1. インバウンド市場の拡大とM&Aの関係
1-1. インバウンド需要の拡大背景
訪日外国人観光客(インバウンド)の増加は、2012年頃から為替相場やビザの発給要件緩和、LCC(格安航空会社)の路線拡充などの要素により加速してきました。加えて、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて官民を挙げたプロモーションが行われ、かつてないほど観光客数が増加すると期待されていました。しかし2020年初頭に世界規模で広がった新型コロナウイルス感染症拡大により、各国の渡航制限がかかり、一気にインバウンド需要は低迷しました。
それでも、ワクチン接種の普及や国際線の一部再開、円安基調などを背景に、日本を訪れる外国人旅行者数は今後回復基調にあると見られています。コロナ禍前のように年間3000万人を超えるような訪日客数まで戻るのは時間がかかるという見方もありますが、それでもアフターコロナの観光振興施策や海外現地での日本観光PRなどが活性化しつつあります。
1-2. なぜインバウンド関連M&Aが活発なのか
インバウンド関連事業は、単に観光客が旅行代理店を介して国内を訪れるという事業だけにとどまりません。ホテル、旅館、観光施設、小売店、免税店、Wi-FiやSIMカードレンタル、通訳・翻訳サービス、さらに飲食やゴルフなどのレジャー、オンラインによる情報発信や越境EC、外国人向け不動産投資など、幅広い業種が連動しています。そのため、インバウンド需要を取り込むために各社が持つ「接点」や「ノウハウ」を獲得しようと、M&Aを積極的に行う動きが見られます。
また、日本市場全体が長期的に縮小傾向にあるなかで、海外からの需要取り込みによって事業を成長させる戦略が、多くの企業にとって魅力的な選択肢になっています。インバウンド特化型のサービスを新たに立ち上げるよりも、既にノウハウや顧客基盤を持つ企業を買収・統合するほうがスピーディーに成果を出せるというメリットも大きいと考えられます。
2. 主なインバウンド関連M&A事例とその背景
ここからは、インバウンド関連のM&A事例を具体的に紹介し、それぞれの目的や背景、狙いについて述べます。以下の事例はいずれも「インバウンド需要」に何らかの形で関わっているものです。買収企業はホテル運営、EC事業、語学研修、人材派遣、翻訳サービス、不動産、旅行会社など多岐にわたり、取り巻く業界の広さを感じさせます。
2-1. 観光・旅行関連
2-1-1. 和心<9271>の着物レンタル事業譲渡(2022年12月)
和心は、きものレンタル「wargo」を京都など国内主要観光地で展開するほか、ECサイトで宅配レンタルサービスを運営していましたが、コロナ禍で主力顧客である訪日外国人観光客が激減し、収益が悪化。経営資源の再配分を図るべく、着物レンタル事業を旅行業のインバウンドコンソーシアム(東京都渋谷区)に譲渡しました。譲渡価額は5600万円で、2022年12月30日に譲渡完了しています。
この事例からは、コロナ禍の深刻な影響を受けたインバウンド事業者が事業整理や選択と集中を行う姿がうかがえます。一方で、買収側は今後の外国人観光客の回復を見越し、着物レンタルを取り込むことで体験型観光コンテンツを強化する狙いがあると推測できます。
2-1-2. 西武ホールディングス<9024>の奥ジャパン子会社化(2025年1月)
西武グループはホテル・レジャー事業や都市交通・沿線事業などを幅広く展開していますが、増加する訪日観光客へのさらなる対応力を高めるべく、アドベンチャーツーリズムツアーを提供する奥ジャパン(京都市)を子会社化しました。奥ジャパンは熊野古道や中山道などの地域資源を生かした体験型ツアーで実績を積み、今後は西武HDのグループネットワークと融合して、より多様なプログラムを提供することでインバウンド獲得を強化する方針です。
2-1-3. ワタベウェディング<4696>、メルパルク運営事業を取得(2008年)
