)です。表面処理の分野では、設備や技術者、研究開発体制など幅広い要素を円滑に統合する必要があります。特に製造現場の効率化や品質管理の方法を統一できなければ、シナジーが得られないどころか、混乱を招く場合もあります。
2. 技術・製品ラインナップの明確な戦略
表面処理技術は用途や分野が多岐にわたります。買収先企業との技術重複や顧客の奪い合いが発生しないよう、あらかじめどの領域を主軸に据えるかを明確にしておくことが重要です。併せて、開発リソースをどの分野に集中するか、どうブランドを分けるかなどの戦略的設計も必要になります。
3. 人材確保・育成と企業文化の融合
熟練の技術者が多い表面処理業界では、人材の引き継ぎや組織文化の融合がM&A成功の鍵を握ります。特に職人気質の強い現場では、経営体制の変更によりモチベーション低下や離職を引き起こさないよう、丁寧な説明や処遇の見直しが不可欠です。
4. グローバル統合とローカル対応のバランス
海外企業の買収や合弁では、現地の法規制や文化に配慮した対応が欠かせません。グローバル企業として統一的な基準を持ちながらも、ローカルの事情を尊重した運営体制を敷くことで、迅速な事業展開とリスク管理を両立させることが求められます。
5. 長期ビジョンと柔軟な再編
表面処理業界は技術革新や需要の変動が激しいため、一度のM&Aで完結しようとするのではなく、必要に応じて事業売却や追加の買収を行う柔軟性が重要です。市場動向を常に観察し、長期的なビジョンに立脚した経営判断が成功への近道といえます。
まとめ
本記事では、日本の表面処理業界における主要なM&A事例をいくつか紹介し、それらが示唆する背景と目的、そして業界全体のトレンドや成功のポイントについて考察しました。表面処理は、自動車や航空、電子部品、建築といった多彩な産業に不可欠な技術であり、今後も需要は安定的に、あるいは拡大傾向で推移すると予想されます。その一方で、技術革新や国際競争の激化、環境規制の強化など課題は山積しており、単独で生き残るには相応の体力と技術開発力が求められます。
こうした中でM&Aは、事業領域の拡大やサプライチェーン強化、海外進出の加速、財務基盤の安定化など、企業が抱える複合的な課題を迅速に解決するための強力な手段となっています。実際、ここで取り上げた事例の多くは、相手企業の技術や販売チャネルの取り込み、あるいは非コア事業の切り離しなど、戦略的意図が明確です。成功するM&Aの共通点としては、買収前の綿密なデューデリジェンス、買収後の迅速かつ計画的な統合プロセス、人材マネジメントと現場力の向上といった要素が挙げられます。
今後も日本の表面処理業界では、事業基盤の再編や海外企業との連携強化、さらには新興国への展開などの動きが一層活発化することが見込まれます。企業の存亡をかけた合従連衡が進む中で、成長戦略を明確にし、魅力ある技術や安定した供給体制を確立することが、競争力維持のために不可欠となるでしょう。M&Aはあくまで手段であり、その後の統合プロセスやビジョンの共有が最終的な成功のカギを握ります。変化の激しい時代だからこそ、事例に学び、戦略的な意思決定を行うことで表面処理業界の未来は一層広がると考えられます。

株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。