少し時期がさかのぼりますが、ワタベウェディングはゆうちょ財団(当時)からメルパルク11施設の運営事業を取得しました。メルパルクは宿泊施設や宴会場が併設された複合施設で、全国の主要都市に位置していたため、ワタベウェディングは自社のウェディング関連施設と組み合わせて顧客を取り込む計画を立てました。さらにアジア圏を中心とした海外からの挙式需要や、インバウンド観光客の宿泊・宴会需要をにらみ、運営拠点を拡充しています。
2-1-4. エイチ・アイ・エス<9603>、海外ホテル・ツアーオペレーターの買収事例
HISはトルコ企業やカナダのツアーオペレーター「Jonview Canada」を買収するなど、海外におけるインバウンド事業の獲得に積極的です。カナダでの取り組みは、北米から日本への送客拡大を見越した動きと見ることができます。各国の旅行商品を取りそろえつつ、相互送客(Outbound・Inbound双方)のシナジーを狙うという戦略は、大手旅行会社ならではといえます。
2-2. 宿泊・ホテル業関連
2-2-1. ロードスターキャピタル<3482>のひらまつホテル取得(2024年)
ロードスターキャピタルは、レストラン・ホテル運営大手のひらまつとNTT都市開発からホテル6件を取得するためにSPC(特別目的会社)「LD1合同会社」を組成し、子会社化すると発表しました。ひらまつが運営するラグジュアリーな「THE HIRAMATSU HOTELS & RESORTS 賢島」などは、富裕層や訪日外国人観光客の人気が高い施設です。ロードスターキャピタルはインバウンド需要の回復を見越し、ホテル運営事業を大幅に強化しようとしています。
2-2-2. ロイヤルホテル<9713>、芝パークホテル子会社化(2024年)
リーガロイヤルホテルを展開するロイヤルホテルは、芝パークホテル(売上高47億7000万円)を子会社化することで、東京圏でのプレゼンス向上やインバウンド集客力の強化を図っています。芝パークホテルは外国貿易使節団を迎えるホテルとして発祥しており、海外からの集客面で長年定評があるため、リーガロイヤルホテルグループとしても相乗効果を期待できる案件です。
2-2-3. トライアンフコーポレーション<3651>のNHホテルマネジメント買収(2018年)
トライアンフコーポレーションは宿泊施設運営のNHホテルマネジメントを買収し子会社化しています。NHホテルマネジメントは2017年設立と比較的新しい企業ですが、インバウンド需要に応えるため直営や運営受託を行う一方、サブスクやアプリなど新しい宿泊スタイルの可能性を模索している企業でした。インバウンド需要が高い都市部・観光地での展開によって、グループの収益強化を目指した動きだと言えます。
2-2-4. フルキャストホールディングス<4848>による沖縄リゾートホテル運営子会社化
フルキャストHDは、古宇利島のホテル・レストランを運営するディメンションポケッツを買収しています。人気観光地・沖縄では外国人観光客の増加を見込み、人材サービスとホテル事業を掛け合わせる狙いがありました。リゾート地でのスタッフの確保は難しい場合が多いため、グループが持つ人材派遣ノウハウとの親和性も考えられます。
2-2-5. ロイヤルホテル<9713>の芝パークホテル買収と類似した動き
同じく大都市圏でホテル数を増やし、インバウンド強化を図る事例として、ヒト・コミュニケーションズがJR西日本傘下のジャッツを買収したり、ホテル関連会社と連携して「多言語サービスを充実させる」などの動きも散見されます。宿泊業界では、駅周辺のホテル・旅館が訪日客を取り込む一方で、全国の地方都市での宿泊需要も再び高まってきています。M&Aによる事業拡張は今後も加速すると見込まれます。
2-3. 小売・EC関連
2-3-1. 松屋<8237>によるB4FのブランドECサイト「ミレポルテ」事業取得(2024年)
百貨店の松屋はECへの対応強化を図り、B4Fの高級ブランドECサイト「ミレポルテ」を取得すると発表しました。百貨店業界ではインバウンド需要の復調に合わせ、富裕層の消費意欲取り込みやDX(デジタルトランスフォーメーション)の加速が急務となっています。新たに会員制オンラインサイトを保有することで、国内外からのオンライン需要を一挙に取り込める可能性があります。さらに免税対応や海外配送なども進めば、越境ECによるインバウンド需要を取り込む布石となるでしょう。
2-3-2. ラオックスホールディングス<8202>が「バーニーズジャパン」を子会社化(2023年)
ラオックスはインバウンド向け家電量販や免税店で名を馳せましたが、そこから得たノウハウを高級衣料品店「バーニーズニューヨーク」の国内運営会社バーニーズジャパンの取得へと展開しました。近年はコロナ禍で百貨店やラグジュアリーブランドが打撃を受ける一方、国内の富裕層や一部の海外VIP客の消費意欲は引き続き底堅いとされます。ラオックスのインバウンド知見をバーニーズニューヨーク店舗の運営に活かし、高級ブランドの免税・海外販売などを強化しようという狙いが見て取れます。
2-3-3. BEENOS<3328>へのTOBで完全子会社化を目指すLINEヤフー(2024年)
BEENOSは越境ECで大手として知られ、海外在住者向けに日本の商品を転送・代理購入するサービスを展開してきました。LINEヤフーが同社をTOBで買収しようとする背景には、ヤフーショッピングやPayPayモールなどで取り扱う日本の商品を海外に販売しやすくするためのサービス連携が挙げられます。インバウンドの富裕層が日本旅行中に購入した商品のリピート買いを越境ECで獲得する、いわゆる“旅アト消費”の囲い込みも大きな目的と考えられます。
2-3-4. バリューゴルフ<3931>によるジープ買収(2016年)・産経旅行子会社化(2018年)など
バリューゴルフはゴルフ場予約サイト等を運営していましたが、ゴルフ用品販売会社ジープを買収して子会社化し、ゴルファー会員への用品販売や、海外ゴルフ旅行客・インバウンド需要の取り込みを強化しました。また、旅行業の産経旅行を子会社化することで、訪日外国人向けの旅行サービスや在日外国人向け手配を行う能力を獲得し、メディカルツーリズムなど新領域にも展開しています。スポーツやレジャーと越境EC・旅行を組み合わせるモデルは、インバウンド需要の多面的な取り込みを狙う事例として注目されます。
2-4. 通訳・翻訳・コールセンター・語学研修関連
2-4-1. 図書印刷<7913>によるシー・ティー・エス買収(2018年)
図書印刷は印刷業だけでなく教育ソリューション事業にも力を入れるなか、企業向け語学研修サービスを展開するシー・ティー・エス(大阪市)を買収しました。海外へ進出する企業やインバウンド需要に対応した企業向け語学研修の提供は、訪日客対応に必須のサービスです。図書印刷としては、印刷技術と教育事業を掛け合わせてグローバル化対応を拡充する狙いがありました。
2-4-2. ロゼッタ<6182>によるエニドア(Conyac)買収(2016年)
ロゼッタはプロ翻訳者によるサービスや機械翻訳を手がけていますが、バイリンガル人材クラウドソーシングを運営するエニドア(Conyac)を買収して子会社化しました。ロゼッタの翻訳通訳事業・機械翻訳事業に「クラウドソーシング翻訳」が加わることで幅広い翻訳ニーズに対応できます。インバウンド観光情報の多言語化や、訪日客向けメディアの多言語展開といった需要を取り込みやすくするのが主目的です。
2-4-3. インバウンドテック<7031>の積極的なM&A
インバウンドテックは24時間365日対応の多言語コンタクトセンター運営を主力とし、これまで複数の企業・事業を買収・統合してきました。たとえば、OmniGridの株式取得(光通信グループからの事業譲受)、岩手県花巻市のシー・ワイ・サポート買収、さらにインデンコンサルティングからテレビ電話型通訳サービス事業の取得、ICheckから健康診断結果データ化事業の取得など、幅広い分野におよびます。
いずれも多言語対応・コールセンターサービスを中心とした周辺領域の拡大であり、訪日外国人の問い合わせ対応や予約サポートなどの需要に備える狙いがあると思われます。コロナ後のインバウンド回復期に向けた準備を着々と進める代表的な企業です。
2-4-4. スリープログループ<2375>によるJBMクリエイト買収(2016年)
スリープログループは、コンタクトセンター事業に強みを持つJBMクリエイトを買収しました。スリープログループは注文・問い合わせ対応(インバウンドコール)を得意としていましたが、JBMクリエイトはアウトバウンドコール(積極的に顧客に連絡し、営業やアフターサービスを行う)を得意とし、通信キャリアを主要顧客としていました。これによりコールセンターサービスの包括的な提供が可能になり、今後の訪日客向けサポートにも対応しやすくなります。
2-5. 飲食関連・レジャー・サービス事業
2-5-1. サンマルクホールディングス<3395>による和食系の積極買収(2024年)
「サンマルクカフェ」や「鎌倉パスタ」で知られるサンマルクホールディングスは、牛カツ定食や肉が旨いカフェを手がけるジーホールディングス(京都勝牛など)を買収し、さらに「B級グルメ研究所ホールディングス」や「BQ International」も取得するなど、大型の飲食M&Aを続けています。背景には、和食業態を強化しインバウンド需要の本格回復と海外進出を目指す戦略があります。牛カツ業態はアジアを中心とする外国人観光客に受け入れられやすく、店舗を国内外にフランチャイズ展開しやすいとされます。
2-5-2. クックビズ<6558>、インバウンドテクノロジーから外国人特定技能人材の紹介・登録支援事業を取得(2023年)
飲食業界では慢性的な人材不足が続いています。クックビズは特定技能ビザを取得した外国人材を飲食店や介護事業者に紹介する事業を買収し、外国人スタッフを必要とする企業とのマッチングを強化しています。インバウンド観光客が戻り、接客やサービスを担う人材需要がさらに高まることを見越した動きといえます。
2-5-3. トライアンフコーポレーション<3651>によるルフト・トラベルレンタカー買収(2019年)
トライアンフコーポレーションは、レンタカー事業を中心に展開するルフト・トラベルレンタカーを子会社化しました。沖縄や北海道など観光地を中心に約3000台を保有し、インバウンド観光客の利用も多いとされます。自動車運転免許を持つ外国人観光客がレンタカーを借りて周遊するという需要は増加しており、こうした分野でのM&Aも拡大を見せています。
2-6. 不動産・投資関連
2-6-1. 合同会社インバウンドインベストメントによるイントランス<3237>株式公開買付(2018年)
イントランスは商業ビルなどの再生事業を手がけていますが、インバウンドインベストメントは同社を支援するためにTOBを行いました。不動産再生は訪日外国人向けの宿泊施設や商業施設への転用も多く、インバウンド需要と密接に関連しています。この買付により、イントランスの事業拡大を目指すという構図です。
2-6-2. 五洋インテックス<7519>のキュアリサーチ譲渡(2019年)
五洋インテックスは室内装飾品事業を主力としながらも、遺伝子検査やインバウンド向け医療観光事業を手がける子会社を保有していました。しかし、資金調達を巡るトラブルで当該子会社「キュアリサーチ」の株式が質権行使により譲渡される結果となりました。インバウンド向け医療ツーリズム事業は成長可能性が指摘されていた分野ですが、コロナ禍による外国人渡航制限の影響もあって厳しい局面を迎えた事例の一つと言えます。
2-6-3. ASIAN STAR<8946>、亜信を子会社化(2024年)
ASIAN STARは中国投資家向け不動産販売で実績を持つ企業ですが、今回の日創資本との協業により東京都内へ投資範囲を広げるため、亜信を子会社化しました。これにより都心の収益不動産を中国投資家へ販売するルートを確立し、インバウンドの不動産投資需要(長期滞在やセカンドハウス、投資物件購入など)を狙います。
2-7. その他のサービス事例
2-7-1. 健康ホールディングス<2928>によるエムシーツー買収(2011年)
コールセンターやテレマーケティングのエムシーツーを子会社化することで、健康食品通販の顧客対応を強化するとともに、インバウンド・アウトバウンド両面のコールセンター機能を拡充しました。新型コロナ以前から通販業界は拡大基調にあり、外国語対応が必要となるケースも増えていました。こうしたコールセンター企業の買収は、通信販売事業の強化策としても有効です。
2-7-2. ラバブルマーケティンググループ<9254>がタイの広告企業DTK ADを買収(2023年)
ラバブルマーケティンググループはSNSマーケティングやインバウンド向けプロモーションに強みを持つタイの企業を子会社化しました。これにより東南アジア各国からの旅行者獲得を狙い、外国人観光客向けの広告宣伝を強化できます。また、訪日客だけではなく、東南アジアにおける日本企業のマーケティング支援も可能になります。
2-7-3. ベネフィットジャパン<3934>、eConnect Japanからインバウンド向けモバイルWi-Fi事業を取得(2024年)
訪日外国人向けWi-Fiルーターレンタル事業は、空港や主要駅で端末受け取りができる利便性から、外国人旅行者にとっては必須インフラの一つと言えます。ベネフィットジャパンは子会社を通じて、この事業を取得し、自社のモバイル事業との統合を図りました。アフターコロナで入国する観光客が増加するにつれ、モバイル通信サービスの需要も再び拡大すると見られています。
3. インバウンド関連M&Aの主な狙いとメリット
上記で紹介した各事例を総合すると、日本企業がインバウンド関連事業を買収・統合する際に想定される主な狙いとして、次のようなポイントが挙げられます。
- ノウハウ・顧客基盤の獲得
訪日外国人向けのサービス・ネットワークやマーケティングノウハウを既に持つ企業を買収することで、自社内に新規事業として立ち上げるよりも早期に成果が見込める。さらに、観光客や在日外国人向けに特化した顧客リストや外国語対応のコールセンター運営ノウハウなども獲得できる。 - クロスセル・アップセルの推進
既存のサービスと組み合わせることで、新たな商品やパッケージを作成しやすくなる。ホテル運営会社が旅行代理店を買収したり、EC会社が越境EC企業を取り込むなどにより、相乗効果を狙う。 - 多言語対応の強化とサービス拡張
宿泊・飲食・流通・不動産・医療など、どの分野でも外国語対応は不可欠。翻訳会社やコールセンター企業を取り込むことで多言語での問い合わせ、予約、サポート体制を強化する。 - 海外展開・リピーター客の囲い込み
インバウンド事業で訪日客が国内で商品を認知し、帰国後に越境ECを利用するリピーター購買を促進する。BEENOS買収を目指すLINEヤフーのように、旅行中だけでなく帰国後の消費サイクルも狙う企業が増えている。 - 国内需要の停滞を補う成長エンジン
少子高齢化の進行で国内需要が伸び悩むなか、海外からの需要を取り込むことは事業拡大の有力な手段となる。インバウンドはその代表的な市場といえ、多くの企業がM&Aを通じて参入しやすくなる。
4. コロナ禍以降の動向と課題
4-1. コロナ禍による打撃と再編の進展
新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中で渡航が制限され、訪日外国人数は一気に減少しました。多くのインバウンド関連企業が収益源を失い、倒産や事業譲渡を余儀なくされたケースも少なくありません。和心が着物レンタル事業を譲渡したように、コロナ禍によって「生き残り」をかけた動きが起こり、結果として事業売却に踏み切る企業が出る一方で、買収側は「将来の回復」を見越して底値で事業を取得できる好機ともなりました。
4-2. 事業ポートフォリオの再構築
コロナ禍を機に、企業は本業と周辺事業を再点検し、収益性が低下した部門を切り離す動きを強めています。それによって売り手企業が増加し、M&A市場が活性化しました。一方、買い手企業としてはアフターコロナを見据え、今後回復するであろう訪日観光客を逃さないための布陣を整えているのです。たとえば語学・コールセンターといった裏方のオペレーション強化に取り組む企業も増えています。
4-3. 外国人材の確保
飲食や宿泊業では、外国人スタッフの働き手がコロナ禍で一時的に激減しましたが、再開に向けて特定技能ビザなどを活用した外国人雇用が再び注目されています。クックビズによる特定技能人材紹介事業の買収などは、その動きを象徴するものです。今後、外国人観光客が増加するほど、日本国内でインバウンド接客を担う外国人労働者への需要も高まる可能性があります。
5. インバウンドM&A成功のポイント
5-1. 訪日客のニーズ把握と差別化
買収先企業の強みやノウハウをしっかり生かせるかどうかは、買収後の事業統合プロセスにかかっています。インバウンドの場合、どの国・地域から来る旅行者なのか、どんな言語が求められるのか、どんな体験に魅力を感じるのかといったマーケット特性を理解しないと、期待したシナジーを得られません。特に単に「英語対応」だけでなく、中国語や韓国語、タイ語など複数言語の対応が求められるケースが増えています。
5-2. 予約・決済・情報発信の利便性向上
インバウンド向けサービスで肝となるのは、オンラインでの予約やモバイル決済、SNSによる情報発信です。買収先企業が持つシステムやノウハウをどう自社サービスに取り込み、ユーザーの利便性を高めるかがカギとなります。事例では、Wi-Fiレンタルやコールセンターの取得など、インフラ面を強化する企業が目立ちます。
5-3. 組織・文化の統合
M&Aは事業統合だけでなく、社内文化やマネジメントの統合も求められます。特にホテルやレストランなど接客を伴うビジネスでは、顧客体験を重視する企業文化と、運営効率を重視する企業文化が噛み合わないと問題が起こる可能性があります。海外事業やインバウンド顧客を扱う現場ならなおさらで、買収後に現場スタッフの離職などが起こらないよう注意が必要です。
6. 今後のインバウンドM&Aの展望
6-1. アフターコロナでの需要回復と成長余地
コロナ禍で落ち込んだインバウンド需要は、段階的に回復しつつあります。世界的にも旅行規制が緩和され、2025年大阪・関西万博など今後日本で開催されるイベントを通じて、観光客の回復が期待されます。さらに円安が続く場合、日本での消費コストが海外に比べて割安感を持つため、海外旅行者にとっての魅力度は高まるでしょう。こうした状況下、インバウンド向けサービスを拡充する動きがさらに加速し、M&A市場も活況となる可能性があります。
6-2. 多様化するニーズへの対応
今後は欧米やアジア各国からの旅行者が増えるだけでなく、アフリカや中東、南米など新たな市場からの訪日客も増える可能性があります。また、リピーター層や長期滞在型の旅行者、訪日医療ツーリズム、地方創生型の体験観光など、ニーズが多様化していくでしょう。そのため、言語対応やビザ・保険、医療サポートなど、より専門性の高いサービスを提供できる企業に注目が集まります。
6-3. DXとAI活用
予約や問い合わせ対応の多言語化は、AI翻訳やチャットボットなどのテクノロジー活用が進んでいます。M&AによってこうしたIT人材や技術を取得できれば、サービス向上だけでなくコストダウンにもつながります。今後は、翻訳サービス企業とAIベンダー、ホテル運営会社や観光施設運営会社との提携・買収事例が増加する可能性があります。
6-4. 周辺事業の拡大(越境EC、金融、保険など)
日本国内の滞在中だけでなく、帰国後の越境EC利用や、旅行保険・決済サービスの分野にもビジネスチャンスがあります。BEENOSなどが注力する越境ECは、海外消費者と日本の商品をダイレクトにつなぐ仕組みとして拡大しており、LINEヤフーのような大手IT企業が一気に取り込む形でM&Aを仕掛ける可能性があります。また、外貨両替機事業のアクトプロを子会社化したGENDAのように、決済や両替など金融に近いサービスが注目されるケースも見逃せません。
6-5. 地方創生との連動
政府はインバウンド需要を都市部から地方へと波及させる方針を打ち出しています。地方の観光資源を生かすため、現地でのホテル・旅館や観光施設と連携できる企業への買収や投資が増える可能性があります。観光に加えて、文化体験や産品販売などをパッケージ化した新たなサービスを提供するため、地方企業と都心部企業とのM&Aが活発化するかもしれません。
7. まとめ
ここまで見てきたように、インバウンド関連のM&Aは多種多様な企業や事業領域にわたっています。その背景には、国内市場の先行き不透明感と海外からの需要を取り込もうとする企業の強い意欲、そしてコロナ禍による再編が相まって、ビジネスチャンスを求める動きが一気に加速している構図があります。
- 旅行・観光業:ホテル取得や旅行代理店、ツアーオペレーター買収などで送客力・集客力を強化。
- 小売・EC業:越境ECや免税店を含め、富裕層および訪日客の旅アト需要の囲い込み。
- 語学・コールセンター事業:多言語対応や予約・問い合わせシステムを整備し、外部企業とのシナジーを追求。
- 不動産・投資事業:外国人投資家向け物件販売や宿泊施設の再生ビジネスでインバウンド観光ニーズを取り込む。
- 飲食・レジャー事業:特に和食や体験型レジャー(アドベンチャーツーリズム等)で外国人に人気の高い業態を拡大。
これらの動きを俯瞰すると、インバウンド関連で成功を収めるためには、単に外国人を対象とするだけでなく、多言語化やオンライン予約、SNSマーケティング、さらに実際の現場スタッフの確保・育成などトータルな視点でビジネス基盤を強化する必要があることが明確です。
コロナ禍を経て旅行業界は今後も変化が続きますが、日本を訪れる外国人は国や地域を問わず多様化すると考えられます。そのため、それぞれの観光客が求めるサービスや体験をきめ細かく提供できる企業ほど、インバウンド市場で高い評価を得るでしょう。そして、そうした企業を取り込むM&Aは今後も一段と活発化していくと予想されます。
インバウンド関連M&Aは、国際的な環境変化や為替動向、世界的な観光需要の上昇・下降など、外部要因に左右されやすい面がありますが、うまくアフターコロナのタイミングを捉えれば大きな成長機会を獲得できるはずです。企業としては、自社の強みを補完してくれる相手先を的確に見極め、また買収後のPMI(Post Merger Integration)に力を注ぎ、オペレーション面・マーケティング面で統合をスムーズに進めることが成功の鍵となります。
今後も訪日観光客数の回復をにらみ、M&Aやアライアンスの動きはさらに増えていくと考えられます。特にホテルや飲食店、小売だけではなく、人材派遣や語学・翻訳サービス、ICTソリューション、医療ツーリズム、不動産投資など、多角的なアプローチが目立つようになるでしょう。コロナ禍をバネにして業態を大胆に変革しようとする動きもあるため、今後の動向からも目が離せません。

株式会社M&A Do 代表取締役
M&Aシニアエキスパート・相続診断士
東京都昭島市出身。慶應義塾大学理工学部を卒業後、大手M&A仲介会社にて勤務し、その後独立。これまで製造業・工事業を中心に友好的なM&Aを支援。また父親が精密板金加工業、祖父が蕎麦屋、叔父が歯科クリニックを経営し、現在は父親の精密板金加工業にも社外取締役として従事。